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第29話 元剣聖と元聖女、婚約者の実家で草刈りをする。

 山の朝は早い。


 澄み切った空気。


 眼下に広がる水田。


 放射冷却で冷やされた空気が山から吹き下ろし、夏だというのに少し肌寒い。


 そんな静寂を切り裂くように――


 ブイイイイイイイイイイイイイイッ!!


 草刈り機のエンジン音が響き渡る。


 麦わら帽子。


 ゴーグル。


 フェイスガード。


 首にはタオル。


 作業手袋。


 つなぎの作業服。


 草刈りエプロン。


 長靴。


 もはや農作業ではない。


 特殊部隊である。


 しかも四人全員。


 集落の畔を並んで刈り進んでいた。


 やがて犬神信人がエンジンを止めた。


「少し休みましょう」


 しかし誰も気づかない。


 草刈り機の音にかき消された。


 信人は少し考えた。


 そして結論を出す。


 音量が足りない。


「みなさーん。休みましょう」


 今度は聞こえた。


 聖子が振り返る。


「あ、そうね」


 エンジン停止。


 続いて律子。


 和人。


 静寂が戻ってきた。


 代わりに蝉の声が聞こえる。


「うわぁ~……暑くなってきたぁ」


 律子がタオルで汗を拭く。


「確かに」


 和人も額の汗を拭った。


 聖子は畔に腰を下ろす。


「婚活してたら草刈りしてたんだけど」


「正確には共同農地維持活動です」


 信人が訂正する。


「そういうとこよ」


 即座に返される。


 信人は軽トラックへ向かった。


 クーラーボックスを開く。


 中から二つのピッチャーを取り出した。


 麦茶。


 そして淡い緑色の飲み物。


 さらに塩飴。


 準備が良すぎる。


「どちらにしますか?」


 緑色のピッチャーを掲げる。


「それ何?」


「ソルトライムです」


「新作?」


「はい」


 少しだけ誇らしそうな顔。


「佐知子さんのレシピです」


 全員が納得した。


 この集落では、


 佐知子のレシピ=美味しい


 という方程式が成立している。


「じゃあ私それ」


「私も」


「僕も」


 三人とも即決だった。


 紙コップを受け取り、


 一斉に飲む。


 ゴクリ。


「「「美味しい!!」」」


 見事にハモった。


 ライムの酸味。


 優しい甘さ。


 程よい塩気。


 身体に染み渡る。


「なにこれ!」


 聖子が目を丸くする。


「自然な甘さ!」


「アガベシロップです」


 信人が説明する。


「血糖値の上昇が緩やかで、ミネラルも豊富です」


「へぇ」


「メキシコへ行くことがありますので」


「現地の方から頂くんです」


 聖子の脳裏をよぎる。


 燃えるピックアップトラック。


 深夜の電話。


 謎の男達。


(聞かない方がいい)


 本能が告げていた。


 この男の仕事は聞かない方がいい。


「余っていますので持ち帰ってください」


「いいんですか!?」


 律子が目を輝かせる。


「肉じゃがにも合います」


「レシピもあります」


「もちろん佐知子さんのです」


「作る!」


 即答だった。


 律子は和人を見る。


「今度作るね」


「楽しみにしてる」


 和人が笑う。


 律子の頬が緩む。


(かわいい)


 聖子は思う。


 そして隣を見る。


 信人は真顔で塩飴の在庫を確認していた。


(こっちは色気がない)


 しかし。


 その不器用さが嫌ではなかった。


「でもさ」


 律子が笑う。


「初めて来て草刈りするとは思わなかったよ」


「働かざる者食うべからず」


 聖子が肩をすくめる。


「月戸家の家訓だから」


「えぇ~」


 律子が不満そうに唇を尖らせる。


「私もうすぐ成川になる予定なんだけど」


 そして和人を見る。


 ものすごく見る。


 圧が強い。


 和人は苦笑した。


「成川の方が厳しいよ」


「え?」


「母さんなんて」


『働かないなら死にな』


「が口癖だから」


「怖っ!!」


 聖子と律子が同時に叫ぶ。


「借りは返す」


「助けてもらったら返す」


「家族でも同じ」


「僕も何回か駆り出された」


(聞かない方がいい)


 本日二回目である。


 すると信人が頷いた。


「犬神家は少し違います」


「相互扶助ですね」


「ワン・フォー・オール」


「オール・フォー・ワン」


 さらに。


「大一大万大吉です」


「急に石田三成!?」


 聖子が突っ込む。


「こっちでよかった~」


 胸を撫で下ろす聖子。


 しかし。


 信人は静かに続けた。


「結果的にはあまり変わりません」


「え?」


「最初から協力を求められるか」


「必要になってから呼ばれるか」


「その違いです」


「変わらないじゃない!」


 三人同時ツッコミ。


 信人は首を傾げる。


 本気で分からない。


 そして時計を見る。


「では」


「私と和人くんは農道沿いの木を伐採します」


「チェーンソーで」


「怖いことをサラッと言うな」


「皆さんは先に帰ってください」


「シャワーを浴びて」


「化粧を直して」


「一時間三十分後に昼食にしましょう」


 聖子と律子の顔が引き攣る。


「ほんとそういうとこだよ……」


「?」


 信人は考える。


 数秒後。


 結論が出た。


「失礼しました」


「平均値で計算していました」


「平均値?」


「成人女性の化粧時間は平均三十五分です」


「誰の統計よ!」


「公開データです」


「調べるな!」


「なるほど」


 信人は頷く。


「個人差があるのですね」


「そうよ!」


「では余裕を見て」


 一拍。


「三時間に修正します」


「増えたーーーーー!!」


 山に三人の悲鳴が響き渡る。


 蝉が一瞬鳴くのをやめるほどの大合唱だった。


 しかし信人だけは最後まで理解できなかった。


 なぜ怒られているのかを。


 そんな彼を見て。


 聖子は思わず吹き出した。


(本当に変人)


(でも――)


(こういうところが好きなのよね)


 山風が吹く。


 水田が揺れる。


 そしてまた、騒がしい一日が始まろうとしていた。

☆ここまで、読んでくださり、ありがとうございました。


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