第9話 狂乱の聖女に告白された俺、“卒業まで待ってほしい”と言ったら週末同棲を要求されました。
玄関の扉が閉まる。
静寂。
部屋に残されたのは、
成川和人と月戸律子の二人だけだった。
テーブルを挟んで座る律子は、
膝の上でぎゅっと手を握っている。
震えていた。
怖い。
きっと、
今から世界が決まる。
そんな顔だった。
「先生」
律子が小さく息を吸う。
「……もう、私の気持ちは言いました」
「…………」
「だから」
真っ直ぐな瞳。
逃げ道なんて許さないほど、
本気の目。
「先生の気持ちを聞かせてください」
沈黙。
時計の秒針だけが、
やけに大きく響いていた。
和人は視線を落とす。
正直、
気づいていた。
料理を作りに来る頻度。
視線。
距離感。
時々、
明らかに重い愛情。
恋愛経験ゼロの自分でも、
流石に分かる。
そして。
それを、
嫌だと思えなかった。
むしろ――。
可愛い、と思ってしまっていた。
和人はゆっくり息を吐く。
「……だいぶ前から気づいてた」
律子の肩がびくりと震えた。
「恋愛経験なんて全然ない僕でもね」
律子の唇が、
かすかに震える。
怖い。
終わる。
嫌われる。
頭の中を、
そんな言葉がぐるぐる回る。
そして。
和人は静かに言った。
「……ごめん」
世界が止まった。
真っ白になる。
ああ。
終わった。
やっぱり私は――。
「今は答えが出せない」
「……え?」
律子が顔を上げる。
そこには。
困ったように笑う和人がいた。
「本当に、ごめん」
「…………」
「僕は」
和人はゆっくりと言葉を選ぶ。
「君に惹かれてる」
律子の瞳が大きく見開かれた。
「綺麗だし」
「料理も上手だし」
「笑顔も素敵だ」
どくん。
心臓が跳ねる。
「少しおっちょこちょいなところも」
「天然なところも」
「全部、愛おしいと思ってる」
「――っ」
律子の顔が真っ赤になる。
脳が焼ける。
幸福で。
幸福すぎて。
頭がおかしくなりそうだった。
「少し嫉妬深いところも」
和人は苦笑する。
「愛されてるんだなって感じるし」
正直。
怖くないと言えば嘘になる。
重い。
かなり重い。
でも。
目の前で泣きそうな顔をしている彼女を、
突き放したいとは思えなかった。
むしろ。
抱きしめ返しそうになる自分の方が危険だった。
「じゃあ……!」
ぱあっ、と。
律子の顔に光が戻る。
だが。
和人は静かに続けた。
「でも、今は教師と生徒だ」
「…………」
「だから」
真っ直ぐ律子を見る。
「教師として、君と向き合いたい」
その目は誠実だった。
誤魔化しじゃない。
真面目で。
不器用で。
だからこそ、
律子の胸が締め付けられる。
「もし」
和人が続ける。
「卒業まで、君の気持ちが変わらなかったら」
律子が息を呑む。
「その時は、ちゃんと向き合いたい」
そして。
和人は優しく笑った。
「君が僕に好意を持ってくれているうちは」
「僕は、他に恋人を作らない」
「…………」
「これじゃ、だめかな」
数秒。
律子の思考が止まる。
次の瞬間。
「先生ぇぇぇぇぇぇぇ!!」
「うわっ!?」
勢いよく抱きついた。
「好きぃぃぃぃぃ!!」
ぐりぐり頬を押し付ける。
幸せ。
幸せ。
幸せすぎる。
こんなに幸せでいいのかな、と、
一瞬だけ怖くなるくらい。
人生で初めて。
自分が、
ちゃんと肯定された気がした。
「り、律子さん!?」
「先生好きぃ……♡」
「だ、だからそういうのは……!」
和人が真っ赤になる。
近い。
柔らかい。
いい匂いがする。
理性が危ない。
「……落ち着こう、うん」
自分に言い聞かせるように呟く和人であった。
その日の夜。
いや。
帰宅してからずっと。
律子は、
魂が抜けたみたいに天井を見つめていた。
「…………」
ぽーっ。
完全に虚無である。
そして。
数秒おきに。
「ぐふふふふふ……♡」
にやぁ。
笑う。
怖い。
「……おい」
向かいで夕飯を食べる聖子が、
本気で引いていた。
しかし。
律子の頭の中では。
『僕は、君に惹かれてる』
『綺麗だし、料理も上手だし、笑顔も素敵だ』
『全部、愛おしいと思ってる』
「ぐへへへへへへ……♡」
頬が緩み切る。
さらに。
『君が僕に好意を持ってくれているうちは、僕は他に恋人を作らない』
そのたびに。
律子の脳内翻訳が始まる。
『律子が好きだよ』
『律子だけいればいい』
『他の女なんていらない』
「ぐふっ♡」
ばんばんばん!!
テーブルを叩き始めた。
「やめろ怖い」
聖子が真顔で言う。
かつて、
“聖女”と呼ばれた少女の気品は、
もうどこにもなかった。
だが。
聖子は小さく息を吐く。
「……まあ」
ぽつり。
「なんか、うまくいったみたいね」
その瞬間。
律子の目がカッ!!と見開いた。
「聞きたい!?」
「切り替え早っ」
さっきまで魂抜けてたのに。
突然フル稼働である。
そして。
律子は急に両手を頭に当てた。
「あっ」
「……なんだ」
「学校辞めるって言えばよかった」
「は?」
「なんで気づかなかったんだろ」
がばっ!!
勢いよくスマホを掴む。
「おい待て」
即通話。
『も、もしもし?』
和人の声。
「あっ、先生?」
満面の笑み。
「さっきの話なんだけど」
『う、うん?』
「私、学校辞めたら問題ないよね?」
『は!?』
電話越しに固まる気配。
『いやいやいや待って!?』
「だって学校行ってる間は正式に彼氏彼女じゃないんでしょ?」
『それはそうだけど!』
「じゃあ辞めればいいじゃん。私が」
『駄目だよ!?』
即答だった。
律子は頬を膨らませる。
「むぅ……」
『むぅじゃないよ』
「じゃあ」
律子はにやりと笑った。
「辞めない代わりに、毎日そっち行く」
『……はい?』
「ご飯もそっちで食べる」
「お弁当も作る」
「あと金曜の夜から土日はそっち」
『待って情報量が多い』
「文句言うと学校辞めるからね」
『それ脅迫になってるからね!?』
ぷちっ。
通話終了。
満足げな顔。
「まったく」
律子はため息を吐いた。
「先生ったら、子供みたいなんだから」
「いや、お前がだろ」
聖子のツッコミが、
静かなリビングに響いた。
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