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第64話 彼女が怯えていたから一生守ると誓ったら、気づけば結婚後の人生設計まで全部決められていた件

 ――その夜。


 和人のマンション。


 リビングには妙に重い空気が漂っていた。


 ソファに座る律子は、膝を抱え込みながら小さく震えている。


「……うそでしょ……」


「……いやいや……ない……ないって……」


「……次の面接とか……聞いてない……」


 青ざめた顔。


 焦点の合わない瞳。


 ぶつぶつと独り言を繰り返すその姿は、どう見ても精神的に追い詰められていた。


 もちろん原因は――


『世界解放戦線 ガイアリベレイター』


 あの常軌を逸した秘密結社への強制加入である。


 パンツ一丁の英雄王。


 喋る熊。


 段ボール科学者。


 ブリキの魔女狩り。


 宇宙人。


 ゴスロリの超越者。


 ……思い出すだけで胃が痛い。


 だが。


 当然そんな事情を知らない和人は、完全に勘違いしていた。


(……悪魔のことだ……)


(きっと怖いんだ……)


 隣で腕を組んでいたマリアが深いため息を吐く。


「はぁ……」


「ほんと情けないわね、あんた」


「え?」


 マリアは鋭く指を突きつけた。


「あんたが頼りないから律子様が不安になるのよ」


「男なんだからこういう時くらい、ちゃんとしなさい」


「例えば?」


 マリアは胸を張る。


「――例えどんなことがあっても君を守る」


「くらい言いなさいよ」


 和人が真っ赤になる。


「い、いや……それは……」


「……二人きりの時に言うよ……」


「だからヘタレなのよ」




 深夜。


 寝室。


 窓から月明かりが差し込んでいた。


 静かな夜。


 ベッドの端に座る律子はまだ小刻みに震えていた。


「……吟遊詩人……」


「……壺売る僧侶……」


「……次回面接……まだあるとか……」


 完全に秘密結社のことである。


 しかし和人は違った。


(……こんな律子……見ていられない……)


 拳を握る。


 決意する。


 

 次の瞬間――


 ぎゅっ。


「……え?」


 律子の身体が跳ねた。


 和人が。


 自分から。


 強く抱きしめていた。


「えっ……えっ……えぇぇぇぇぇっ!?」


 律子の思考停止。


 顔が一瞬で真っ赤になる。


 いつもなら距離を置く和人。


 不用意に触れようとしない和人。


 そんな彼が今日は違う。


 しっかりと。


 優しく。


 その身体を胸に抱いていた。


 和人の鼓動が伝わる。


 体温が伝わる。


 近い。


 近すぎる。


 律子の呼吸が乱れる。


(ちょ……近い……!!)


(無理無理無理……!!)


(鼻血出る……!!)


 和人が震える声で言った。


「……律子」


「ごめん……俺が頼りなくて……」


 律子が目を見開く。


(……えっ)


 和人は真っ直ぐ見つめてくる。


 今まで見たことがないくらい真剣な目だった。


「……何があっても」


「君だけは守るから」


 そのまま――


 そっと唇が重なった。


「……んっ……」


 律子の肩がびくりと震える。


 優しい。


 熱い。


 柔らかい。


 普段臆病な和人とは思えないくらい、今日は積極的だった。


 時間が止まる。


 長く。


 静かに。


 ようやく唇が離れる。


 律子はぼんやりした顔のまま見上げていた。


(……だめ……)


(好き……)


(好きすぎる……)


(もう死んでもいいかも……)


 和人が真っ直ぐ見つめる。


「俺は……」


「君さえいてくれれば何もいらない」


 律子。


 完全停止。


「……ほんとに?」


「ああ」


「ほんとに……ほんと?」


 和人は迷わない。


「うん」


「君さえいるなら……全部失っても構わない」


 


 ――カチッ。


 

 その瞬間。


 律子の中で何かが切り替わった。


 瞳が鋭くなる。


 元聖女の思考回路、高速起動。


(……待って)


(今……かなり重要な発言したわよね)


(これ……いける)


(完全にいける)


(勝負どころよ)


 にやり。


 かつて魔王討伐を導いた軍師の顔になる。


 だが表情は可愛いまま。


 上目遣い。


 少し潤んだ瞳。


 完璧だった。


「……じゃあ……お願いがあるんだ……」


 和人。


 即答。


「いいよ」


 律子停止。


「……え?」


「……まだ何も言ってないよ?」


 和人が優しく笑う。


「律子のお願いだから」


(きたぁぁぁぁぁぁ!!)


(今日ちょろい!!)


(最高!!)


 心の中でガッツポーズ。


 律子は身体をさらに擦り寄せる。


 胸元が柔らかく押し当たる。


 わざとだった。


 完全にわざとだった。


 和人が一瞬固まる。


(効いてる)


(よし)


 律子は甘い声を出した。


「……もし……生きてたらだけど……」


「高校卒業したら……正式に結婚したい……」


 和人。


「うん」


「そうだね」


(一個目確保)


 

「あとね……お姉ちゃん夫婦と同居したいの……」


「私たち……姉妹しかいないから……離れたくない……」


「みんなで子育てしたいな……」


 和人。


「うん、いいよ」


(二個目確保)



「それと……私……もう働きたくない……」


「向こうでいっぱい働いたし……疲れちゃった……」


「専業主婦で……和人支えたい……」


 和人。


「うん」


「分かったよ」


(三個目確保)


 律子、止まらない。


「できれば……子供五人欲しいの……」


「家族……みんな死んじゃったから……」


 悲しそうな顔。


 演技百点。


 和人の目がさらに優しくなる。


「うん」


「僕も子供好きだから」


(四個目確保)


(勝った)


(完全勝利)


 律子は勢いよく抱きついた。


「和人……大好き……」


 再び唇を重ねる。


 短く。


 甘く。



 そのまま胸に顔を埋める。


 ……見えない位置で。


 ゆっくり口角が上がった。


(……ふっ)


(ちょろい)


(びっくりするくらいちょろい)


(満額回答いただきました)


(言質完了)


(もう逃がさない)


(ふふふふふ……)


 嬉しさで肩が震える。


 だが。


 和人はまた勘違いした。


(……まだ怖いんだ……)


 ぎゅっとさらに抱きしめる。


「大丈夫」


「絶対守るから」


 律子は小さく笑った。


「……さっきの言葉」


「忘れないでよ?」


「……もう取り消せないんだから」


 和人は真っ直ぐ頷く。


「うん」


「律子のお願いなら何でも聞くよ」



 ――逃げ道、完全消滅。


 その瞬間。


 律子の未来視が発動する。


 頭に映る未来。


 大きな家。


 姉夫婦との同居。


 庭を走り回る子供たち。


 一人。


 二人。


 三人。


 四人。


 五人。


 そして。


 幸せそうに笑う和人。


 律子の肩がまた震えた。


(……勝ったわ)


(完全勝利)


(もう人生設計終わった)


(笑いが止まらない……)


 和人はさらに抱きしめる。


「いいよ」


「律子のお願いなら……何でも」


 律子。


(追加で逃げ道塞いだ……)


(最高すぎる……)



 窓の外。


 遠くで犬が鳴く。


 ワオォォォーン……


 静かな夜だった。


 そして和人はまだ知らない。


 自分が今。


 人生数十年分の契約書を。


 一切確認せず。


 満面の笑みでサインしてしまったことを。


 


 ――続く。



☆ここまで、読んでくださり、ありがとうございました。


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