第90話 死刑執行官 ――グレイブ兄弟、降臨 長い夜が終わる。
聖子の目の前。
異様なまでに整った所作で、一歩前へ進み出る悪魔がいた。
黒地に赤のピンストライプが入ったズートスーツ。
長い羽飾り付きのフェドラ帽。
嘴のように突き出た不気味なペストマスク。
悪魔王直属執行官――モルデカイ・グレイブ。
ゆっくりと帽子を取り、胸に手を当てる。
まるで一流ホテルの執事のような優雅さだった。
「……では」
静かな声。
低く、よく通る。
「今より刑を執行いたします故――少々、お下がりください」
聖子と、その隣に立つ佐知子を見る。
「御婦人方に危害が及ばぬよう」
わずかに腰を折る。
「私めが、お守りいたしますゆえ」
その後ろ。
弟――バラム・グレイブ。
パープルグレーのスーツを纏った巨漢。
無言。
ただ帽子を脱ぎ、わずかに頭を下げた。
その一挙手一投足だけで。
空気が沈む。
重力が増したかのように。
全員が息を呑んだ。
モルデカイはそのままレプティリアンたちへ向き直る。
「レプティリアンの皆様」
「ガイアリベレイターの皆様」
「この度は大変なご迷惑をおかけしました」
一礼。
「どうか、お下がりください」
「今回の一件は――この分離主義者どもの暴走によるもの」
ペストマスク越しに。
視線がサブナックへ向く。
「王の執行官たる私どもが」
「責任を持って、この場を収めます」
その言葉に。
サブナックの顔が青ざめた。
「……な、なんだと」
声が震える。
「おい待て!!」
「今回の件は上にも報告済みだ!!」
モルデカイはゆっくり顔だけ向けた。
沈黙。
そして。
パチン。
指を鳴らす。
次の瞬間。
ボトリ。
サブナックの右腕が地面に落ちた。
一拍遅れて。
「ギャアアアアアアアアアアアアアアッ!!」
絶叫。
誰も見えなかった。
何が起きたのか。
理解できない。
モルデカイは微動だにしない。
そのまま指先をサブナックへ向けた。
「――黙れ」
声色が変わる。
冷たい。
死人より冷たい声だった。
「分離主義者ども」
「今回の件で――我らが王は大変、心を痛めておられる」
一本、指を立てる。
「罪状その一」
「袈裟懸村との友誼を踏みにじったこと」
二本目。
「罪状その二」
「恒星間戦争を引き起こし、種族を危機に晒したこと」
三本目。
静寂。
ペストマスクの奥から。
ゆっくり告げる。
「よって」
「ここにいる全分離主義者に対し」
一拍。
「即刻」
「――死刑」
その瞬間。
弟バラムが。
一歩。
前へ出た。
……ただ、それだけだった。
何も起きない。
音もない。
風も吹かない。
静寂。
一秒。
二秒。
そして――
ドサドサドサドサドサドサドサッ――!!
五十を超える悪魔たちの首が。
同時に。
地面へ落ちた。
鮮血。
血柱。
絶叫。
大量の死体が崩れ落ちる。
戦場全体が凍りついた。
「ふ……ふはは……口封じ……」
サブナックが笑う。
その次の瞬間。
首が飛んだ。
血飛沫。
終わりだった。
バラムは元の位置へ戻っていた。
何をしたのか。
誰も理解できない。
その血飛沫が。
No.94――桜井の頬にかかった。
すると。
ほんのわずかに。
桜井が一歩下がる。
……嫌悪。
その無機質な顔に。
ほんの一瞬だけ。
人間のような感情が浮かんだ。
その時。
通信。
『――本部より通達』
『作戦中止。直ちに帰還せよ』
桜井が眉をひそめる。
「……本部。何があった」
『秘匿事項だ』
『作戦中止』
『繰り返す。即時帰還せよ』
数秒。
沈黙。
「……了解」
空間が歪む。
一体。
また一体。
レプティリアンたちが消えていく。
最後に残った桜井が。
聖子と信人を見た。
「……犬神聖子」
「犬神信人」
その声は変わらず無機質。
「私たちにつけ」
「お前たちなら歓迎する」
「新世界の王に迎えてやる」
聖子が横を見る。
信人が頷く。
何も言わない。
でもわかる。
二人は手を握った。
もう迷いはない。
聖子は真っ直ぐ桜井を見る。
そして。
小さく首を振った。
「……桜井のおばちゃん」
少し笑う。
「ありがたいんだけど……やめとくよ」
信人の手を握る。
ぎゅっと。
「私は――こいつと生きるから」
信人も笑った。
その時だった。
初めて。
桜井の無表情な顔が歪んだ。
ニヤッ。
縦に裂けた瞳が細くなる。
「……そうかい」
声が変わる。
まるで。
村にいる普通のおばちゃんみたいに。
「気が変わったら教えな」
「いつでも待ってるさ」
くるり、と背を向ける。
片手だけひらひら振る。
その背中は。
さっきまで世界を滅ぼしかねない怪物とは思えない。
どこにでもいる。
田舎の近所のおばちゃん。
空間が歪む。
その身体が消えていく。
最後。
ほんの一瞬だけ。
横顔が見えた。
少しだけ。
寂しそうだった。
そして。
消えた。
……静寂。
東の空が白み始める。
村のあちこちから煙が上がる。
長かった夜が終わる。
聖子と信人は。
その場へ座り込んだ。
疲労。
安堵。
生きている。
顔を見合わせる。
数秒。
そして。
「……ふふ」
「……あはは」
二人同時に笑った。
もう駄目だった。
今夜起きたことが。
あまりにも滅茶苦茶すぎて。
惨劇を通り越して。
喜劇にしか思えなかった。
その頃。
村のあちこちでも笑い声が響いていた。
「ぎゃははははは!!今回めちゃくちゃすぎるだろ!!」
「ふはははは!!過去最高じゃな!!」
「まあ今回は一番酷かったわね……」
佐知子が大きくため息をつく。
腕を組む鎧坂。
「……うん。エネルギー不足が今後の課題だね。」
熊田が頭を押さえる。
「うぅ……飲みすぎた……記憶がない……」
コアラの指人形が腹を押さえる。
「いやあ……食べすぎたよ……明日から節制しよ……」
ガルが剣を地面に突き立てる。
「あれでは物足りんな」
ツボニールが高笑いする。
「ふははは!!今回は三億か!!」
「帰ったら浴びるほど酒じゃ!!」
ニヤリ。
「……その後はお主じゃがな」
壮介が青ざめる。
「いやまず神社の借金完済ですから!!」
ニック・チョッパーは。
煙草を咥え。
遠くの二人を見る。
小さく笑った。
吉田キヨは巨大化したジロウを連れ家路へ。
遠方。
マイクとカテリーナが狙撃銃越しに戦場を眺める。
その時。
遅れて老人がやってきた。
辺りを見回す。
「……なんじゃ」
目を丸くする。
「もう終わったのか」
沈黙。
そして。
東の空から朝日が昇る。
長い。
長い夜が終わった。
こうして――
袈裟懸村防衛戦は終結した。
だが。
誰もまだ知らない。
この夜が。
最後の戦いの。
始まりに過ぎなかったことを――。
☆ここまで、読んでくださり、ありがとうございました。
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