第26話 追放された元剣聖ですが、年収五億の変人コンサルが「故郷ごと嫁に来ませんか」と言うので見に行ったら、村ぐるみで外堀を埋められていました。
深夜。
県道沿い。
夜の山を赤く染めながら、一台のピックアップトラックが燃えていた。
黒煙が空へ昇る。
焦げたゴムの臭い。
ガソリンの燃える音。
その傍らには三つの人影が転がっていた。
そして――。
最後の一人が膝をついている。
顔面は蒼白。
額から汗が流れていた。
その眉間へ向けられているのは、一挺のオートマチック拳銃。
銃を握る男は迷彩柄の作業服姿。
昼間、草刈り機を担いでいた男と同一人物には到底見えなかった。
犬神信人。
その目には一切の感情がない。
炎だけが銀色の眼鏡に映っていた。
「で」
静かな声。
「私と客人と」
一拍。
「どちらに用だ」
男が唾を飲み込む。
「お、女を渡してくれたら……金を――」
「断る」
即答だった。
男の顔が歪む。
信人は淡々と続ける。
「誰に雇われた」
沈黙。
返事はない。
信人は男を見つめる。
呼吸。
瞳孔。
視線。
発汗。
筋肉の緊張。
観察する。
分析する。
分類する。
数秒後。
結論が出た。
「なるほど」
男が顔を上げる。
「対価は金ではないのか」
沈黙。
「……」
「なら違うな」
さらに数秒。
「使命か」
男の表情が微かに動く。
それだけで十分だった。
信人は小さく息を吐く。
「そういう類か」
オートマチックが持ち上がる。
男が何かを叫ぼうとした瞬間――
パンッ。
乾いた銃声が県道に響いた。
静寂が戻る。
信人は拳銃をしまう。
そしてスマホを取り出した。
発信。
数コール。
ガチャリ。
『はい。春日ビルメンテナンスです』
「犬神だ」
『おや』
「パーティが終わってね」
信人は燃えるトラックを見た。
「県道沿いに鹿が四頭いる」
『オスですか』
「全部オスだ」
『大きさは?』
「七十が二頭。百近いのが二頭」
『承知しました』
「綺麗に洗ってほしい」
『かしこまりました』
「おもちゃも頼む」
『今から向かいます』
通話終了。
信人は夜空を見上げた。
雲ひとつない。
明日は晴れる。
田植え日和だ。
深夜三時。
大型の箱バン。
冷蔵車。
散水車。
牽引車。
県道へ次々と到着する。
作業服姿の男達が手慣れた様子で動き始めた。
その中心にいる年配の男。
春日だった。
「深夜に悪いな」
信人が言う。
「深夜料金は高いぞ」
春日が笑う。
「しかし今回は雑だな」
「私じゃない」
信人は屋敷の方向を見た。
「客人に用があったらしい」
春日が肩をすくめる。
「モテる男は大変だ」
信人は死体の首筋を銃口で示した。
そこに刻まれた奇妙な紋様。
春日の目が細くなる。
「契約紋か」
「知っているのか」
「悪魔か魔族か」
「そんなところだろう」
信人は頷く。
「何かわかったら教えてくれ」
「特別料金だぞ」
「構わない」
信人はポケットから金の延べ棒を取り出した。
百グラム。
五本。
春日が吹き出す。
「相変わらず現金主義だな」
「電子決済は記録が残る」
「違いない」
その光景を。
少し離れた森の陰から見つめる人影があった。
月戸聖子。
目が覚めたのは偶然だった。
深夜。
軽トラのエンジン音。
なんとなく気になった。
だから追いかけてしまった。
それだけ。
本当に。
それだけだった。
なのに――。
見てしまった。
昼間。
優しく笑っていた男。
村人に愛されていた男。
レモン水を作っていた男。
その男が。
人を撃った。
処理していた。
隠していた。
まるで慣れた様子で。
(なんなの……あいつ)
背筋が寒くなる。
その時だった。
信人がふと振り返る。
一瞬。
ほんの一瞬。
視線が重なった気がした。
聖子は反射的に木の陰へ飛び込む。
鼓動が跳ねる。
だが追ってくる気配はない。
恐る恐る覗く。
信人はもう別の方向を見ていた。
「まだ鹿が残ってるのか?」
春日が言う。
信人は遠くの森を見る。
小さく笑った。
「いや」
「鹿じゃない」
「狼だ」
「ほう」
春日も笑う。
「仕留めなくていいのか」
信人は少し考えた。
そして肩をすくめる。
「どうだろうな」
一拍。
「こっちが仕留められている気がする」
翌朝。
午前七時。
「うぅ〜……」
聖子が頭を抱える。
「飲みすぎたぁ……」
向かい側では信人が味噌汁をよそっていた。
「良い飲みっぷりでしたよ」
朝食は完璧だった。
炊きたてのご飯。
焼き鮭。
納豆。
具沢山の味噌汁。
まるで旅館だ。
「おいしい〜」
頬が緩む。
信人は微笑んだ。
優しい。
昨日の夜とは別人だった。
(いや同一人物なんだけど)
(なんなの本当に)
「あー今さ」
聖子が笑う。
「男の家に泊まって朝ご飯まで食べる図々しい女だなーとか思ったでしょ」
「そうですね」
即答。
「楽しく飲酒し終電を逃した場合、宿泊は合理的判断です」
「……」
「アルコール摂取後は――」
始まった。
始まってしまった。
「酔った人間が寝過ごす原因は――」
「ストップ」
聖子が手を上げる。
「そこはね?」
「そんなこと思いませんよとか言うとこなの」
「なるほど」
「勉強になります」
メモでも取りそうな顔だった。
(ダメだこいつ)
(可愛い)
そして。
聖子は少しだけ真顔になる。
昨夜。
命を助けられた。
あの言葉。
あの表情。
あの故郷への想い。
全部。
胸の中に残っている。
だから。
覚悟を決めた。
箸を置く。
信人が顔を上げる。
「どうしました?」
聖子は深呼吸した。
心臓がうるさい。
久しぶりだった。
こんな気持ち。
目の前の男は。
きっと世界一面倒くさい。
でも。
世界一誠実だ。
「信人」
「はい」
聖子は真っ直ぐ見つめる。
そして――。
「あなたに伝えたいことがあるんだ」
信人が静かに目を見返す。
朝の光が差し込む。
風が揺れる。
田んぼの緑が窓の向こうで輝いていた。
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