第50話 元聖女の彼女が重すぎる件――浮気してないのに火刑エンドが確定しそうなんだが
次の日――夕方。
オレンジ色に染まる空の下。
マンションの一室で、成川和人は一人、ソファに寝転がっていた。
珍しく静かな時間だった。
月戸律子は夕飯の買い出し。
ここ最近、半同棲……いや、もはや完全同棲状態になってからというもの、一人きりになる時間はかなり減った。
それ自体は嫌じゃない。
むしろ――。
「……いや、落ち着く時間は必要だろ」
ぽつりと呟いた、その時だった。
ピンポーン。
インターホンが鳴る。
「ん?」
和人は立ち上がり、モニターを見る。
そして。
「…………うわぁ」
本気で顔をしかめた。
映っていたのは。
長い赤髪。
整った顔立ち。
どこか敵意に満ちた瞳。
――倉敷まりあ。
「また来た……」
思わず天井を見上げる。
(勘弁してくれ……)
(前回、律子の異端審問会で火あぶり判決一歩手前だったんだぞ……)
だが次の瞬間。
ドンドンドンドン!!
激しくドアが揺れる。
「出なさいよ!!」
「いるの分かってんのよ!!」
マンション中に響く大声。
和人は思わず耳を塞いだ。
「帰ってくれ……」
「君のせいでこっちは大変なことになったんだから……」
脳裏によみがえる律子の笑顔。
『浮気したら……生きたまま火あぶりにするって言ったよね?』
「……うん、怖い」
しかし。
まりあは止まらない。
「いいから開けなさいよ!!」
「開けろーーーー!!」
ドンドンドンドン!!
和人は無言でソファへ戻った。
「……無視しよう」
嵐が過ぎるのを待つ。
五分。
十分。
やがて。
ぴたりと静かになった。
「……諦めたか?」
ほっと息を吐いた――その時。
「ぎゃああああああああ!!」
突然。
ベランダの方から悲鳴が響いた。
「!?」
和人は飛び起きる。
慌ててベランダへ向かった。
ガラッ。
窓を開ける。
そして下を見る。
「……いない?」
誰もいない。
すると。
「そっちじゃないわよ!!」
頭上から声。
「え?」
見上げた。
そこには――
「……は?」
まりあがいた。
上階から伸びた雨どいにしがみつき、必死の形相でぶら下がっている。
「なにしてるの……」
「助けなさいよ!!」
「いや、なんでそこにいるの!?」
「いいから早く!!」
その拍子に。
ふわっ――。
スカートがめくれた。
純白。
一瞬だけ視界に飛び込む。
和人、硬直。
まりあ、顔面真っ赤。
「ちょっ……!」
「あんた何見てんのよ!!」
「ご、ごめん!!」
「じゃあ帰るね」
「待ちなさいよ!!」
「助けてって言ってるでしょうが!!」
その瞬間。
ぬるっ。
「あ」
まりあの手が滑った。
「え?」
一瞬だった。
ふわりと舞う赤髪。
白い太もも。
視界いっぱいに広がるスカート。
次の瞬間。
どすぅん!!
「ぐええええっ!!」
まりあが真上から落下。
見事に和人の顔面へ跨る形で着地した。
「いたた……」
「な、なんとか助かった……」
「いや全然助かってな――」
そこで。
ひらり。
一枚の写真が落ちる。
ベッドの上。
下着姿のまりあ。
上半身裸の和人。
どう見ても事後。
明らかに雑な合成。
チープ。
低予算感すごい。
「…………なにこれ」
「証拠写真よ」
「雑すぎない?」
その時だった。
ガチャ。
玄関が開いた。
聞こえる。
いつもの声。
「ただいまー、和人さん♪」
律子だった。
買い物袋の擦れる音。
軽い足音。
リビングへ入ってくる。
そして――止まる。
沈黙。
三秒。
二秒。
一秒。
和人の顔に跨るまりあ。
床に散らばる写真。
妙に艶っぽい構図。
律子の持っていた買い物袋が床に落ちた。
ころころ、と玉ねぎが転がる。
律子の目から光が消えた。
「…………え?」
たった一文字。
なのに。
和人の背筋が凍る。
「違う!!」
「違うから!!」
だが。
律子は聞いていない。
その瞳はもう現実を見ていなかった。
――律子の脳内世界。
そこでは。
ドロドロの昼ドラが始まっていた。
まりあが和人に抱きついている。
勝ち誇った笑み。
「ごめんねぇ」
「和人って優しいから」
「泣いたら断れないのよ」
「そういうところ……好きなの」
和人が笑う。
優しく。
甘く。
「律子は重いんだよ」
「毎日毎日、愛が重すぎる」
「やっぱり若い子かな」
まりあが腕を絡める。
「本命は私」
「あなたは遊びだったの」
律子の瞳が揺れる。
「違う……」
まりあが笑う。
「負けたのよ」
「あなたは捨てられたの」
「違う……」
「和人は私のもの」
「違う……」
「もう必要ないの」
「違う違う違う違う違う違う違う違う違う違う――」
現実世界。
「……リカルダ様?」
まりあが怪訝そうに見る。
律子は俯いていた。
肩が震えている。
「……ふ……」
小さな声。
「ふふ……」
さらに震える。
「ふふふふふ……」
ゆっくり顔を上げた。
目に光がない。
額に青筋。
背後から。
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ――。
どす黒い瘴気が溢れ始める。
和人が一歩後退した。
「……あ、やばい」
律子が笑う。
それはもう。
元聖女とは思えない笑みだった。
「……なるほど」
一歩。
また一歩。
二人へ近づく。
「そういうことなんですね……」
まりあが後退る。
「い、いや違――」
「黙って」
ぴしゃり。
空気が凍る。
律子はにっこり笑った。
とても綺麗な笑顔だった。
だからこそ怖い。
「あなたたち……」
青筋が浮かぶ。
「このまま帰れるとか……」
一拍。
黒い瘴気が部屋中を満たす。
「思ってませんよね?」
和人が冷や汗を流す。
「律子……落ち着いて……」
律子は優しく微笑んだ。
「大丈夫ですよ」
「まだ燃やしませんから」
「……まだ?」
にこっ。
「尋問が終わってから燃やします」
まりあの顔が引きつる。
和人、絶望。
律子はゆっくり指を鳴らした。
空間が歪む。
闇が広がる。
最後に見えたのは。
律子の満面の笑み。
「次は――」
「逃がしませんよ?」
ぱちん。
世界が暗転した。
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