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第3話 元聖女、留守番妻になる。

 土曜日の朝。


 成川和人は、珍しく私服姿でマンションを出た。


 グレーのパーカー。

 ラフなチノパン。

 スニーカー。


 休日の教師というより、少し気の抜けた大学生みたいだ。


「おーい、和人ー!」


 高校時代の友人らしき男たちが手を振る。


「あ、ごめん待った?」


「全然。映画間に合えばいいって」


 今日は久々の男同士の遊びらしい。


 映画。

 昼飯。

 ボウリング。

 夜は居酒屋。


 そんな会話を。


 少し離れた電柱の陰で聞いている少女がいた。


「……うん。健全」


 満足そうに頷く。


 月戸律子つきど・りつこ


 ただしその格好は。


 黒パーカー。

 サングラス。

 マスク。

 目出し帽。


 完全に職務質問対象だった。


「変なお店とか行かないか心配だったけど……」


 ふむ、と腕を組む。


「昨日のリサーチ通りなら問題なし、っと」


 なお“リサーチ”の詳細については考えてはいけない。


 律子は小さく手を振った。


「いってらっしゃい、先生♪」


 もちろん和人には聞こえていない。


 そして。


 和人たちが見えなくなった瞬間。


 律子はゆっくり振り返った。


 向かいのマンション。


 和人の部屋。


「…………」


 ごくり。


 喉が鳴る。


「ついに……来た……!」


 拳を握る元聖女。


 かつて魔王を浄化した女とは思えない顔だった。


 カチャリ。


 合鍵が回る。


 律子はゆっくり扉を開けた。


「――っ」


 その瞬間。


 大きく深呼吸する。


「……先生の匂い、すご……」


 ふらり、と玄関に寄りかかる。


 頬が熱い。


「はぁ……落ち着く……」


 完全に危ない人だった。


 だが本人は真剣である。


 律子はそっと胸に手を当てた。


「今日は夜まで……ここで私一人」


 静かに目を閉じる。


「未来の妻として」


 ――決意完了。


「よし。チェック開始」


 まず向かったのは洗面所だった。


「歯ブラシ一本」


 確認。


 律子はほっと息を吐く。


「浮気なし」


 しかし次の瞬間。


「……もぉ、先生ぇ」


 歯ブラシを持った律子が頬を膨らませた。


 ブラシ部分が完全に開いている。


「ほんと、私がいないと駄目なんだから……」


 ぶつぶつ言いながら、新しい歯ブラシを取り出した。


 古いものはビニール袋へ。


 新品を設置。


 満足。


「うん♪」


 続いてゴミ箱をチェック。


 長い髪の毛。


 女物の痕跡。


 化粧品。


「……なし!」


 ぱぁっと笑顔になる。


「えらいえらい♪」


 誰目線なのか。


 さらにクローゼットへ。


「女物なし……予想通り」


 頷く律子。


 だが。


「…………」


 手が止まる。


 視線の先。


 和人の下着。


「……ヨレヨレ」


 律子はむぅっと頬を膨らませた。


「もっとちゃんとしてよねぇ……」


 古い下着を袋へ入れる。


 そして。


「…………」


 数秒悩み。


「……すん」


「~~~~っ!?」


 律子は顔を真っ赤にしてその場にしゃがみ込んだ。


 肩が震えている。


「だ、駄目……破壊力が……っ」


 元聖女の理性が危なかった。


 しかし律子はなんとか立ち上がる。


 そして新品の下着を丁寧に収納へ入れた。


「よし」


 ぱん、と手を叩く。


「じゃあ掃除と洗濯しますか♪」


 腕まくり。


 ……しかけて。


 律子の視線がクローゼットへ戻った。


「…………ふふ」


 目がきらりと光る。


 取り出すのは。


 和人のワイシャツ。

 そしてチノパン。


「これ、一番着てるやつ……♡」


 律子は自分のパーカーを脱ぐ。


 そして。


 ぶかぶかのワイシャツを羽織った。


「――っ」


 袖が余る。


 その感覚だけで、胸が苦しくなる。


「ぐふふふふ……」


 鏡を見る。


 まるで同棲中の彼女みたいだった。


「もう実質、新婚生活……♡」


 ころん、とベッドへ倒れ込む。


 柔らかなシーツ。


 男の匂い。


「あぁ……」


 律子は幸せそうに目を閉じた。


「……こういうの、ずっと憧れてたんだよね」


 ぽつり、と漏れる。


 誰かが帰ってきて。


 同じ家で暮らして。


 おかえりって言って。


 ご飯を作って。


 そんな“普通”を。


 昔の自分は、一生手に入らないと思っていた。


「だから……」


 シーツをぎゅっと抱き締める。


「今だけは、夢見てもいいよね……」


 スマホを開く。


 和人のSNS。


 映画館。

 ボウリング。

 居酒屋。


「うんうん。男同士で楽しんでるね」


 満足そうに頷く律子。


 そしてベッドの中で丸くなる。


「先生、今頃なにしてるのかなぁ……」


 その顔は。


 どこまでも恋する少女だった。


 夜。


 帰宅した和人は、首を傾げた。


「……あれ?」


 部屋が妙に綺麗だった。


 床。

 机。

 洗面所。


 全部きっちり整っている。


「……こんな片付いてたっけ」


 不思議そうに辺りを見回す。


 柔軟剤の匂いも、少し変わった気がした。


 だが。


 不思議と嫌な感じはしない。


「……誰かが、俺の代わりに“生活”してくれたみたいだな」


 苦笑しながら、和人はソファへ座った。


 少しだけ。


 部屋が温かい気がした。


 そして翌朝。


 冷蔵庫を開けた和人は固まった。


「……肉じゃが?」


 ラップの貼られたタッパー。


 丁寧な字で。


『温めると美味しいです♪』


 とメモまで添えられている。


「…………」


 和人はしばらく考え込んだ。


「……俺、疲れてるのかな」

☆ここまで、読んでくださり、ありがとうございました。


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