第30話 元剣聖の婚活事情 ~天才すぎる農家兼コンサル男子を落としたら、私のほうが嫁修行を始めることになりました~
朝。
山間の集落に差し込む柔らかな陽光。
窓の外では鳥のさえずりが響き、水田を渡る風が心地よい。
そんな穏やかな朝に似つかわしくないほど――。
「おいしい~~~~!」
食卓から歓声が上がった。
テーブルには炊きたての白米。
具沢山の味噌汁。
ふわふわのだし巻き卵。
ほうれん草の白和え。
納豆。
派手さはない。
しかし揺るがない。
日本人の魂に直接語りかけてくる王道の朝食だった。
「この味噌汁、本当に美味しい……」
律子が感動したように呟く。
「出汁が違うのかな」
和人も頷く。
「白和えも優しい味だよね」
気づけば三人とも箸が止まらない。
向かい側では信人が普通にご飯を食べていた。
自分が作った料理を褒められているのに、特に誇る様子もない。
いつも通りだ。
「お義兄さん!」
律子が勢いよく身を乗り出した。
「このレシピください!」
「いいですよ」
信人は即答する。
「今送りますね」
スマホを操作する。
数秒後。
律子のスマホが震えた。
「早っ!」
「分量、温度、火加減、工程、代替材料まで記載してあります」
「本格的すぎる!」
律子が悲鳴を上げた。
その横で聖子が遠い目をしていた。
「私……」
一同が見る。
「ここに嫁いでも、このレベルの朝食作れないんだけど……」
深刻な声だった。
本気である。
すると信人は不思議そうに首を傾げた。
「別に問題ないのでは?」
「え?」
「私が作りますから」
「え?」
「得意なことをすればいいと思います」
あまりにも自然な返答だった。
「じゃあ聖子お姉ちゃんはキャリアウーマンだね」
律子が笑う。
しかし聖子は首を振った。
「いや」
一瞬だけ真面目な顔になる。
「結婚したら家事と育児に全力投球したいかな」
そう言って少し照れながら笑った。
「母様みたいになりたいし」
その言葉に和人が頷く。
「分かる」
「信人くんも昔からそういう価値観だよね」
「そうですね」
信人も頷いた。
「でも信人くんは本当に何でもできるからなぁ」
和人がしみじみと言う。
「僕なんて家庭教師してもらって人生変わったもん」
「そうなの?」
律子が目を丸くする。
「すごかったよ」
「予想問題の的中率九五パーセント」
「は?」
「数学なんて出題の数字まで当てた」
律子の箸が止まった。
「いやいやいや」
「無理でしょ」
「可能です」
信人が普通に答える。
「教師の過去の出題傾向」
「授業内容」
「性格」
「配布資料」
「課題」
「教科書の書き込み」
「学校全体の学力分布」
「これらがあれば高確率で予測できます」
「怖い怖い怖い!」
律子が後ずさる。
「律子さんも受験するならお手伝いしますよ」
信人が続ける。
「志望校はありますか?」
「必要なら合格までのロードマップを作成します」
「勉強時間の管理」
「進捗確認」
「予想問題作成」
「生活習慣改善」
「起床から就寝まで監修できます」
一拍。
「難関大学でも一日十二時間の学習で十分かと」
「結構です」
律子は即答した。
右手を上げて全力で拒否する。
「私」
「卒業したらすぐ成川に嫁ぐんで」
そう言って隣の和人を見る。
和人が吹き出した。
「予定なんだ……」
「予定じゃないもん」
「確定だもん」
「まだ何も決まってないよね?」
「決まってるもん」
すると信人が真顔で言った。
「それなら進学の必要性は低いですね」
「むしろ家事や育児の習熟度を上げた方が合理的です」
律子が和人を指差した。
「ほらぁ!」
「やっぱりそうじゃない!」
「進学じゃなくて永久就職なんだよ~!」
顔を真っ赤にする。
「子供もいっぱい欲しいし!」
そして律子の意識が飛んだ。
保育園。
『ママー!』
元気よく手を振る息子。
『うううっ』
感動で泣く律子。
反抗期。
『うるせえクソババア』
『昔はママママ言ってたのにぃ!』
結婚式。
『お母さんみたいな家庭を作ります』
娘の手紙。
『結愛ぁぁぁぁ!』
号泣する律子。
「ふふふふふふふ……」
現実。
律子は虚空を見つめていた。
「あー」
聖子が味噌汁を飲む。
「未来に行ったわ」
「行ったね」
和人も頷く。
その間も信人は普通に食事を続けていた。
気にしていない。
慣れている。
そして聖子は静かに味噌汁を口へ運ぶ。
優しい味だった。
悔しいほど。
温かい。
(やっぱり無理だわ)
心の中で呟く。
(このレベルの料理)
(今の私じゃ作れない)
剣なら負けない。
戦場でも負けない。
でも――。
家庭では完敗だった。
(母様に顔向けできないなぁ)
苦笑する。
けれど。
不思議と嫌ではなかった。
信人は料理ができる。
勉強もできる。
働き者だ。
誰かのために動くことを苦にしない。
村の人たちに慕われている。
悔しい。
本当に悔しい。
また負けた。
料理も。
家事も。
知識も。
生き方も。
でも――。
(だからこそ)
(隣に立ちたい)
そう思った。
「佐知子さんに弟子入りしようかな……」
ぽつりと漏れる。
「え?」
信人が顔を上げた。
「いい考えだと思います」
真面目に頷く。
その反応に。
和人が吹き出した。
律子も笑った。
つられて聖子も笑う。
朝の食卓に笑い声が広がる。
そんな賑やかな時間を眺めながら。
信人だけが本気で考えていた。
(佐知子さんなら確かに最適な指導者ですね)
(弟子入りの日程を調整しておこう)
――やっぱり、この男は少しだけズレていた。
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