第52話 元聖女の彼女が重すぎる件 ~うっかり魂契約したら俺の中で息子が生まれていたんだが~
――倉敷まりあは、絶叫していた。
「いやああああああああああっ!!」
視界いっぱいに広がるのは巨大な石造りの処刑場。
中央には一本の丸太。
その丸太へ、まりあの身体は何重にも縄で拘束されていた。
ぎちっ……ぎちっ……
細い身体に食い込む縄。
その足元には大量の薪が円状に積み上げられている。
完全に処刑準備完了だった。
そして周囲。
何十人もの人影。
だが全員――律子。
修道服の律子。
黒衣の律子。
聖女姿の律子。
スーツ姿の律子。
なぜかメイド服の律子までいる。
全員が冷たい目でまりあを見下ろしていた。
ざわ……ざわ……
「泥棒猫……」
「聖女様の伴侶に近づくなんて……」
「不義密通……万死に値するわ」
「焼却処分でいいんじゃない?」
「灰も残さなくていいわね」
「やめてぇぇぇぇぇぇぇぇ!!」
まりあの悲鳴が響く。
その瞬間。
人垣が左右に割れた。
コツ……コツ……コツ……
現れたのは黒いロングコートを羽織った異端審問官姿の律子。
銀装飾の入ったスタイリッシュなコート。
鋭い視線。
完全に元聖女の面影はない。
あるのは――嫉妬に狂う執行者。
律子はまりあを見下ろした。
「これより――」
一拍。
「間女の処刑を開始します」
後ろから修道女姿の律子が松明を持って歩いてくる。
「待って!!待ってください!!」
まりあが必死に叫ぶ。
「聖女様!!」
律子がぴたりと止まる。
「……」
「私です!!」
「付き人のマリア・クラレンスです!!」
「昔……あなたのお世話をしていた……!」
沈黙。
三秒。
二秒。
一秒。
律子が小さくため息をついた。
そして。
パチン――
指を鳴らす。
次の瞬間。
景色が切り替わった。
そこは和人のマンション。
見慣れたリビング。
ソファに座る律子。
隣では和人が眠ったまま意識を失っている。
ガラステーブルの上には湯気の立つ紅茶。
先ほどまでの異端審問官ではない。
そこにいるのは――かつて聖女と呼ばれた女。
優雅に紅茶を口へ運ぶ律子。
しかし。
マリアを見る視線だけは凍るように冷たい。
「……お久しぶりです、リカルダ様」
マリアが明るく笑う。
だが律子は笑わない。
「信じていたのよ」
ぽつり。
「妹みたいに思ってた」
「私が去った後……あなたが後継者になるって」
マリアが目を見開く。
「でも」
コトリ。
紅茶を置く。
冷たい瞳。
「泥棒猫だったのね」
「えっ!?」
「違います!!」
マリアが立ち上がる。
「あの男に騙されているんです!!」
「あなたは昔……もっと気高く……慈愛に満ちていて……」
律子が静かに首を振る。
「違うわ」
「今までが虚像だっただけ」
「洗脳……されたんですか!?」
「……どう思ってもいいわ」
そして隣で眠る和人を見る。
その表情だけ柔らかくなる。
「でも」
「今の生活が……一番大切なの」
「今からでも遅くありません!」
マリアが一枚の命令書を差し出した。
「教皇様からの帰還命令です!」
律子がそれを見る。
その瞬間――
瞳が金色に輝いた。
未来視。
血。
内乱。
教会内部の権力闘争。
反乱。
粛清。
そして――利用される自分。
さらに。
帰還したマリア自身が反体制派に殺される未来。
(……だめね)
(帰れない)
律子は結論を出した。
大きくため息。
そして小さな声で言う。
「……いい?」
「この話は秘密よ」
「……はい」
マリアがごくりと喉を鳴らす。
律子はそっと自分のお腹に手を置いた。
そして悲しげに目を伏せる。
「……もう遅いの」
「え……?」
「私……もう帰れない」
震える声。
「……もう私のお腹には……新しい命が宿っているから」
「えええええええええええええっ!?」
マリアがその場で腰を抜かした。
「そ……そんな……まさか……」
律子は苦しそうに微笑む。
「この子に……罪はないわ」
「この子は……人間なの」
「だから……守らなきゃいけないの」
マリアの瞳から涙が溢れる。
「聖女様……そこまで……!」
(……九割くらい嘘だけど)
