表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

16/53

第16話 額のキスは、まだ“好き”の途中。〜元聖女な陰キャ女子、進路希望欄に“先生のお嫁さん”を書きかける〜

 日曜の夜――。


 律子は、完全に魂が抜けていた。


 ぽー……。


 頬杖をつきながら、焦点の合わない目で虚空を見つめる。


 そして。


「えへへへへへ……♡」


 だらしなく緩む口元。


 時折、額を押さえては、またニヤける。


 完全に重症だった。


 向かいに座る聖子は、コーヒーカップを片手にため息をつく。


「あー……いつもの恋愛暴走モードね」


 しかし今回は、いつもより酷い。


 というか。


 脳が溶けている。


「おーい」


 律子の目の前で手を振る。


 反応なし。


「ふふふふふ……」


 笑っているだけ。


「……まさか」


 聖子の目が細くなる。


「和人のやつ、律子に精神魔法でも使った?」


 真顔だった。


「いや待て。律子、一応元聖女だぞ? 普通の精神干渉なんて――」


 そこで。


 律子が、むにゅっとアヒル口になる。


「ふへへ……♡」


「駄目だこりゃ」


 聖子は天を仰いだ。


「あぁもう。“聖女”じゃなくて、“脳内ピンクの性女”だわ」


 すると律子が、はっと顔を上げる。


「あっ、お姉ちゃん」


「やっと帰ってきた」


 聖子は半眼のまま聞いた。


「で?」


「どうだったの?」


「ふふふふふ……」


 律子が意味深に笑う。


「聞きたい?」


「別に」


 一拍。


「キキタイワ」


 感情ゼロの棒読みだった。


 だが律子は気づかない。


 いや、気づいていても止まれない。


 恋する乙女は、ブレーキが壊れる生き物である。


「……チューされたんだ」


「へー」


「先生から」


「ふーん」


「和人さんから」


「…………は?」


 聖子の眉がぴくりと動く。


 律子は、両手で自分の肩を抱きしめた。


「私たち……両想いなんだよ……」


 うっとり。


「うふふふふふ……♡」


 完全に幸せ絶頂である。


 聖子は思った。


(あ、これ戻ってこないやつだ)




 数時間前――。


 夕食後。


 和人のマンションの玄関先。


「じゃあ……帰るね」


 律子は、名残惜しそうに笑った。


「うん。また明日」


 和人も優しく微笑む。


「うん。金曜にまた来るから」


「はは、もう半分住んでるみたいだね」


 その何気ない一言だけで、律子の心臓は跳ねた。


(半分住んでる……!?)


(それってもう半同棲では!?)


(いや待って落ち着け私)


(まだ早い!!)


 だが口元は緩む。


 止まらない。


 そんな律子を見ながら。


 和人は、不意に表情を曇らせた。


 そして。


 そっと。


 律子の身体を引き寄せる。


「えっ――」


 近い。


 吐息が触れそうな距離。


 律子の心臓が爆発寸前まで跳ね上がる。


 唇が近づく。


(く、くるっ!?)


(えっ待って待って待って!?)


(まだ心の準備が――)


 しかし。


 触れたのは、唇ではなかった。


 額。


 優しく。


 大切なものに触れるみたいに。


 そっと口づける。


 静寂。


 時間が止まる。


 律子の思考も止まる。


 和人は視線を逸らし、小さく息を吐いた。


「……ごめん」


 掠れた声。


「我慢できなかった」


 そして苦笑する。


「唇にしたら……たぶん、理性が利かなくなるから」


「……情けない先生で、ごめん」


 律子は、呆然としていた。


 先生から。


 和人さんから。


 額に。


 キス。


 キス。


 キス。


(えっ)


(えっ!?)


(待って!?)


(それってつまり――)


 脳内で鐘が鳴る。


 純白のドレス。


 教会。


 家族写真。


 エプロン姿。


 休日のスーパー。


 子供。


 幸せな食卓。


 未来予想図が爆速で駆け巡る。


(いや待って落ち着け私!!)


(まだ額だから!!)


(でも先生からだし!?)


(しかも理性がどうとか言ってたし!?)


(それって好きってことでは!?)


 脳がショートする。


 幸せで。


 嬉しくて。


 胸がいっぱいになって。


「ウン……マタ……アシタネ……」


 棒読みだった。


 心が追いつかない。


 手と足が同時に出そうなぎこちない歩き方で、律子はマンションをあとにした。





「……で、額?」


 現在。


 聖子が確認する。


「うんっ!!」


 律子は両手で額を押さえた。


「ここっ!! ここにされたのっ!!」


 顔が真っ赤だった。


「しかも先生から!!」


「和人さんから!!」


「うわぁ……」


 聖子は若干引いていた。


 しかし律子は止まらない。


「あのね!? すっごく優しかったの!!」


「大事にされてるって、わかったの!!」


「うふふふふふ……♡」


 聖子は思う。


(重い)


(でもまあ、和人もかなり重いわねこれ)


 普通なら、勢いで唇にいってもおかしくない。


 でも和人は止まった。


 律子を大事にしたいから。


 未来を壊したくないから。


 その誠実さが、律子にはたまらなく嬉しかったのだろう。


 そして同時に。


(もっと欲しいって思っちゃった……)


 律子は自分の頬を押さえる。


 額だけで、こんなに嬉しい。


 じゃあ唇だったら。


 抱きしめられたら。


 そう考えた瞬間。


「〜〜〜〜っ!!」


 顔が爆発した。


「どうした急に」


「な、なんでもないっ!!」


 慌てて通学バッグを漁る律子。


 そして、一枚の紙を取り出した。


【進路希望調査票】


 聖子の目が細くなる。


「あっ……」


 嫌な予感しかしない。


 律子は真剣な顔でペンを握った。


「うーん……どうしよう……」


「いや進学か就職でしょ普通」


「人生がかかってるんだよ!?」


「そのテンションで何書く気?」


 律子は唸る。


 そして。


「ええい、ままよ!!」


 勢いよくボールペンを走らせた。


 まるで決戦前の勇者みたいな顔で。


 その姿を見ながら、聖子は確信する。


(あ、絶対ロクでもないこと書いてる)


 一方その頃。


 律子が帰ったあとの玄関。


 和人は扉にもたれ、小さく息を吐いた。


「……何やってるんだ、僕は」


 額にキスした感触が、まだ残っている。


 柔らかくて。


 温かくて。


 愛おしかった。


 思い出すだけで、理性が揺らぐ。


「ほんと……限界だな」


 苦笑する。


 抱きしめたかった。


 唇にも触れたかった。


 でも、それをしてしまえば。


 彼女の未来ごと、自分のものにしてしまいそうで。


「……ちゃんと待たないとな」


 教師として。


 一人の大人として。


 それだけは守ろうと、和人は静かに決意する。


 そして明日からまた学校。




 ――波乱の三者面談週間が、幕を開けようとしていた。



☆ここまで、読んでくださり、ありがとうございました。


評価ポイント、ブックマーク登録 していただければ、励みになります。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