第21話 掃除屋は恋愛だけ初心者でした ~元剣聖のクール美女、なぜか恋愛偏差値ゼロの天才に振り回される~
夜。
都内某所。
高級住宅街の一角に建つ現代風の大邸宅。
その広々としたリビングで、黒いパンツスーツ姿の女がため息を吐いた。
「だからさぁ……そういうの、あいつに期待しちゃ駄目なんだって」
テーブルを拭きながら呆れたように言う。
長い黒髪。
切れ長の瞳。
モデルのような長身。
誰が見ても美人。
しかし口を開けば色気より酒と焼肉が似合う女。
それが聖子だった。
『でもさぁ〜』
スマホの向こうから不満そうな声。
『半同棲して一か月だよ?』
『私ってそんなに魅力ないのかな〜』
「いや」
聖子は即答した。
「その発想がもう面倒くさい」
『ひどっ!?』
「だったら抱きつけばいいじゃん」
『それは恥ずかしいし……』
「じゃあ黙っときなさい」
『でも我慢しそうなんだよねぇ』
聖子は思わず額を押さえた。
「分かってるじゃん」
『え?』
「相手のこと」
『あっ……』
「惚気は帰ってから聞く」
『まだ続きあるんだけど』
「まったく……」
恋愛相談ほど面倒なものはない。
世界を救う方がまだ簡単だ。
そう思いながら通話終了のボタンを押す。
『あっ、まだ話の続き――』
ブツッ。
容赦なく切った。
「帰ってから聞く」
スマホをポケットへしまう。
そして振り返った。
部屋の隅。
そこには男がいた。
中年。
大柄。
首から下げた金のネックレス。
腕にはびっしりと彫り物。
普通の会社員には見えない。
男は必死に何かを訴えていた。
「んーーー!!」
猿轡のせいで言葉にならない。
汗だくの顔。
恐怖に引きつった目。
その視線の先で、
聖子はにっこり笑った。
「ちゃお♪」
男の顔色が変わる。
なぜなら。
彼は知っているからだ。
目の前の女が笑っている時ほど危険だということを。
「じゃあね」
聖子は軽く手を振る。
それから。
男の足元にある椅子へ視線を落とした。
つま先がわずかに動く。
ガタン。
椅子が跳ねた。
「んーーーーー!!」
男の身体が大きく揺れる。
聖子はそれを見て、
まるでコンビニ店員に挨拶するような顔で笑った。
「お疲れさま」
興味を失ったように背を向ける。
ドアを開く。
夜風が頬を撫でた。
玄関。
黒塗りのセダンが停まっていた。
運転席の窓が開く。
「終わった?」
「いつも通り」
助手席へ乗り込む。
ハンドルを握る女――敦子が車を発進させた。
しばらく沈黙。
街の灯りが流れていく。
そして唐突に聖子が口を開いた。
「そういえば」
「ん?」
「あんたの弟だったわね」
「誰が?」
「和人」
敦子は前を向いたまま笑う。
「そうね」
「世間って狭いわ」
「狭くないわよ」
「え?」
「全部繋がってるだけ」
「偶然なんてない」
意味深な言葉。
聖子は窓の外を見る。
昔のことを思い出した。
剣を握っていた頃。
投獄された日。
妹に助けられた日。
逃亡した日。
気がつけば今は掃除屋。
人生なんて本当に分からない。
「まあいいわ」
聖子は肩をすくめた。
「感謝してる」
「珍しいわね」
「仕事紹介してくれたし」
「そう」
敦子が笑う。
信号待ち。
赤信号。
その瞬間だった。
「じゃあ今日の飯、奢りね」
「は?」
聖子の顔が引きつる。
「ホルモンとビール」
「決定事項!?」
「決定事項!」
一時間後。
古びた焼肉屋。
昭和がそのまま残ったような店だった。
煙。
油。
ビール。
学生とサラリーマンの笑い声。
壁には色褪せたポスター。
床は少しべたつく。
「最高だなぁ……」
聖子がビールを流し込む。
喉が鳴る。
幸せが染み渡る。
「この一杯のために生きてる気がする」
「安い人生ね」
「褒め言葉として受け取っとく」
ホルモンが焼ける。
ジュウゥゥゥッ!
香ばしい匂い。
聖子は箸を伸ばした。
「あっ」
「何よ」
「そこ私の領地」
「領地?」
「ここからここまで」
「何それ」
「焦げ待ち区域」
真顔の敦子。
聖子は呆れる。
「口に入れば同じでしょ」
「分かってないわね」
「何がよ」
「少し焦げた方が美味しいの」
敦子は不敵に笑った。
「人生も恋愛もね」
「は?」
「焦がされて本物になるのよ」
ビールを飲む。
「焼かれて」
一口。
「焦げて」
もう一口。
「真っ黒になるまで」
「何その恋愛観」
しばし沈黙。
そして聖子がジト目になる。
「男いないくせに」
「ぐっ」
敦子がむせた。
「一筋なの!」
「ブラコンじゃん」
「違う!」
「違わない」
店内に笑い声が響く。
ビールが進む。
ホルモンも減る。
そして。
敦子が不意に言った。
「そういえば」
「ん?」
「いい男いるわよ」
聖子の箸が止まった。
「は?」
「会ってみる?」
嫌な予感がした。
とても嫌な予感がした。
だが。
その時の聖子はまだ知らない。
その"いい男"が。
自分の人生を根こそぎひっくり返す存在になることを。
そして――
恋愛だけは壊滅的な、とある天才との出会いが始まろうとしていることを。
☆ここまで、読んでくださり、ありがとうございました。
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