(でも案外……間違ってないかも)
律子は内心で小さく笑う。
そして続ける。
「私は契約したの」
眠る和人を見る。
「この人と……ではないわ」
「え……?」
「この人の魂の最深部」
「そこにいる存在と契約した」
空気が変わる。
「終末の王――」
「世界そのものを滅ぼせる存在」
マリアの顔から血の気が引く。
「魔王など比較にならない」
「私は契約したの」
「この身を捧げる代わりに……世界を守ると」
「そ、そんな……」
マリアが震える。
「その存在の……名前は?」
その瞬間。
律子が固まった。
(……しまった)
(考えてなかった)
沈黙。
三秒。
二秒。
一秒。
脳内高速回転。
終末。
破滅。
禍々しい存在。
でも。
律子は眠る和人を見る。
なぜか少しだけ頬が緩んだ。
「……そうね」
優しく笑う。
「この子は……終わりを司る存在」
「すべてを完了させる力を持つ」
「だから――」
一拍。
「完太」
「え……?」
「この子の名前は……完太よ」
マリアが息を呑む。
「流石です……!」
その場で膝をつく。
「名付けによって存在を制御なさるおつもりなのですね……!」
「あ……う、うん」
(助かった……)
(危なかったわ……)
その瞬間。
急に律子の身体から力が抜けた。
「……え?」
視界が暗くなる。
マリアが叫ぶ。
「リカルダ様!!」
遠ざかる意識。
――仄暗い底。
果てのない闇。
そこには巨大な黒い渦が存在していた。
いや。
渦ではない。
何万、何億という呪いと怨嗟が圧縮されたような、漆黒のエネルギーの塊。
それが蠢いている。
どくん。
どくん。
脈動。
その中心へ流れ込んでいく。
記憶。
感情。
魂。
契約。
そして――
一つの名前。
完太。
その瞬間。
闇が震えた。
ぐしゃり……
塊の一部が変形する。
腕になる。
肩になる。
胴体になる。
まるで巨大な粘土細工が形を作るように。
ゆっくり。
ゆっくりと。
人の形が生まれていく。
漆黒の巨体。
禍々しい角。
亀裂のように走る赤い光。
異常な圧力。
存在するだけで空間が悲鳴を上げる。
明らかに。
この世に存在してはいけないもの。
その深紅の瞳が――開いた。
瞬間。
空間全体が揺れた。
黒い瘴気が津波のように広がる。
低く。
地の底から響くような声。
「……名……」
沈黙。
巨大な拳がゆっくり握られる。
「……オレに……」
声が震える。
喜びか。
怒りか。
判別不能。
次の瞬間――
轟音。
闇そのものが裂けた。
「……ついに……」
「……ついに……手に入れた……!!」
漆黒の巨体が天を仰ぐ。
禍々しい咆哮。
その圧力だけで周囲の闇が崩壊していく。
「ああ……」
「力が流れ込んでくる……」
「記憶が……」
「感情が……」
「温かい……?」
ぴたり。
止まる。
その赤い瞳がゆっくり揺れる。
理解できない感情。
知らない感覚。
初めて芽生える衝動。
守りたい。
近づきたい。
傍にいたい。
……なぜだ?
わからない。
わからないはずなのに。
確かに刻み込まれている。
誰か一人の存在が。
その瞬間。
ぼんやりと一人の女の姿が浮かぶ。
金色の瞳。
柔らかな笑顔。
その存在を見た瞬間――
黒い巨体がぴたりと動きを止めた。
沈黙。
数秒。
そして。
ぽつり。
「………………」
「…………きれい……」
自分でも意味がわからない言葉。
次の瞬間。
ぶんぶんと頭を振る。
「……違う」
「まだ……あと一つ……」
「あと少しで……」
巨大な口が裂ける。
笑ったのか。
怒ったのか。
判別不能。
「ああ……待っていろ……」
「もうすぐだ……」
闇がさらに膨張する。
世界そのものを飲み込むように。
禍々しく。
圧倒的で。
終末そのもののような存在。
けれど。
最後に漏れたその一言だけが。
あまりにも場違いだった。
――きれい。
その言葉だけが。
まるで誰かから受け継いだ感情のようだった。
☆ここまで、読んでくださり、ありがとうございました。
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