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第一章:パズの夜明け PART.3

VII.


パズ東地区、聖キャサリン教会。


礼拝堂の中は薄暗く、無数の蝋燭の灯だけが静かに揺れていた。


デレンは聖母像の前に跪き、指にロザリオを絡めながら祈りを捧げていた。


蝋燭の火が、年老いた横顔を淡く照らしていた。


やがて、静かに扉が開く。


サシャだった。


彼女は足音を忍ばせるように歩み寄り、デレンの隣へ腰を下ろした。


「母さん」


デレンはゆっくり目を開ける。


娘の顔を見ると、どこか案じるように目を細めた。


「……何かあったの?」


サシャはすぐには答えなかった。


しばらく迷うように視線を伏せ、それから小さく口を開く。


「私の生みの母親って……どんな人だったの?」


デレンの指が止まった。


ロザリオの珠を握る手が、ほんのわずかに震えた。


「どうして急に、そんなことを聞くの?」


サシャはマリエンから聞いた話を静かに打ち明けた。


同じ模様を持つ男のこと。


病院の前に立っていた見知らぬ人物のこと。


そして――川辺で出会った青年のことも。


話を聞き終えると、デレンは長く沈黙した。


礼拝堂には蝋燭の火が揺れる音だけが残った。


どれほど時間が過ぎただろう。


やがて彼女は、ようやく口を開いた。


「あなたの母親は……」


かすれるような声だった。


「とても勇敢な人だったわ」


サシャは息を呑む。


「名前は?」


「シェイリャ」


その名を聞いた瞬間、胸の奥が強く脈打った。


なぜなのか、自分でも分からない。


けれど、その名前には奇妙な懐かしさがあった。


「その人は……どうして死んだの?」


デレンは静かにサシャを見つめた。


目には涙が滲んでいる。


「あなたを守るためよ」


サシャは言葉を失った。


無意識に、自分の手首へ目を落とした。


淡い青の紋様。


マリエンが話していた男。


川辺で出会った青年。


彼の胸元で光っていた石。


頭の中で、それらが静かに繋がっていった。


「母さん」


かすれた声で尋ねた。


「私の父親は?」


デレンは答えなかった。


ただ、深い眼差しで彼女を見つめ返した。


その瞳の奥には、長い年月を閉じ込めたような影があった。


「あなたが準備できた時に」


やがて彼女は静かに言った。


「全部、話すわ」


そう言って立ち上がると、デレンは祭壇の奥へ歩き去っていった。


サシャだけが、その場に残される。


聖母像の前で跪いたまま、揺れる蝋燭の火を見つめていた。


どれほど時間が過ぎても、彼女は動くことができなかった。



VIII.


深夜、パズ港。


ヴィクターは埠頭の先端に立ち、静かな海を見つめていた。


月光が水面で砕け、銀色の波紋を揺らしている。


沖には数隻の船が停泊していた。


その灯りだけが、闇の中でかすかに瞬いていた。


やがて、一人の男が暗がりから姿を現した。


ゆっくりとヴィクターの隣へ歩み寄った。


キー・シロコドス。


イニアスの父親であり、かつてドゥエイガから流れてきた老整備士だった。


「荷は届いたか」


キーが低い声で尋ねた。


ヴィクターは短くうなずいた。


「十二箱だ。通常貨物に紛れ込ませてあった」


キーは何も言わなかった。


海を見つめたまま、しばらく沈黙した。


「……ロウズの子供は、もう大きくなったのか」


ヴィクターはちらりと彼を見た。


「ああ。今は港で働いてる」


キーは小さくうなずいた。


その目は、遠い昔を見ているようだった。


「始源の欠片は?」


「まだあいつが持ってる」


キーの口元に、かすかな笑みが浮かんだ。


だが、それは喜びというより、苦い記憶に近いものだった。


「二十一年か……」


小さく呟いた。


「ロウズが生きていたらな」


ヴィクターは何も答えなかった。


二人は並んだまま、黙って海を見つめ続ける。


遠くで波が岸壁を叩いていた。


低く、どこか哀しげな音だった。



IX.


パズの夜は静かだった。


通りを抜ける風の音さえ聞こえるほどに。


遠くでは、工場機械のくぐもった唸りがまだ続いている。


川の流れる音も、今夜は妙にはっきり聞こえた。


オーウェンはベッドに横たわったまま、ぼんやりと天井を見つめていた。


枕元には、あの青い欠片が置かれている。


暗闇の中で、幽かな光だけが静かに脈打っていた。


目を閉じても、昼間の出来事が頭から離れない。


青い結晶。


折れた針。


川辺で出会った少女。


そして、母が口にした言葉。


――あなたの生みの母親。


オーウェンはそっと胸元へ手を伸ばした。


服の下にある結晶へ触れる。


まだ温かい。


まるで、生き物みたいだった。


彼は静かに目を閉じる。


窓の外では、夜風がゆっくりと街を吹き抜けていた。



X.


朝。


パズの街が、ゆっくりと目を覚まし始める。


霧はすでに薄れ、朝の陽光が石畳を明るく照らしていた。


労働者たちは再び港へ向かい、店は扉を開け始める。


子供たちの笑い声も、通りのあちこちから聞こえていた。


オーウェンは自転車を漕ぎ、西地区の通りを走っていた。


ポケットの中の欠片は、まだ微かに熱を帯びている。


『イヤーズ』機械製作所の前を通りかかると、入り口に立つイニアスの姿が見えた。


「オーウェン!」


彼は自転車を止める。


イニアスは足早に歩み寄り、周囲を気にするように声を潜めた。


「あの物体……一晩中調べた。でも、何も出てこなかった」


苛立ったように眉を寄せた。


「記録がまるで残ってないんだ。あんなもの、見たこともない」


オーウェンは静かにうなずいた。


「なら、もう調べるな」


短く言った。


「最初から何も見なかったことにしろ」


イニアスはじっと彼を見つめた。


「……本気で言ってるのか?」


「ああ」


オーウェンは自転車へ跨がった。


朝の陽射しが、肩の上へまっすぐ降り注いでいた。


彼は大きく息を吸い込む。


石炭の煙。


潮風。


港町の匂いが肺いっぱいに広がった。


パズの朝は、もう動き始めていた。

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