第2話 元聖女、泣きながら彼女面する。
翌朝。
マンション前には、いつもの朝が流れていた。
通学中の学生。
コンビニ帰りの大学生。
出勤途中のサラリーマン。
そんな何気ない風景の中で。
「先生っ」
ぱたぱたと駆け寄る少女がいた。
ブレザー姿。
青いセミロング。
丸眼鏡。
制服越しでも分かるほど整ったスタイルなのに、どこか残念感が漂う不思議な美少女。
月戸律子。
元聖女。
そして現在、“向かいの教師を毎日観測している少女”である。
「これ、食べてください♪」
にこにこと差し出された包み。
まだ少し温かい。
和人は困ったように眉を下げた。
「月戸さん……また?」
「またです♪」
「いや、そんな笑顔で言われても……」
今日で何回目だろう。
ハンバーグ。
唐揚げ。
肉じゃが。
炊き込みご飯。
しかも全部うまい。
教師一人暮らしには危険すぎる攻撃だった。
だが。
このままでは駄目だと思った。
近所付き合いの範囲を超えている。
和人は意を決して口を開く。
「その……もうこれ以上は、もらえないかなって」
「…………え」
空気が止まった。
律子の笑顔が固まる。
さっと血の気が引いていく。
「……なん、で」
小さな声。
震えている。
「なんで……」
どくん、どくん、と。
心臓が嫌な音を立てる。
視界が滲む。
呼吸が浅い。
頭の中が真っ白になる。
(いらない?)
(私、いらない?)
(また?)
脳裏に、過去の声が蘇る。
化け物。
呪われた聖女。
見るだけで気分が悪くなる。
違う。
先生は違う。
先生は優しい。
なのに。
「なんでよぉ……」
ぽろぽろ涙が零れた。
周囲の視線が集まる。
「ちょ、月戸さん!?」
和人が慌てる。
律子は首をぶんぶん横に振りながら、ふらりと和人へ近づいた。
そして。
こつん、と。
額を和人の胸に押し付けてしまう。
「わ、私の料理……食べるだけ食べてぇ……」
「いや違うから!?」
「いまさらいらないなんてぇ……」
「誤解がすごい!」
ざわっ。
周囲がざわついた。
「え、修羅場?」
「教師と女子高生じゃない?」
「最低……」
「普通そうな顔してるのに……」
「絶対泣かせたよあれ」
「違います!!」
和人は全力で否定した。
だが完全に遅い。
通行人の視線が痛い。
律子はぐすぐす泣きながら服を掴んでいる。
和人は困り果てながら、律子を見下ろした。
(……この子、本気で傷ついてる)
押しつけがましいわけじゃない。
見返りを要求してるわけでもない。
ただ。
誰かに必要とされたくて。
必死なのだ。
昔の自分みたいに。
和人は小さく息を吐いた。
「……やっぱり、もらおうかな」
律子の肩がぴくりと震える。
「……ほん、と?」
「うん」
「……ぐすっ」
「美味しいし」
律子の脳内では。
『ごめん、律子』
優しく微笑む和人。
『だって、律子の反応……可愛いから』
もちろん言ってない。
「だ、だよね〜♪」
その瞬間。
ぱぁっ、と。
花が咲いたみたいに律子の顔が明るくなった。
急に距離感が恋人になる。
和人はちょっと引いた。
「じゃあ明日は何がいい!?」
「えっ。あー……なんでも」
「そういうのが一番困るんだよ〜」
さっきまで泣いていたとは思えない笑顔だった。
ころころ表情が変わる。
和人は苦笑する。
(……放っておけないんだよなぁ)
その時だった。
律子が慌てて後ろへ下がる。
「はわっ!?」
電柱に隠れようとして――。
ゴッ。
「あうっ!?」
額を強打した。
「何やってるの!?」
「だ、大丈夫……未来では避けれてたから……」
涙目で額を押さえる律子。
和人は思わず吹き出した。
「ふっ……あはは」
「わ、笑った……!」
律子の顔が赤くなる。
それだけで今日はもう幸せだった。
その日の夕食。
月戸家。
「――ってことがあってさぁ♪」
律子はイヤホンを耳につけながら、ニヤニヤしていた。
向かいのマンションでは、和人が夕食を食べている。
その姿を見つめながら、律子は幸せそうに頬を緩めた。
「ほんと照れ屋だよねぇ」
「…………」
聖子は茶碗を持つ手を震わせていた。
完全に胃が痛そうな顔である。
「でねでね! ついにこれ、手に入れちゃいました!」
カチャリ。
テーブルに鍵が置かれる。
聖子の動きが止まった。
「……律子」
「なぁに?」
「それ、まさか……」
律子は満面の笑みで頷く。
「うん♪」
「盗んだの?」
「そんな犯罪みたいなことしないよぉ」
(盗聴はするのに)
聖子はツッコミを飲み込んだ。
律子は鍵を両手で包み込み、うっとり撫でる。
「お義兄さんから譲ってもらったんだぁ♪」
「待ちなさい情報量が多い」
「先生のお兄さん、すごくいい人だったよ?」
ふふふ、と律子は笑う。
そして。
「これは“嫁の義務”なの」
「義務」
「変な虫がついてないか確認しないと♪」
にやり、と笑う律子。
その顔は。
かつて聖女と呼ばれた女ではなく。
恋をしている、年相応の少女だった。
「……でしょ?」
「同意は求めないで」
即答する聖子。
だが。
そんな妹の笑顔を見ていると。
どうしても強く否定できなかった。
壊れてしまった妹が。
今だけは、ちゃんと笑えているから。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。
本作は、「呪われた美少女フィギュアを買ったら、俺が黒幕候補でした。」第72話に登場した「月戸律子」をメインにしたスピンオフ作品です。
今回は、“少し壊れてしまった元聖女”である律子が、向かいのマンションに住む教師・成川和人との日常を通して、“普通の幸せ”に救われていくラブコメとして書いています。
鍵の入手経緯についても、本編第72話に繋がっています。
読んでいての感想やリアクションなど、気軽にいただけるととても嬉しいです。
今後もよろしくお願いします!




