第70話 忍は影に生き、獣は誇りに死す ――東山に散った二人の戦士―
袈裟懸村 東山 ―― 防衛線外縁部
夜だった。
月は雲に半分隠れ、森の中には湿った土の匂いが満ちている。
枝葉が風で揺れるたび、不気味なざわめきが山中を包み込んでいた。
その暗闇の中――
十体の悪魔たちが麓へ向けて進軍していた。
角を生やした者。
羽を持つ者。
獣の顔を持つ者。
人間の理を外れた異形の軍勢。
その中央を歩くのは、一際大きな豹頭の悪魔だった。
筋肉の塊のような褐色の肉体。
鋭利な牙。
全身を覆う獣毛。
その歩みには、圧倒的な自信が滲んでいる。
豹頭の悪魔――レオパルドゥス。
「ヒューマンどもめ……」
低い声が漏れる。
「一方的な虐殺になると思ったが……思ったより楽しめそうじゃねえか」
口元が吊り上がる。
その瞬間。
――ヒュン。
空気を裂く音。
次の瞬間。
「がはっ!!」
最後尾を歩いていた悪魔の喉に手裏剣が深々と突き刺さった。
鮮血が吹き上がる。
「なっ!?」
「どこだ!!」
悪魔たちが一斉に周囲を見渡す。
しかし。
ヒュン。
ヒュン。
「ぐああっ!!」
今度は背後。
別の悪魔の肩と首筋に手裏剣が突き刺さる。
「クソッ!! どこにいる!!」
次の瞬間――
頭上から影が落ちた。
キィィィン!!
火花が散る。
鋭い爪とクナイが激突した。
そこに立っていたのは――
黒装束。
顔の下半分を覆う布。
背丈は高い。
そして何より。
月明かりに照らされたその肌は、漆黒だった。
まるで闇そのものを人間にしたような男。
静かに、そこに立っている。
ただそれだけなのに。
圧倒的な殺意が空間を支配していた。
豹頭の悪魔がゆっくり笑う。
「……ほう」
爪を構える。
「貴様……かなりの手練れだな」
静寂。
風が吹く。
「俺の名は……レオパルドゥス」
獣の瞳が細まる。
「貴様、名は」
男は小さく答えた。
「……黒煙」
声に感情はない。
クナイを逆手に握る。
「お命……頂戴」
沈黙。
そしてレオパルドゥスが後ろにいる悪魔たちに言う。
「おい」
誰も動かない。
「手ぇ出すんじゃねえぞ」
牙を見せる。
「こいつは……俺の獲物だ」
後方の悪魔たちが一歩下がる。
「……頭、ご武運を」
彼らはそのまま山を降りていった。
二人だけが残る。
レオパルドゥスが笑う。
「お前……強いな」
森がざわめく。
「こんな田舎まで来た甲斐があったぜ」
黒煙は僅かに腰を落とす。
「……拙者、忍ゆえ」
静かな声。
「正々堂々など……無用」
その瞬間。
二人が消えた。
――ギィン!!
火花。
クナイ。
爪撃。
手裏剣。
体術。
木々の間を飛び回りながら、常人には見えぬ速度で斬撃が交差する。
ヒュン!!
車手裏剣が飛ぶ。
同時に黒煙が接近。
クナイが喉元へ。
レオパルドゥスは紙一重で回避。
「ははっ!!」
笑う。
「いい!! 最高だ!!」
爪が横薙ぎに襲う。
ビシッ。
黒煙の横腹が裂ける。
だが同時に。
ザシュッ。
レオパルドゥスの鼻先から血が流れた。
二人とも止まらない。
さらに数十合。
速度は上がる。
殺意も増す。
そして――
レオパルドゥスの瞳が光った。
(……取った!!)
爪が黒煙を真っ二つに切り裂く。
ザンッ!!
確かな手応え。
勝利を確信した。
……その瞬間。
ぼとっ。
地面に落ちた。
それは。
丸太だった。
「なっ――」
背後。
音もなく現れた黒煙。
一閃。
ズブリ。
クナイが背中深く突き刺さる。
「ぐはぁっ!!」
鮮血。
だが。
レオパルドゥスは笑った。
振り返りざま。
爪が閃く。
ビシィッ!!
今度は黒煙の胸が深く裂けた。
血が飛ぶ。
二人同時に距離を取る。
レオパルドゥスが血を吐きながら笑う。
「やるじゃねえか……」
ゆっくり顔を上げる。
その瞳が赤く染まった。
「じゃあ……俺もやるぜ」
ゴキゴキゴキゴキッ――
骨が軋む。
筋肉が膨張する。
牙が伸びる。
毛並みが逆立つ。
全身が巨大化していく。
もはや豹ではない。
獣そのもの。
ビーストモード。
「グルルルルルルルル……」
低い唸り声が森を震わせる。
対する黒煙。
スッ……
闇の中へ消える。
気配が消えた。
完全に。
森そのものになった。
レオパルドゥスの耳が動く。
鼻が空気を嗅ぐ。
(……そこだ!!)
右後方へ突撃。
爪を振るう。
「ぐはっ!」
血が飛ぶ。
黒煙が吹き飛ぶ。
レオパルドゥスが勝利を確信した。
(取った――!!)
その瞬間。
ズブリ。
腹部にクナイが刺さった。
「……なに?」
振り向く。
そこには。
七人。
七人の黒煙。
全員がクナイを構えている。
「……分身……だと」
七人が同時に襲いかかる。
手裏剣。
蹴り。
クナイ。
爪。
斬撃。
嵐のような攻撃。
全てが終わった時。
七人は一つへ戻った。
黒煙が最後の一撃へ踏み込む。
「……お命頂戴!!」
しかし。
レオパルドゥスは笑った。
「……いいぜ」
ズブリ。
巨大な爪が黒煙の腹を貫く。
「が……ぁ……!!」
膝をつく黒煙。
レオパルドゥスが満足そうに笑う。
「見事……だ……」
その瞬間。
ゴフッ。
血を吐いた。
背中から刀が突き出ている。
背後。
そこには。
もう一人の黒煙。
最後まで隠していた本体。
静かに刀を握っている。
「……見事でござる」
レオパルドゥスが薄く笑う。
「……はは」
「そういう……ことか」
黒煙が小さく頷く。
「忍びは……虚実を操るもの」
静かな声。
「騙してこそ……本質」
沈黙。
レオパルドゥスがゆっくり空を見る。
「……楽しかったぜ」
それは敗北の顔ではない。
満足した戦士の顔だった。
黒煙はそっと、その目を閉じさせる。
「……御見事」
一礼。
それは敵への礼だった。
風が吹く。
木々が揺れる。
そして。
黒煙の姿は再び闇に溶けていく。
何もなかったかのように。
東山の戦いは――
静かに終わった。
だが。
袈裟懸村防衛戦は、まだ始まったばかりだった。
三つ巴の地獄は。
これからが本番である。
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