第74話 ブリキ男は死なない――斧を振るう不死人と蛇翼の将が交わした、たった一度の敬意。
袈裟懸村――中央防衛ライン。
夜。
血の匂いが濃かった。
……いや。
もはや鉄臭い、と言ったほうが正しい。
そこには死体が転がっていた。
一体。
二体。
五体。
十体。
いや――数える意味すらない。
悪魔たちの亡骸が、まるで伐採された木々のように無造作に地面へ積み重なっている。
そしてその中心。
一人の男が立っていた。
ニック。
肩には巨大な両刃斧。
額から血が流れていた。
だが気にも留めない。
ただ静かに前を見ている。
最後の一体。
第1陣最後の悪魔が震えながら後退した。
「ば……化け物……」
言い終わる前だった。
――ブンッ。
鈍い風切り音。
次の瞬間。
グシャアアアアッ!!
巨大な斧が脳天へ叩き込まれた。
頭蓋骨が砕ける。
血が噴き上がる。
そのまま悪魔は地面へ崩れ落ちた。
沈黙。
……その時。
闇の向こうから、ぬるりと“何か”が現れる。
ずる……ずる……
長い尾が地面を這う。
現れたのは異形。
巨大な体躯。
背中には黒い翼。
筋骨隆々の上半身。
そして――蛇の頭。
足はない。
巨大な蛇体が地面を這い、月明かりに鱗が鈍く光る。
悪魔軍第二陣指揮官。
セルペンス。
その金色の瞳が周囲を見渡した。
転がる死体の山。
そして中央に立つニック。
数秒。
沈黙。
やがてセルペンスが呆れたように口を開いた。
「……おいおい」
長い舌がぬらりと伸びる。
「なんだこれは」
死体を見下ろす。
「ブリキのおもちゃ一匹に……ここまでやられてんじゃねえか」
背後には数十の悪魔兵。
セルペンスは大剣を抜いた。
巨大な湾曲剣。
月光が刃に反射する。
「こいつは俺がやる」
その瞬間だった。
ニックが片手を上げる。
「……ちょっと待て」
「?」
セルペンスが眉をひそめる。
ニックはポケットを探る。
取り出したのは――煙草。
一本咥える。
カチッ。
ライターの火が灯る。
吸う。
深く。
ゆっくり。
肺いっぱいに煙を溜める。
そして――
ふぅぅぅぅぅ……
紫煙が夜へ溶けていく。
ニックはその煙が漂うのを、まるで楽しむように見上げた。
周囲の悪魔たちは唖然としている。
セルペンスも呆れた。
「……何してる」
ニックは煙草を地面へ落とした。
火花が散る。
その目が変わる。
鋭くなる。
獣になる。
斧を握る。
「……いいぜ」
口角が上がる。
「殺ろうか」
――ドン!!
セルペンスが消えた。
一瞬で間合いを詰める。
大剣が振り下ろされる。
ガギィィィィィン!!
火花。
ニックが斧で受け止めた。
衝撃で地面が割れる。
その隙。
後方の第二陣が一斉に走り抜けた。
村へ向かう。
ニックは追えない。
セルペンスが笑った。
「余所見してんじゃねえぞ!!」
大剣が唸る。
ニックが斧で弾く。
さらにセルペンスは身体を回転。
巨大な蛇尾が横薙ぎに飛んだ。
ゴオオオオッ!!
「……ッ!」
ドガァァァァァン!!
ニックが吹き飛ぶ。
空中へ舞う。
その瞬間。
蛇尾が追撃。
グルルルルルルッ!!
身体へ巻き付いた。
完全拘束。
締め上げる。
ミシッ。
ミシミシミシミシ……
骨が軋む音。
内臓が圧迫される。
ニックの口から血が漏れた。
「……ぐ……はっ……」
セルペンスが顔を近づける。
舌をぺろりと出す。
「このまま絞め殺してやる」
さらに力を込める。
ミシミシミシッ!!
そして――
ブチィッ。
……沈黙。
ニックの身体が真っ二つになった。
腰から完全切断。
さらに足まで千切れる。
セルペンスはその残骸を無造作に投げ捨てた。
ドサッ。
「……ふん」
剣を肩に担ぐ。
振り返らない。
「まあまあ強かったな」
歩き出す。
その時だった。
……ズル。
ズルズル……
セルペンスが止まる。
振り向く。
そして――目を見開いた。
切断された胴体。
落ちた足。
千切れた肉片。
それらが……
まるで磁石のように引き寄せられていく。
体が繋がる。
骨が再生する。
筋肉が編まれる。
血が逆流する。
数秒後。
そこに――
立っていた。
ニックが。
まるで何事もなかったように。
斧を拾う。
肩を回す。
ゴキッと首を鳴らした。
不敵に笑う。
「……さて」
斧を構える。
「第2ラウンドだぜ」
セルペンスが絶句した。
「……お前」
数秒止まる。
「……不死身なのか?」
ニックが笑う。
「どうだろうな」
肩をすくめる。
「試してみな」
次の瞬間。
再び激突。
ガガガガガガン!!
剣と斧。
何度も交差。
セルペンスの尾が飛ぶ。
ニックが斧で切り落とす。
セルペンスが後退。
呼吸を整える。
……そして。
ふっと笑った。
ニックが眉を上げる。
「……なんだ」
セルペンスが剣を下ろした。
「……すまん」
「?」
「お前を舐めていた」
静かな声。
だが本気だった。
「認める」
黄金の瞳がニックを見る。
「今まで戦った中で……お前が一番強い」
数秒。
沈黙。
ニックは鼻で笑った。
「……そりゃどうも」
セルペンスが剣を構え直す。
「俺の名はセルペンス」
視線は真っ直ぐ。
「お前の名を教えてくれ」
ニックは斧を肩へ担いだ。
「ニック」
少し笑う。
「ニック・チョッパー」
「まあ……」
肩をすくめる。
「ブリキ男って呼ぶ奴の方が多いがな」
セルペンスが笑う。
初めてだった。
「……ニック・チョッパー」
その名を噛み締める。
「覚えておこう」
剣を上段へ。
構える。
「……じゃあニック」
空気が変わる。
殺気ではない。
武人同士の静寂。
「そろそろ決めようか」
ニックも両手で斧を握る。
「……だな」
目が合う。
互いに分かる。
こいつは強い。
こいつは本物だ。
風が吹いた。
草が揺れる。
虫の声が止む。
世界が静止する。
……次の瞬間。
ドンッ!!
二人が消えた。
交差。
一閃。
……ザシュッ。
血が舞う。
セルペンスの胸が深く裂けた。
スローモーションのように崩れ落ちる。
同時に。
ニックが脇腹を押さえた。
「……ぐっ」
深い傷。
互いに致命傷。
セルペンスが地面に倒れる。
最後に笑った。
満足そうだった。
ニックがゆっくり近づく。
膝をつく。
静かにその顔を見る。
「……セルペンス」
息を吐く。
夜空を見る。
そして呟いた。
「……お前」
少し笑う。
寂しそうに。
どこか嬉しそうに。
「……強かったぜ」
セルペンスは答えない。
だがその死に顔は――
満足していた。
戦士として。
誇り高く。
敗北ではない。
これは。
互いが認め合った者同士だけに許された――
最高の決着だった。
夜風が二人の間を吹き抜けていった。
――中央防衛ライン。
――最初の英雄譚が、ここに刻まれる。
☆ここまで、読んでくださり、ありがとうございました。
評価ポイント、ブックマーク登録 していただければ、励みになります。




