第86話 袈裟懸村防衛戦線・最終局面 ――君と生き残る確率を、俺はもう計算し終えている。
夜の袈裟懸村。
燃え上がる家屋。
大地を染める鮮血。
悪魔たちの断末魔が、夜気を震わせていた。
村の外れ――放置された大型トラックを遮蔽物にして、二つの影が絶え間なく銃火を吐いている。
犬神信人。
そして、その隣に立つ聖子。
二人の周囲には、すでに夥しい数の悪魔の死体が転がっていた。
だが、それでも終わらない。
まだ来る。
まだ足りないとでも言うように、闇の中から無数の赤い眼光が迫ってくる。
さらに、その後方。
まるで地獄絵図だった。
巨大化した熊田が四足で疾走し、巨大な腕で悪魔をまとめて叩き潰す。
骨が砕ける。
肉が裂ける。
鮮血が噴水のように吹き上がる。
その隣では邪龍ツボニールが笑いながら尾を振るう。
一撃で五体。
首が宙を舞う。
その光景は、もはや人類の戦いではなかった。
まるで神話だ。
その最前線で。
信人はマガジンを交換しながら、淡々と言った。
「……残弾、あと一つです」
聖子もサブマシンガンを撃ちながら笑う。
「こっちも最後よ」
一拍。
二人の間に、不思議な静けさが落ちた。
そして聖子がぽつりと呟く。
「……なんかさ」
「はい?」
「今日、人生で一番濃い日だったかも」
信人は一瞬だけ彼女を見る。
その横顔は――不思議なくらい穏やかだった。
聖子は小さく笑った。
「悪魔に襲われて」
「宇宙人まで出てきて」
「龍が空飛んで」
「熊のぬいぐるみが化け物になるとか」
「……普通、頭おかしくなるわよね」
信人は少し考えた後、真顔で答えた。
「統計上、その感想は妥当です」
「……そういうとこよ」
思わず吹き出す聖子。
その時。
信人が静かに言った。
「……聖子さん」
だが。
聖子は即答した。
「却下」
「……まだ何も言ってません」
「どうせプロポーズでしょ」
「……はい」
「このタイミングで?」
「はい」
「しかも絶対ダサい」
「……厳選しました」
「……言ってみなさい」
信人は銃を撃ちながら、真剣な顔で言った。
「あなたと結婚することが、人生における最適解なんです」
「……」
「私はあらゆる未来予測を演算しました」
「あなたと共に生きることが最も合理的です」
沈黙。
聖子の顔が盛大に歪む。
「……えっ」
「マジでそれ?」
「はい」
「……保険の営業なの?」
「違います」
「人生設計です」
「誰に相談したの」
「鎧坂博士です」
聖子は空を見上げた。
「……一番聞いちゃいけない人に聞いてるわね」
信人、諦めない。
「第二案です」
「まだあるの?」
「……俺についてこい」
「お前は身体一つでいい」
聖子が即答した。
「却下」
「ニックさんの助言です」
「でしょうね」
信人、まだ折れない。
「第三案」
「……おしべとめしべが一つになるのは宇宙の摂理なのさ」
聖子の頭に浮かぶコアラの指人形。
「……金田」
「はい」
「後で絶対ぶん殴る」
その時だった。
悪魔の群れが一斉に距離を詰める。
弾切れ寸前。
距離二十メートル。
十メートル。
五メートル。
信人が前へ出ようとする。
だが。
聖子がその腕を掴んだ。
「……いい?」
「……はい」
彼女の顔は赤かった。
戦場とは思えないほど。
けれど、その目だけは真っ直ぐだった。
「……あんたはもう」
「私のものなの」
信人の目が大きく開く。
聖子は続ける。
「一生、私の後ろついてきなさい」
「私だけ見てればいいの」
「そしたら全部うまくいくから」
「……」
「……だから」
深く息を吸う。
「……プロポーズは受ける」
信人が固まる。
聖子は顔を真っ赤にしながら叫んだ。
「でも全部却下!!」
「生きて帰って!!」
「もっとマシなの考えてきなさい!!」
一瞬。
信人が笑った。
心の底から。
初めて見せるような表情で。
「……はい」
そのまま。
二人は互いを見つめる。
戦場のど真ん中なのに。
世界から音が消えたみたいだった。
……だが。
その静寂を切り裂いたのは。
ヒュンッ!!
