第1話 元聖女の妹、向かいの教師と夕食を同期する。
マンションのドアが、カチャリと開く。
「ただいま〜」
疲れた声と共に、一人の女性が帰宅した。
黒髪ロングを後ろでひとつに結び、
細フレームの眼鏡をかけた長身の美女。
白シャツに黒ジャケット。
細身のスラックス。
低めのヒール。
派手さはない。
だが、その立ち姿には妙な迫力があった。
月戸聖子。
かつて異世界で“剣聖”と恐れられた女である。
「おかえり〜」
リビングの奥から、のんびりした声。
聖子はネクタイを緩めながらリビングへ向かい――そして、今日もまた足を止めた。
「……律子」
「なぁに?」
そこにいたのは、ジャージ姿の女だった。
青いセミロングの髪はぼさぼさ。
牛乳瓶みたいな丸眼鏡。
よれよれのラインジャージ。
一見すると、完全に残念女子。
だが。
眼鏡の奥の素顔は、息を呑むほど整っている。
透き通るような白い肌。
長い睫毛。
柔らかな唇。
さらに、ジャージ越しでも隠しきれない抜群のスタイル。
服装だけで九割損している美女だった。
月戸律子。
元聖女。
かつて世界中から愛された、“奇跡の聖女”その人である。
「ご飯できてるよ〜」
テーブルには夕食が並んでいた。
炊き立ての白米。
味噌汁。
ハンバーグ。
ポテトサラダ。
異世界最強クラスの聖女が作ったとは思えないほど、家庭的なメニューだ。
「なんか男子高校生みたいな献立ね」
「えへへ」
律子は嬉しそうに笑った。
「今日はみんなで食べたくて」
「みんな?」
嫌な予感がした。
次の瞬間。
律子が双眼鏡を持ち上げる。
「…………」
聖子は天を仰いだ。
「またやってる……」
向かいのマンション。
カーテンの隙間から、一人の男が見える。
中肉中背。
特別イケメンでもない。
優しそうだが、地味。
教師らしい黒縁眼鏡。
休日はスーパーの袋を提げて帰ってきそうな、“普通”の男だった。
成川和人。
律子が最近ハマっている相手である。
律子はイヤホンを耳につけながら、じっと向こうの部屋を見つめていた。
すると。
『いただきます』
イヤホンから声が聞こえる。
「あっ」
律子が頬を膨らませた。
「先生、先に食べちゃった」
慌てて手を合わせる。
「い、いただきますっ」
「いや何してるのあんた」
「一緒に食べるご飯って美味しいよねぇ」
幸せそうだった。
本当に幸せそうだった。
だから聖子も、強く怒れない。
律子は昔――壊れかけた。
自分を守るために。
あの日から、ずっと。
『月戸さんからもらったハンバーグ、美味しいな……』
イヤホン越しに、成川の声。
律子の顔がぱぁっと明るくなる。
「ふふん♪」
得意げに胸を張る。
『料理上手だよなぁ。きっといいお嫁さんになるんだろうな』
――ぶふっ!?
律子が味噌汁を吹き出した。
「きゃあっ!?」
盛大に聖子へ飛び散る。
「…………」
味噌汁まみれになる元剣聖。
「あ、ご、ごめんお姉ちゃん!」
聖子は無言でティッシュを取った。
「律子」
「うん?」
「あんた、本当に大丈夫?」
「えっ。ハンバーグ生焼けだった!?」
「そうじゃない」
聖子はため息をつく。
そして向かいの部屋を見る。
成川和人。
普通の教師。
……のはず。
だが、聖子はずっと違和感を抱いていた。
(律子ほどの聖女が、ここまで惹かれるなんてありえない)
何かある。
あの男には、“何か”が。
『美味しいなぁ……』
のんきな声がイヤホンから漏れる。
その横で、律子はぼそぼそ呟いていた。
「ぐふふ……」
「今度は何」
「先生、今日もちゃんと全部食べてくれてる……♡」
「重い重い重い」
「えへへ……私のハンバーグで先生の身体ができてるんだよ……♡」
「言い方ぁ!!」
聖子は頭を抱えた。
この妹。
絶対いつかやらかす。
そう確信しながら。
ここまで読んでくださり、本当にありがとうございます。
本作は、「呪われた美少女フィギュアを買ったら、俺が黒幕候補でした。」
第72話〜第75話に登場した「月戸律子」をメインにしたスピンオフ作品です。
世界を救った代償として、少しだけ“壊れて”しまった元聖女。
そんな彼女が、向かいのマンションに住む普通の教師と出会い、“当たり前の日常”や“誰かと食卓を囲む幸せ”に救われていく――。
基本はラブコメ寄りで、
ちょっと重くて、
でも温かい話を目指しています。
感想、リアクションなど、気軽にいただけるととても嬉しいです。
よろしくお願いいたします。




