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第58話 悪魔博士はクマのぬいぐるみでした。なお明日は地獄の面接らしい。

 和人は、スマホを握り締めていた。


 握りすぎたせいで、じっとりと手のひらに汗が滲んでいる。


 ここは自宅マンション。


 いつもなら、律子が夕飯を作り、マリアがのんびりテレビでも見ているはずの、ありふれた日常の空間。


 ……だが今は違った。


「……『バンティン・シャモア』」


 和人が、低く呟く。


 その名を聞いたスマホの向こうから、少し間を置いて声が返ってきた。


『……聞かないねぇ』


 母――戮子だった。


 妙に落ち着いた声。


 だが、その声音からは明らかに警戒が滲んでいる。


 和人はゆっくりと視線を横へ向ける。


 ソファの上。


 律子がいた。


 両腕で、自分の身体を強く抱き締めている。


 肩が震えていた。


 呼吸は浅い。


 唇は青白くなっている。


 まるで極寒の雪山に放り込まれたかのように、ガタガタと身体を震わせていた。


 その隣では、マリアが心配そうに背中をさすっている。


「どうしたらいい……」


 思わず漏れた和人の声。


 すると、スマホの向こうから母が吐き捨てるように言った。


『あんた……結婚したんだろ』


 その言葉に、和人の脳裏に浮かぶ。


 ――魂の誓約。



 もう後戻りできない。


 あの日、自分は決めたのだ。


「……うん」


 和人は迷わず答える。


 すると戮子は即座に言った。


『自分の女だろ』


『あんたが守んな』


 一瞬だけ、和人は目を閉じる。


 そして。


「……うん」


 今度は、迷いなく答えた。


 真っ直ぐに。


 強く。


 すると母が続ける。


『……とはいえ』


『もう、あんたたちだけの問題じゃないね』


「じゃあ……!」


 和人の表情が少し明るくなる。


 だが次の一言で凍った。


『父さんが決めるよ』


『どうするかは』


「……えっ」


 一気にテンションが落ちる。


 あの父が出てくる。


 それはつまり――普通では済まないということだ。


 だが。


 その時だった。


「……いや……いや……来る……来る……」


 律子が青ざめた顔で何かを呟き続けている。


 瞳に焦点が合っていない。


 完全に怯えきっていた。


 その姿を見て。


 和人は静かにため息をつく。


「……うん。わかった」


 通話終了。


 スマホをポケットへしまう。


 そして。


 和人はゆっくり律子へ近づくと―― 


「大丈夫だから」


 そっと抱き締めた。


 ビクリ、と律子の身体が跳ねる。


 伝わってくる。


 速すぎる鼓動。


 震え。


 怯え。



 ――その瞬間だった。



 ポケットの中。



 鍵が。



 ドクン。



 脈打った。


 

 ドクン。


 

 ドクン。


 


 ドクン。



 まるで何かが目覚めようとしているかのように。


 不気味に。


 激しく。


 


 そしてその頃――


 


 カフェ《フランク》。


 カラン。


 


