第71話 恒星間最悪の捕食者、起動――悪魔たちがまだ知らない第三の地獄
袈裟懸村 防衛戦
西山麓 ―― 村西部侵攻ルート
夜の村は静まり返っていた。
遠くでは銃声。
断続的に響く爆発音。
東側では既に戦闘が始まっている。
その一方で――西側。
こちらには、防衛戦力が配置されていなかった。
まるで最初から。
“誰も守る必要がない”とでも言うように。
闇の中を進む三十体の悪魔部隊。
先頭に立つのは、一際巨大な影。
虎の頭部。
二メートルを優に超える巨躯。
鋼のような筋肉。
褐色の肌。
湾曲した二本角。
悪魔部隊指揮官――ティグリス。
その歩みは力強い。
本来なら。
……そうであるはずだった。
「…………」
足が止まる。
周囲の悪魔たちが振り返る。
「頭?」
ティグリスは答えない。
ただじっと前方を見ていた。
村の中央へ続く一本道。
その道沿いに――一軒だけ。
ぽつりと明かりが灯る民家があった。
古びた木造住宅。
小さな精肉店の看板。
その文字が薄闇に浮かぶ。
――桜井精肉店。
店の明かりは既に消えている。
生活感のある、どこにでもありそうな日本の住宅。
なのに。
ティグリスの全身に。
ぶわり、と鳥肌が立った。
「……なんだ……これは……」
自分の腕を見る。
震えている。
はっきりと。
筋肉が痙攣している。
「……俺が……震えている……?」
信じられない。
これまで数百の戦場を渡ってきた。
竜種とも戦った。
退魔師の精鋭も殺してきた。
なのに。
ただの民家を前にして。
本能が警鐘を鳴らしている。
行くな。
近づくな。
見るな。
関わるな。
脳ではなく。
もっと原始的な部分が絶叫していた。
――あそこには行ってはいけない。
ティグリスが歯を食いしばる。
「……ありえん」
額に汗が流れる。
だが。
逆に気になった。
ここまで本能が拒絶する理由。
確認しないわけにはいかなかった。
ゆっくり顎をしゃくる。
「あそこを調べろ」
五体の悪魔が前へ出る。
「了解」
残り二十五体は家を囲むように展開した。
ティグリスはまだ動けない。
ただ家を見ている。
嫌な予感が止まらない。
五体の悪魔が玄関へ向かう。
ガラガラガラ……
引き戸が開いた。
中は暗い。
その先――和室。
そこに。
老婆がいた。
小柄。
やせ細った背中。
白髪を団子にまとめている。
腰は少し曲がっている。
どう見ても普通の老人。
仏壇の前で手を合わせていた。
「……ナンマイダ……ナンマイダ……」
静かな声。
おりんの音。
チーン……
悪魔の一体が鼻で笑う。
「なんだよ。ただのババアじゃねえか」
爪を伸ばす。
ゆっくり背後へ近づく。
そして。
躊躇なく振り下ろした。
グシャッ。
鋭い爪が老婆の背中を貫く。
肉を裂く感触。
完全に致命傷。
……のはずだった。
しかし。
老婆は止まらない。
「ナンマイダ……」
チーン……
おりんが鳴る。
悪魔の顔から笑みが消えた。
「……は?」
老婆が。
ゆっくり立ち上がる。
背中には深々と爪が刺さったまま。
まるで痛覚そのものが存在しない。
ゆっくり。
ゆっくり。
振り返る。
その瞬間。
全員が凍った。
老婆の瞳。
黒目が細く縦に裂けていた。
爬虫類。
蛇。
いや――
人類ではない。
次の瞬間。
バシュッ。
手刀が振られる。
悪魔の首が。
綺麗に左右へ分離した。
「なっ――」
その瞬間だった。
老婆の腕が変形する。
皮膚が裂ける。
下から現れる緑色の鱗。
骨格が変わる。
指先が鋭利な鉤爪へ。
足が膨張する。
バキバキバキッ!!
爬虫類めいた巨大な脚部。
鋭い爪。
次の瞬間。
消えた。
いや。
見えなかった。
残る四体の悪魔の間を――何かが通過した。
次の瞬間。
ドバァァァァッ!!
四体同時。
首と胴体が分離。
血が噴水のように天井へ吹き上がる。
静寂。
家の中は一秒で終わった。
老婆――桜井がゆっくり耳元に触れる。
何もない空間に通信が繋がる。
声色は冷たい。
完全に別人だった。
「……本部応答願います」
僅かなノイズ。
そして無機質な声。
『No.94。報告せよ』
「現住生物より攻撃を受けた」
ティグリスたちは外で凍っていた。
嫌な予感。
それが現実になった。
「潜伏先拠点周辺に二十五体」
桜井の目が冷たく光る。
「探索命令地域周辺……推定百五十体」
数秒沈黙。
『……迎撃許可を承認する』
「増援を要請」
『即応可能近接戦闘型レプリカント四体』
『No.9』
『No.16』
『No.54』
『No.88』
『現地へ急行』
「了解」
通信が終わる。
しかし再びノイズ。
最後の命令が届く。
その声は重い。
冷たい。
絶対命令。
『追加オーダーを発令する』
桜井の片目に炎が灯った。
『サーチ・アンド・デストロイ』
一秒。
沈黙。
『繰り返す』
『サーチ・アンド・デストロイ』
その瞬間。
空間が歪んだ。
まるで水面に石を落としたように。
ぐにゃり、と現実が揺らぐ。
そこから四つの影が現れた。
サラリーマン。
セーラー服の女子高生。
ランドセルを背負った少年。
腰の曲がった老人。
一見。
どこにでもいる日本人。
……しかし。
次の瞬間。
全員の瞳が縦に裂ける。
ギョロリ。
腕が変形する。
鱗。
鉤爪。
筋肉の膨張。
女子高生が槍を構える。
老人が刀を抜く。
少年が笑う。
全員。
感情がない。
ただ殺意だけ。
桜井が静かに言う。
「掃討戦を開始する」
外にいる悪魔たちはまだ知らない。
自分たちが今から戦う相手を。
悪魔?
退魔師?
そんな次元ではない。
彼らが今、敵に回した存在。
それは。
恒星間文明の歴史において。
最も危険。
最も凶悪。
最も残虐と記録された――
宇宙最悪の戦闘種族。
レプティリアン。
そして。
西山戦線は今。
地獄へ変わる。
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