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第10話 元聖女は恋愛経験ゼロなので、週末のお泊まり準備を“超越者”に指導されています。

 次の日――。


 律子は、駅前の喫茶店にいた。


 柔らかなジャズが流れる店内。


 コーヒーの香り。

 琥珀色の照明。

 休日らしい穏やかな空気。


 その窓際席で、律子は背筋をぴんと伸ばしていた。


「師匠、ありがとうございました」


 ぺこり、と深く頭を下げる。


 対面に座るのは、小太りの中年女性。


 ゆったりしたカーディガンに、上品なスカート。

 清楚で穏やか。

 どこか包容力すら感じる“優しいおばさん”。


 ――もちろん、ただのおばさんではない。


 “生首”。


 超越者。


 だが今は、完全に恋愛相談の師匠ポジションだった。


「師匠の助言通り、お兄さんの正人さんに連絡したら……」


 律子はもじもじと指を絡める。


「ちゃんと話す流れになりました」


「『ごめん』って言われた時は、怖かったですけど……」


 その瞬間。


 生首は、ふふん、と得意げに笑った。


「誠実な男ほど、ちゃんと向き合おうとするのよ」


「特にああいう真面目なタイプはね」


 コーヒーカップを傾ける。


「毎日のように家に通って、ご飯作って、支えてもらって」


「その上で“なかったこと”にはできないわ」


「責任感がある男ほど、逃げられないの」


「せ、責任感……」


 律子の頬が赤くなる。


「それに」


 生首はニヤリと笑う。


「兄公認って大きいわよ〜?」


「外堀、大事」


「外堀……!」


 律子は感動したようにメモ帳を開いた。


 カリカリカリカリ。


『外堀は大事』


 真剣な字で書き込んでいる。


「素直ねぇ、ほんと」


「はいっ!!」


 律子は勢いよく顔を上げた。


「師匠、一生ついていきます!!」


「重い重い」


 言いながらも、生首はどこか嬉しそうだった。


 そして。


 じぃ……っと律子を見る。


「で?」


「これからどうするの?」


「これから……?」


 きょとん、と首を傾げる律子。


「週末、お泊まりするんでしょ?」


 ――ぼんっ。


 一瞬で。


 律子の顔が真っ赤になった。


「は、はい……」


 耳まで赤い。


 俯いてしまう。


「あなた、経験はもちろん無いわよね?」


「年齢イコール彼氏いない歴です……」


「でしょうね」


 即答だった。


「相手の男も、たぶん無いわね」


「恋愛慣れしてるタイプじゃないし」


「そ、そうなんですか?」


「わかるわよ」


 生首は断言した。


「だからこそ、ちゃんと準備しなさい」


「準備……?」


「まさかとは思うけど」


 じとっ、とした目。


「よれよれジャージで泊まりに行く気じゃないでしょうね?」


「えっ」


 律子は本気で驚いた。


「自然体の方がいいかなって……」


「駄目ですか?」


「駄目に決まってるでしょうが!!」


 ばんっ!!


 テーブルを叩く音に、近くのカップルがびくっとした。


「あんたねぇ!」


「初めてのお泊まりよ!?」


「女の子としての一大イベントなの!!」


「は、はいっ!!」


 完全に部下の返事だった。


「いい?」


 生首は指を一本立てる。


「勝負下着」


「ただし、派手すぎない」


「ナチュラル系」


「イエッサー!」


「かわいいルームウェア」


「清潔感」


「了解であります!」


「前日にムダ毛処理」


「御意!!」


「スキンケア」


「ヘアケア」


「エチケット用品」


「ヘアドライヤー」


「喜んで!!」


 もはや軍隊である。


 律子は真剣そのものだった。


「女が女でいようと思ったらね」


 生首は少しだけ優しい声になる。


「身だしなみって大事なの」


「“この子、自分をちゃんと大切にしてるんだな”って、それだけで男は嬉しくなるから」


「……はい」


 律子はこくりと頷いた。


 その横顔は、少しだけ真面目だった。


「先生の前では……ちゃんと可愛くいたいです」


 ぽつり。


 小さく零れた本音。


「ふふっ」


 生首は笑う。


「いい顔するじゃない」


「そ、それに……」


 律子は指先をもじもじさせる。


「先生の家に泊まるんだって思ったら……」


「昨日、全然眠れなくて……」


「ど、どうしようって……」


「一緒の部屋なんだよね、とか……」


「寝顔見られたらどうしよう、とか……」


 どんどん顔が赤くなる。


「うわぁぁ……無理かも……」


 テーブルに突っ伏した。


「心臓がもたない……」


「かわいいわねぇ」


 生首は呆れ半分、微笑ましさ半分で見ていた。


 だが。


 ふと。


 空気が変わる。


「あのさぁ……」


 声色が変わった。


 少し低い。


「盛り上がってるところ悪いんだけど」


「こっちの約束、忘れてない?」


「「あっ」」


 綺麗にハモった。


 律子と生首が同時に固まる。


 数秒の沈黙。


 そして。


 律子は、おずおずと口を開いた。


「そ、それも頑張ります……」


「任せてください」


 その瞬間。


 ぱああっ、と顔が明るくなる。


「私、“聖女もの”って結構向いてると思うんです」


「先生、ああいうの好きそうですし……」


「……へぇ?」


 生首の目が細まる。


「なんでそう思うの?」


「な、なんとなくです!」


 律子はえへへ、と照れ笑いした。


「あと先生、本棚に昔の薄い本いっぱいありましたし」


「…………」


「しかも妙に“聖女系”多かったです」


「…………」


 生首は静かにコーヒーを飲む。


 その口元だけが、

 わずかに吊り上がっていた。


「……なるほどねぇ」


「?」


「いや」


 意味深に笑う。


「こっちの話」


 律子は首を傾げたが、

 すぐにまた頬を赤くした。


「うぅ……お泊まりかぁ……」


「先生の家……」


 想像しただけで、

 再び顔が真っ赤になる。


「ぐふ……」


「ちょっと待って……」


「無理……死ぬ……」


 テーブルへ突っ伏す律子。


 そんな彼女を見ながら。


 生首は、

 どこか楽しそうに目を細めた。


「さて――」


 ぽつり。


「どこまで覚えてるかなぁ、彼」


 その呟きは。


 コーヒーの香りと一緒に、

 静かに店内へ溶けていった。



☆ここまで、読んでくださり、ありがとうございました。


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