 静かな音を立ててドアが開いた。


「お、来たね」


 既にテーブルには三人。


 箱崎

 信人

 佐知子


 三人は資料を広げ、何やら真剣な顔で打ち合わせをしていた。


「では前日には村人全員を避難させましょう」


 信人が資料をめくる。


「金曜夕方から全員で温泉旅行です」


「既に予約は済ませています」


「相変わらず仕事が早いのう」


 箱崎が満足そうに頷いた。


 その時だった。


「……彼女がそうなのかい」


 聞いたことのない声。


 聖子が振り向く。


 誰もいない。


 ……いや。


「飲まなきゃやってられないなぁ〜」


「佐知子、スコッチ出してよ」


 声は――テーブルの上から聞こえた。


「はいはい」


「飲みすぎると人格変わるから程々にね」


「いいんだよ」


「これボランティアだろ?」


 聖子が固まる。


 テーブルの上。


 そこにあった。


 一体の熊のぬいぐるみ。


「……え?」


 箱崎が紹介する。


「紹介するぞ」


「熊田雄一郎じゃ」


「悪魔研究では右に出る者はおらん」


 次の瞬間。


 ぬいぐるみが――立ち上がった。


「やあ」


「熊田です」


 ひらひらと手を振る。


 沈黙。


 聖子、フリーズ。


「…………え?」


 恐る恐る持ち上げる。


 ひっくり返す。


「ラジコン?」


「スピーカー入ってる?」


 バチン!!


 突然、ぬいぐるみが聖子の手を叩いた。


 そのままテーブルに着地。


「なんたることだ!!」


「セクハラだぞ!!」


「異性の下腹部をそんなにジロジロ見るとは!!」


「破廉恥な!!」


 胸をバンバン叩くクマ。


「自分だって異世界人のくせに偏見というものだぞ!!」


「えっ……えええええええええええええええ!?」


 聖子、絶叫。


 


 数分後。


 熊田は顎に手を当てていた。


「ふむ……妹さんが呪いを受けた、と」


 スコッチを一口。


「相手はバンティン・シャモアか……」


「……めんどくさいな」



「その……君の妹」


 熊田が聖子を見る。


「成川家に嫁いだんだよね?」


「……はい」


 聖子が小さく頷く。


 すると熊田は即答した。


「じゃあ向こうは大丈夫だよ」


「……え?」


「なんで言い切れるんですか?」


 熊田は笑う。


「知らない方がいいよ」


 そのまま視線を信人へ向ける。


「ね?」


 信人は苦笑した。


「蛇の道は蛇……ってやつだね」


「むしろ危険なのはこっちだ」


 熊田は再びスコッチをあおる。


 佐知子が資料を差し出した。


「あんたが協力してくれれば勝てるわ」


「武器は?」


 信人が即答する。


「法儀式済み徹甲弾」


「地雷」


「水銀弾頭」


「モーターガン」


「通常火器一式」


 一拍置いて。


「さらに村全体を聖水ミストで包みます」


 熊田が笑う。


「いいねぇ」


「地形的にも守りやすい」


「おびき寄せて包囲殲滅戦だ」


「聖子には狙撃を頼もうと思う」


 佐知子が頷く。


「向こうの狙いは聖子ちゃん」


「逃げ回って誘導して罠にかける」


 聖子は四人を見回した。


 ……いや。


 四人と一匹。


(……勝てそう)


(百体の高位悪魔相手に)


(この人たち……本気で勝つつもりだ)


 視線がクマに止まる。


(クマのぬいぐるみ……悪魔……)


(……悪魔のぬいぐるみ……)


(あっ……クマのぬいぐるみ……)


 その瞬間。


「今」


 熊田がゆっくり顔を上げた。


「悪魔のぬいぐるみとか考えたでしょう」


「ひっ!?」


「い、いや……そんなことないよ?」


 露骨に目を逸らす聖子。


 熊田は肩をすくめた。


「まあいいや」


「でも戦力が足りないね」


「あと何人か欲しい」


「しかも……戦える連中」


 箱崎がニヤリと笑う。


「うむ」


「仕方ないのう」


 佐知子が紅茶を置く。


「明日は面接ね」


「……面接?」


 聖子が首を傾げる。


 箱崎が笑う。


「明日来い」


「もちろん妹もじゃ」


「コネで入れてやる」


「ここだけの話じゃぞ」


 すると。


 クマが即座にツッコんだ。


「相談役の僕の前で言わないでくれるかなぁ」


 聖子はまだ知らなかった。


 翌日。


 自分と律子が。


 人生で最も意味不明な――


 地獄の面接


 を受けることになるなど。


 まだ。


 知る由もなかった。


 ――続く。



☆ここまで、読んでくださり、ありがとうございました。


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