第85話 終焉遊戯《ラグナロク・シアター》 ―酔いどれ魔熊と邪龍が踊る、村滅級最終防衛戦―
袈裟懸村――南東防衛ライン。
夜はすでに戦火に染まり切っていた。
燃え上がる木々。
立ち込める黒煙。
地面には夥しい血が流れ、鼻を刺す鉄臭さが風に乗って漂っている。
その最前線。
百を超える悪魔軍団の先頭に立つ牛頭の悪魔――サブナックは、じっと前方を睨みつけていた。
その視線の先。
トラックのヘッドライトに照らされながら、小さな影がゆっくり前へ歩み出る。
ぽてぽて、と頼りない足音。
まるで子供のおもちゃのような姿。
熊のぬいぐるみ。
しかし、その場にいる誰も笑えなかった。
妙に落ち着き払った空気があったからだ。
ぬいぐるみは立ち止まる。
月光とヘッドライトが影を大きく引き伸ばす。
そして。
穏やかな声が響いた。
「……僕の名前は熊田雄一郎」
小さな頭がゆっくり傾く。
「君は……サブナックさんかな?」
サブナックが眉をひそめた。
「……なんだテメェ」
「俺を知ってるのか」
熊田は人懐っこく笑う。
「うん。有名人じゃないか」
沈黙。
風が吹いた。
「……もういい」
サブナックが一歩前へ出る。
「女を渡せ」
しかし熊田は右手を軽く上げた。
「まあまあ。ちょっと待ちなよ」
「……あ?」
「交渉だよ」
空気が張る。
後方で聖子が小声で呟いた。
「……何する気なの、あの熊」
隣で佐知子はすでにブローニング重機関銃の安全装置を外していた。
熊田は淡々と話し続ける。
「君たちの依頼……たぶん彼女を殺すことだろ?」
サブナックの瞳が細くなる。
「……」
「依頼主は……彼女たちに元の世界へ戻ってほしくない」
しばし沈黙。
「……そうだ」
肯定だった。
熊田は小さく肩をすくめる。
「でも残念」
「彼女たちは、もう帰るつもりないんだ」
月が雲間から顔を出した。
「ここで手打ちにしない?」
「彼女が戻らないなら目的は達成される」
サブナックは鼻を鳴らした。
「……ダメだ」
低い声。
「今さら手打ちにはできねぇ」
熊田は困ったように首を振る。
「そっかぁ……」
ポケットから一本の酒瓶を取り出す。
琥珀色の液体が月明かりを反射する。
超高級ジャパニーズウイスキー。
「じゃあさ」
笑う。
「これ飲んで考え直さない?」
サブナックの額に青筋が浮いた。
「……ふざけんな」
バシッ。
乱暴に酒瓶を弾き飛ばす。
くるくる回転しながら。
スローモーションのように地面へ落ちていく。
パリン――――。
砕けた。
琥珀色の液体がゆっくり土へ染み込んでいく。
トラックの陰。
佐知子が顔を覆った。
「あああぁぁぁ……」
聖子が首を傾げる。
「……どうしたんですか?」
佐知子は無表情でブローニングのレバーを引いた。
「……銃撃戦の準備しましょ」
その瞬間。
プルプルプルプル……
熊田の身体が震え始める。
サブナックが嘲笑う。
「おいおい」
「今さら怖気づいたのか?」
ゆっくり。
熊田が首を傾けた。
その目が見開く。
ギリッ。
額に青筋。
「……おい」
声が変わっていた。
低い。
獣じみた声。
「……てめぇ」
周囲の空気が変質する。
「俺の酒が……」
ぬいぐるみの腹部。
チャックがひとりでに動き始める。
ジジジジジジジジジ――――
裂ける。
裂ける。
裂ける。
「飲めねぇってのかァァァァァァァァ!!」
咆哮。
ブチブチブチブチ――!!
