第43話 あなたの居場所になりたい。
父・久男が訪ねて来て以来。
和人は時折、窓の外を眺めていた。
ぼんやりと。
何かを考えるように。
何かを思い出すように。
その横顔はどこか寂しい。
律子は気付いていた。
何かある。
きっと過去だ。
きっと痛みだ。
きっと今でも癒えていない傷だ。
聞いていいのだろうか。
踏み込んでいいのだろうか。
胸の奥がざわつく。
私は知ることができる。
スキルを使えば。
苦しみも。
秘密も。
過去も。
全部。
でも――違う。
それは違う。
知りたいんじゃない。
聞きたいんじゃない。
和人さん自身に話してほしい。
私を信じて。
私を頼って。
私に預けてほしい。
だから。
律子は立ち上がった。
決意した。
もう二度と着ないと決めた服を。
彼のために着ることを。
◇
十五分後。
ソファに座る和人。
窓の外を眺めていたその視界に。
突然。
白い影が飛び込んできた。
「じゃーん!!」
両手を広げる律子。
純白の聖女服。
白いベール。
腰紐。
錫杖。
かつて世界を救った聖女の姿。
「聖女が来ました!」
満面の笑顔。
「あなただけの聖女です!」
和人の目が見開かれる。
驚き。
戸惑い。
そして。
痛み。
律子の肩が少し震えているのを見たから。
本当は。
着たくないはずだ。
あの服は。
彼女にとって。
失った故郷であり。
失った人生であり。
失った誇りでもある。
「ごめん……」
和人が呟く。
「律子にこんなことまでさせて」
「僕の方が大人なのに」
律子は首を振る。
「いいんです」
そして胸を張る。
「今の私はリカルダ・ゲッテルです」
「恋愛相談」
「人生相談」
「懺悔」
「なんでも承ります」
「経験豊富」
「百戦錬磨」
「秘密厳守です」
胸を張る。
だが次の瞬間。
「ただし浮気相談は対象外です」
「え?」
「浮気したら火あぶりです」
「怖っ!」
「生きたままです」
「聖女じゃないじゃん!」
律子の瞳から光が消える。
「ギルティ」
「判決早いな!?」
思わず吹き出す和人。
律子も笑う。
その笑顔を見て。
和人も少しだけ肩の力を抜いた。
◇
そして。
律子はそっと和人の膝の上へ座った。
「えっ」
顔が真っ赤になる。
「この方が伝わるんです」
首に腕を回す。
「和人さんの気持ち」
「息遣い」
「鼓動」
「全部」
耳元で囁く。
「ここまでするのは」
「あなたが初めてですから」
真っ赤な顔。
「特別です」
「嫁ですから」
小さな声。
和人は優しく頭を撫でた。
「ありがとう」
そして。
ぽつりと語り始める。
◇
「昔ね」
「父さんの後を継ぎたかったんだ」
律子は黙って聞く。
「期待されてたし」
「母さんに鍛えられたし」
「兄貴たちにも呆れられるくらい必死だった」
笑う。
でも。
その笑顔は少し寂しい。
「憧れてたんだ」
「父さんに」
「母さんに」
「強い人たちに」
だから。
追いかけた。
必死に。
必死に。
必死に。
だけど。
「ある日言われた」
和人は遠くを見る。
「お前は向いてない」
律子の胸が痛む。
「好きに生きろって」
「全部終わった」
夢が。
目標が。
居場所が。
全部。
失われた。
◇
「だから上京した」
棚の上の画材を見る。
「漫画描いてたんだ」
「賞も取った」
「担当もついた」
「最終選考まで行った」
「でも」
届かなかった。
あと一歩。
本当に。
あと一歩。
「才能が足りなかった」
静かな声。
諦めた人間の声だった。
律子の目から涙が零れる。
父の夢を失った。
漫画家の夢も失った。
二度。
居場所を失った人。
それが和人。
◇
「律子……?」
和人が戸惑う。
律子は首を振る。
「いいんです」
そして。
額を寄せる。
「そのままのあなたが好きなんです」
「夢を叶えられなくても」
「挫折しても」
「迷っても」
「弱くても」
「全部」
「好きなんです」
涙声。
でも。
笑顔。
「大好きなんです」
和人の瞳が揺れる。
そして。
二人の距離が消える。
唇が重なった。
優しく。
静かに。
互いの寂しさを埋めるように。
居場所を確かめるように。
窓から差し込む夕陽が。
二人を優しく照らしていた。
◇
――だが。
その光の届かない場所で。
深淵。
底のない闇。
形のない混沌。
それが蠢く。
ゆっくり。
ゆっくり。
自我を持つように。
声が生まれる。
『誰が……』
闇が揺れる。
『俺に……』
渦が膨らむ。
『居場所を与えた……?』
それは怒りか。
困惑か。
嫉妬か。
まだ誰にも分からない。
だが確かなことが一つだけある。
名もなき災厄が。
目を覚まそうとしていた。
☆ここまで、読んでくださり、ありがとうございました。
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