ヒュンッ!!
「ギャアアアアア!!」
悪魔が次々と倒れていく。
トラックの上。
月を背負って立つ黒装束。
クナイを握る忍。
黒煙。
「役目は果たす」
「それが忍でござる」
消えた。
次の瞬間。
数十メートル先で血飛沫が舞う。
さらに。
闇の向こうから銀色の影。
巨大な斧。
全身に返り血。
ニック・チョッパー。
タバコを咥え、不敵に笑う。
「……待たせたな」
斧を肩に担ぐ。
「――ランバージャックの時間だ」
斧が振るわれる。
悪魔三体がまとめて吹き飛んだ。
さらに別方向。
月光のような剣閃。
ガル・エンキが歩いてくる。
「ふん……雑兵が多いだけだな」
「予を退屈させるな」
一歩踏み込む。
その瞬間。
五体が同時に斬り裂かれた。
さらに。
触手を振り回すコアラ。
「おまたせ〜」
「僕も混ぜてよ〜」
サブナックが絶叫する。
「くそっ!!」
「増援だ!! 増援を呼べ!!」
だが――
カチッ。
信人の銃が止まる。
弾切れ。
聖子も同じ。
悪魔二体が飛びかかった。
しかし。
スッ……
二体の悪魔が、その場で崩れ落ちる。
綺麗に四分割されていた。
そこに立っていたのは。
小柄な老婆。
優しい笑顔。
右手には仕込み刀。
そして足元には柴犬。
「聖子ちゃん」
「遅くなったねぇ」
「……おばあちゃん」
吉田キヨ。
彼女は微笑みながら刀を差し出す。
「こういう時はね」
「冷静に」
「刀だけど使えるよね?」
聖子の目が熱くなる。
「……ありがとう」
――その時だった。
魚頭の悪魔が前に出る。
「てめえ誰だ」
一瞬。
空気が変わる。
隣の佐知子が静かに額を押さえた。
「あー……始まった」
魚頭の悪魔が笑う。
「てめえ殺せば俺も――」
ドサドサドサッ。
身体がサイコロ状に崩れ落ちる。
一拍。
キヨの目が変わる。
完全に変わる。
さっきまでの柔らかさは消えていた。
「……てめぇみてえな三下が」
低い声。
獣みたいな殺気。
「舐めた口きいてんじゃねぇよ」
聖子が固まる。
「……え?」
キヨが刀を構える。
そして咆哮した。
「千年早ぇんだよォ!!」
「死にてぇ奴から前出ろ!!」
「ぶっ殺してやる!!」
「ジロウ!!」
柴犬の身体が膨張する。
骨が鳴る。
牙が伸びる。
赤い眼。
巨大な魔獣へ変貌。
グルルルルルル……
大地が震えた。
聖子、完全停止。
隣で佐知子が苦笑する。
「……吉田のおばあちゃんね」
「あれ村で一番血の気が多い人なの」
「悪魔来るって知って残った理由、それ」
「……はい」
そして――
遠く。
和人のマンション。
モニター越しに見ていた盲とレオニダス。
二人は腹を抱えていた。
「ぎゃはははは!!」
「さっきまで王道バトルだったのに熊が暴走して全部持ってった!!」
「これ劇場版でしょ!!」
「課金してでも観るやつだよこれ!!」
その横で。
バンティンだけが唇を噛み締める。
ありえない。
五百を超える精鋭悪魔軍。
それが――
こんな辺境の村で壊滅寸前。
だが。
律子は不安そうに和人を見る。
和人は静かに彼女の手を握った。
そして。
無表情の久男だけが呟く。
「……そろそろ最終局面ですね」
夜明けまで――あとわずか。
袈裟懸村防衛戦。
ついに。
本当の最終局面が始まる。
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