第75話 早く……、帰らないと……っ!
衛兵たちは火矢や火の魔法を放ちながら、
スラムを進む。
しかし、そこにいる筈の孤児や浮浪者たちは一人もいない。
全員、スラムのあちこにち開いた地下へ入り口から、
『白の教会』に逃げ込んでいるからだ。
放置された掘っ立て小屋やボロい御座が燃えるだけで、
生き物は全く見つからない。
衛兵たちは、やっと異常に気付く。
「……スラムのやつら、どこへ行ったんだ?」
「人っ子一人いないぞ」
「もぬけの殻だ……」
抵抗も、投降もない。
なにもないスラムの道を火を放ちながら歩く衛兵たちは、
愚かさを表現したアートのようだ。
しかし、彼らの赤字は膨らむばかり。
隊長に焦りがつのる。
「これでは貰った袖の下から足が出る……」
歯軋りしながら止まれない隊長は、
次の命令を出した。
「えぇい!
このまま、『異端』の教会を焼きに行く!
治安維持だ、治安維持!」
何の言い訳にもならない何かを吐き捨てて、
衛兵たちは進む。
向かう先が天涯魔境とは、露知らずに。
「ここか?!
……ここ、か?」
たどり着いた建物の前には、
つなぎを着た人たちがいた。
衛兵を嘲笑うように、その一帯だけ焼けていない。
「衛兵さん!
こんな夜更けに、何のご用だい?!」
「黙れ!
『異端』ども!
これより、掃討作戦を執行する!
かかれぇ!」
隊長の一言で、
衛兵たちは武器を構えて『白の教会』に向かって行った。
しかし、つなぎ姿の人々の余裕は崩れない。
「敵なら、かまわねぇよな?
やれぇ!」
つなぎの男性はそう号令した。
すると、大きなホースを持った防護服に身を包んだ人たちが現れ、
そのホースを衛兵に向ける。
つなぎたちは防護マスクを装着した。
「ってぇ!」
ホースから放たれた液体。
その途端に周囲に酸性の酸っぱい臭いが放たれる。
そして、突撃してきた衛兵たちがその液体を浴びた。
「ぎぃやぁ!」
「あつ!
熱い! 熱いぃ!」
「盾が溶ける!
鎧が溶ける!」
放たれた液体は、強酸性の薬液。
革や鉄は薬液が触れた端から朽ち、皮膚は焼けただれ、
眼球は潰れ、口から喉から、肺まで焼ける。
しかし、液体は砕くことができず、
防ぐことも難しい。
瞬きする間に、衛兵たちは阿鼻叫喚の地獄絵図。
更にその臭気はもちろん害悪。
離れていた残りの弓兵と魔法使いと隊長は、
咳や涙が止まらなくなり、
酷い者はその場で吐いてうずくまる。
だれも弓を構えられず、
呪文を唱えることもできない。
だれも彼もが、まともに立てず、
周りを見ることもできない。
「なん! なんだ!?
何が起きた!?」
相手に何が起きたか理解させない。
こと殺し合いに置いて、それは重要な技術だ。
初見殺し、とゲームなどで言われるが、
復活できるゲームだから成立するのであって。
死んだら終わりのリアルでは、必殺技と呼べる技だ。
「これを水で流すと、
土とか地下水に染みるか?」
「後でアルカリ性の何か撒くわ。
粉なら行けるだろ」
「おま、前それで酸素が発生して、
二次火災起こしたろ!?
先に発電機の『渇水土』を持ってきて撒いとけ!
それで薬液の大半を気化させてから、
土を取ってアルカリ性の液体を撒くんだ」
ワンサイドゲーム。
しかも、皆殺し。
悪夢以外の何物でもない。
なお、『渇水土』は『死の荒野』の土のことだ。
「投降は認めない。
隊長とか、関係ない。
全滅させとけ。
捕虜なんて、扱いに困るだけだ」
『白の教会』に笑い声が響く。
つなぎたちが笑っているのだ。
投降し、助けを求めてきた衛兵の残りも、
直ぐに薬液を浴びてぐちゃぐちゃにされた。
ビトメは少し離れている『白の教会』の建物からそれを見ていた。
あまりの光景にその場で吐いてしまう。
「あぁ!
大丈夫ですか?!
だから、見ない方がいいと……」
周りのつなぎたちが慌ててビトメに駆け寄る。
親切に対処してくれる目の前の人たちと、
あそこで猛威をふるう人たちは、
同じ『白の教会』の信徒たち。
ビトメは本当にこの人たちに助けを求めて良かったのか、
不安に思えてならない。
今からでもここから逃げ出した方がいいのかも、
とすら思えてきた。
同時に、
『これ』がトシ・オーの生きていた世界だと理解してしまった。
彼らと共にいた昔のトシ・オーは、
彼女の思う『英雄像』から程遠いものだと。
勇猛果敢な勇姿は、作り話のなかでしか成立しない。
愛や慈しみなんて、存在しない。
騙し、罵り、たぶらかし、殺し合う。
全てをかけて、全てを使い。
相手から奪うことで、己の欲を満たさんとする。
奪ったものこそ、素晴らしいものだと錯覚し。
その闘いの中で本当に大切なものを失い。
挙げ句、人間性すら残らない。
しかし、それでも欲は満たされず、
次の相手から奪い続ける。
底の抜けたタルに水を必死に汲むような愚行。
全てを使い潰す戦争。
これは、癒しが必要だ。
こんな生活、人間がしていいものじゃない。
しかし、ここの人たちは生活していて、
笑っている。
彼らは笑っているのだ。
ビトメには理解ができない。
こんな状態が良いとは到底思えない。
『癒し手』の才能を見いだされ、
両親に売られたビトメもそれなりに暗い過去を持っている。
それを加味したビトメの人生観だとしても、
この生活は異常だ。
「は……、早く……、帰らないと……っ!」
ビトメはとにかく帰る。
トシ・オーを帰すことを心に誓った。