身体が急膨張。
綿が弾け飛ぶ。
筋肉のような黒い繊維が内部から膨れ上がる。
巨大化。
鋭利な牙。
鉤爪。
全身を覆う獣毛。
真紅に染まる双眸。
そこにいたのは――
もはや熊のぬいぐるみではなかった。
狂獣。
バーサーカー。
佐知子が呆れた顔で呟く。
「……だから言ったのよ」
「交渉決裂」
ドガガガガガガガガガッ!!
ブローニング重機関銃が火を吹く。
聖子もM4を構える。
「えぇぇぇぇぇ!?」
「さっき舌先三寸とか言ってましたよね!?」
「予定変更よ!」
その時だった。
ドンッ!!
熊田が跳躍した。
悪魔軍団中央へ着地。
次の瞬間。
グシャアアアアッ!!
五体まとめて胴体が吹き飛ぶ。
首が舞う。
血飛沫が霧になる。
さらに爪が振るわれる。
バキィィィィィッ!!
十数体が肉塊へ変わる。
サブナックが後退る。
「……なっ」
「お前ら……」
絶句。
「めちゃくちゃだろ!!」
その時。
夜空から影が降ってきた。
バシュゥゥゥッ!!
銀髪。
黒翼。
黒角。
ツボニール・ツヴァイ。
その両腕には。
壮介と――信人。
着地。
「聖子よ」
ツボニールがニヤリと笑う。
「待たせたな」
信人が降ろされる。
一瞬。
聖子の顔が崩れた。
「……よかった」
駆け出す。
「生きてたんだ……!」
勢いそのまま抱きつく。
信人が静かに微笑んだ。
「ああ」
そして。
そっと口づける。
静寂。
銃声すら遠く感じる。
戦場なのに。
その一瞬だけ、二人の時間が流れる。
横で壮介が咳払いした。
「……ごほん」
無視。
完全に二人の世界だった。
ツボニールが壮介を見る。
頬を膨らませる。
「……妾もああいうことしてほしいのぅ」
壮介の顔が一瞬で真っ赤になる。
「えっ……いや……その……また今度……」
その時。
背後から悪魔が襲いかかる。
しかし。
ツボニールは見もしなかった。
ブスッ。
片手で胸を貫く。
悪魔絶命。
そのまま死体を投げ捨てる。
「……儂らは掃討戦じゃ」
壮介を抱える。
「お主らもほどほどにな」
ドンッ!!
再び夜空へ跳躍。
悪魔軍団のど真ん中へ消えていく。
聖子が顔を赤くしながら銃を構えた。
「……そうね」
信人もM4を構える。
「……だね」
その先。
狂った熊の怪物が悪魔を引き裂いている。
邪龍が笑いながら悪魔を吹き飛ばしている。
完全な地獄絵図だった。
その頃。
和人のマンション。
リビング。
大型モニターに映る戦場映像。
ソファに座る二人の超越者。
ゴスロリ姿の少女――盲。
金髪の少年――レオニダス。
二人とも腹を抱えていた。
「ぎゃはははははははは!!」
盲が涙を流しながら笑う。
「さっきまで超シリアスだったのに!」
「なんで熊のぬいぐるみがキレて暴れてんのよ!!」
レオニダスもソファを叩きながら爆笑する。
「いや無理無理無理!」
「さっきまで完全にSF戦争映画だったじゃん!」
「急にジャンル変わったよ!!」
盲が息を切らす。
「もう最高……」
レオニダスが涙を拭う。
「うん……これ普通にお金払って観るレベルだよ……」
しかし。
部屋の隅。
悪魔バンティンだけは違った。
唇を噛み締める。
震えていた。
――なぜだ。
――なぜこんな辺境惑星に。
――こんな怪物が次々現れる。
律子は不安そうに和人を見る。
和人は静かにその手を握った。
そして。
久男だけが無表情でモニターを見つめていた。
誰も気づいていない。
まだ。
この戦場には――
“本当の最悪”が姿を見せていないことを。
夜明けは近い。
そして。
袈裟懸村防衛戦は――
ついに最終局面へ突入する。
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