第23話 年収五億の天才コンサルは恋愛だけが壊滅的でした ~初デートは高級ホテルではなく田んぼで草刈りです~
信人の言葉が、聖子の中に引っかかっていた。
「私を受け入れてくれた場所なので」
高級ホテルのレストラン。
夜景の見える窓際の席。
グラスの中では琥珀色の光が揺れている。
そんな場所なのに。
犬神信人はどこか遠くを見ていた。
「その限界集落に、ずっと住むつもりなの?」
聖子が尋ねる。
「住もうと思えば、もっといい場所に住めるでしょう?」
年収五億。
不動産も持っている。
都内の高級住宅街だって余裕で買えるはずだ。
だが信人は静かに首を振った。
「そうですね」
「住めるとは思います」
一拍。
「ですが、私はあそこで育ちました」
少しだけ目を細める。
「事情があって、子供の頃は色々ありましたから」
珍しく曖昧な言い方だった。
普段の彼なら数字や事実を並べる。
だが今は違う。
「故郷なんです」
静かな声。
「私を受け入れてくれた場所なので」
その言葉だけで十分だった。
聖子は何も聞かなかった。
聞かなくても分かる。
きっと。
この男にも色々あったのだろう。
「ふーん」
聖子はワインを飲む。
「じゃあ行きたいわ」
「はい?」
「その村」
信人が瞬きをした。
予想外だったらしい。
「これ、お見合いよね?」
敦子を見る。
「そうね」
ニヤニヤしている。
「遊びみたいな恋愛はもういいの」
聖子は信人を見る。
「あなたのことを知りたい」
信人が固まる。
「興味が出てきた」
「土曜日、空いてる?」
しばらく沈黙。
そして。
「農繁期です」
「うん」
「草刈りがあります」
「うん」
「午前中は作業です」
「うん」
「ですので、お迎えは十時頃になります」
「じゃあ朝から行くわ」
「はい?」
今度は本気で固まった。
「私も草刈りする」
「……」
「切るのは得意だから」
信人の視線が下がる。
聖子の手。
そこには剣ダコがあった。
「剣と草刈りは別物ですよ」
「何よ」
「草は反撃しません」
「喧嘩売ってる?」
「事実です」
真顔だった。
敦子が吹き出す。
「ぷっ!」
「信くん!」
「はい?」
「そういうとこ!」
本人だけが理解していない。
「農業くらい経験あるわ」
「手刈りもしてたし」
「ですが若い女性に……」
「いいの」
聖子は即答する。
「始発で行く」
「駅まで迎えに来て」
信人は少し考え。
「分かりました」
小さく頷いた。
その瞬間。
(あ)
敦子は気付く。
(この二人)
(相性いいわ)
◇
土曜日。
午前五時。
山間部の朝は早い。
放射冷却で冷えた空気。
新緑の山々。
青々と広がる水田。
遠くでは鹿が歩いている。
そして。
ブイイイイイイイイイイイイイイッ!!
風情を破壊する草刈り機。
「うるさい!」
「エンジンですから」
「知ってるわよ!」
麦わら帽子。
ゴーグル。
長袖作業服。
安全靴。
完全武装した聖子が叫ぶ。
(私、何やってんだろ)
本気で思った。
初デートである。
普通なら。
映画館。
遊園地。
水族館。
そういうものではないのか。
なぜ自分は朝五時から草を刈っているのだろう。
「そろそろ休憩しましょう」
信人が草刈り機を止めた。
「まだいけるわよ」
「いけません」
「いける」
「熱中症になります」
「ならない」
「なります」
「ならない」
「なります」
「子供か」
結局。
押し切られた。
◇
畦道に腰を下ろす。
信人は軽トラからクーラーボックスを持ってきた。
中には。
レモン水。
麦茶。
塩飴。
完璧だった。
「どちらにしますか?」
「レモン水」
「どうぞ」
紙コップを受け取る。
「これ作ったの?」
「ええ」
「ふふっ」
なんだか笑ってしまう。
「らしいわね」
すると。
「ペットボトルの方が良かったですか?」
「なんでそうなるの」
「AIに相談しました」
始まった。
「若い女性にはレモン水が好まれる傾向があります」
「へぇ」
「ただし男性の手作り飲料を嫌うという意見もありました」
「分析したのね」
「はい」
「ですがスポーツドリンクは糖分が多いです」
「うん」
「合理的ではありません」
「うわぁ……」
「失敗でしたか?」
「違う」
「違いますか」
「そういうとこよ」
「?」
全く伝わらない。
聖子はレモン水を飲む。
その瞬間。
「えっ」
目を見開いた。
美味しい。
レモンの酸味。
蜂蜜の甘み。
汗をかいた体に染み込んでいく。
「これ美味しい」
素直に言った。
すると信人が頷く。
「そうですか」
「色々試しました」
「へぇ」
「ですが最終的な結論として」
一拍。
「佐知子おばあちゃんのレシピが最強でした」
「ぶっ!」
吹き出した。
「ネットじゃないんだ!?」
「佐知子おばあちゃんは信用できます」
「検索サイトより?」
「はい」
即答だった。
「村一番の料理上手です」
真顔。
聖子は腹を抱えた。
「あはははははは!」
笑いが止まらない。
変人だ。
間違いなく変人。
だけど。
熱中症を心配してくれる。
怪我人を見逃さない。
見栄を張らない。
嘘もつかない。
そして。
どこまでも優しい。
風が吹く。
水田の上を渡った風が二人の間を抜けていく。
(この人)
聖子は笑いながら思った。
(めちゃくちゃ変人だけど)
(いいかもしれない)
空は高く。
夏はもうすぐそこまで来ていた。
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