第67話 一休みなさってください
●???の『癒し手』の教会●
***
三年後。
今日も天気が良い。
雨季が終わり、緩やかに夏へ向かう空は青く広い。
東の山岳地帯にある国、ナスタチウム。
その山の中でもひときわ高い霊峰『命の峯』。
この山の麓にある『癒し手』の総本山、
ヘルト。
『命の神』を信仰する『癒し手』にとっては、
故郷であり、学舎。
しかし、それも過去の話。
『命の神』が三年前、その命を懸けて世界を護った。
それ以降、『癒し手』たちは奇跡を起こせなくなった。
ヘルトは『癒し手』の訓練校も兼ねていたが、
今は小さな見習いたちの学舎として。
そして、『かの英雄の保養所』として運営されている。
「掃除が終わりました」
「はい。ありがとうございます。
お昼までまだ時間があるので、
一休みなさってください」
ビトメは笑顔でそう返す。
箒をもった男性は、小さくうなずいて立ち去っていった。
表情の乏しいその男性の頭髪は、真っ白だった。
「……本当に、あっという間でした」
ビトメはため息をつく。
三年前、七柱の神々から預かり受けたトシ・オー。
ここへ運び込まれた当初は、
怯えて泣き叫び、大暴れをしていた。
言葉も通じず、人を、闇を、金属器を恐れて。
常に何かから隠れようと、逃げようとする。
必死に、必死に、必死に。
子供とちがって力がある分厄介だったが。
ビトメが熱心にトシ・オーをなだめ、
言葉を教え、文字を教え、生活を教えた。
トシ・オーもそれに応えるように、
かなり高い知能を見せた。
数回聞いた言葉を使いこなし、
文字を学ぶと本を読み出し。
生活についても、すぐに馴染んでいった。
ただ。
「……笑顔を見たことがないのです」
「笑顔を?」
ビトメは自分の上司である、
大司教に報告をする。
「彼は、トシオは、もうすっかり一人前です。
言葉も文字も、生活についても一人でこなし。
掃除や簡単な手伝いもやってのけます。
でも、誰も、私も、
彼が笑っているところを見たことがないのです」
「……んむぅ」
大司教は枯れ枝のような指で、
たくわえられた自分の白い顎髭を撫で付けて唸る。
大司教の部屋の大きな椅子から彼は立ち上がって、
窓の前をふらふら歩いて往復する。
「……想像しかできんが、
それだけ悪神『闇の神』との闘いは壮絶だったのかもしれんな。
若い兵士が長い戦地での生活で、
心を病むことがある。
症状としては、それに近いだろう」
「私もそう思います。
後、もう一つ気になることがあります」
大司教は優しくビトメの話を促す。
「子どもたちと一緒に、
彼に絵を描かせてみたんです。
チョークと黒板で。
子どもたちは互いの顔や野花や虫を描きました。
トシオだけは、
黒板に『一本の線』を描いただけでした。
黒板を二つに割るような線です」
「……なにかを指しているのかもしれんな。
それは、我々には『一本の線』だが、
彼には別の意味があるのかも」
ビトメと大司教は『一本の線』が描かれた小さな黒板を前に、
腕を組んで唸る。
「線でなければ、『道』とか。
『川』とかですかね?」
「『壁』とも捉えられる。
黒板の端から端まで線を描いてるのだから、
『仕切る』と言うか、『分ける』と言うか。
そう言うことなのやも」
二人はいくつか思い付いたことをあげてみるも、
どれもしっくりこなかった。
大司教はうつむき加減のビトメを励まし、
優しく彼女の肩にふれる。
「彼にはまだまだ時間が必要なのだろう。
『かの闘い』はそれだけ深く彼を傷つけた。
そう言うことだ。
ならば、『命の神』のご意志の通り、
彼には安寧な日々を送っていただくことが最重要なのだろう。
我々はそれをお守りする。
それだけだ。
ビトメよ。
君はこの重責をよくやってくれている。
公に何かできないが、
私は君のことを尊敬しているよ。
それではまた、来週報告を頼むぞ」
「かしこまりました」
ビトメは大司教に深く頭を下げて、
部屋から出ていった。
大司教は窓の外を眺める。
老人の視線の先には、
夕暮れの中で何をすることもなくベンチに腰かけている白髪の若い男性。
「……困ったものだ」
大司教が目を落としたデスクの上にある資料には、
胃の痛くなる内容が記されていた。
『癒し手』として、
奇跡を売りに金品をせしめて贅沢三昧をしていたものたち。
そのものたちが、くちさがなくわめいているらしい。
予算を寄越せ、と。
そもそも、
『癒し手』たちの奇跡はお布施で成り立っていた。
しかし、『癒し手』の食べるものや着るもの、
移動の費用をかんがみて料金を制定した。
しかし、貴族や豪商はそこに賄賂を含ませた。
雪だるま式に料金があがり、
本部も厳しく取り締まったが改革はならず。
そんな中での、『命の神』の死。
甘い蜜をすすり続けていたものたちは、
途端につま弾き者になりさがり。
それでも、贅沢三昧はやめられず。
四方八方に金の無心をして。
「……醜すぎる」
大司教は大きなため息をついた。
「『命の神』よ。
我らはどうなるのでしょうか」
その細い手が持っているのは、一枚の紙。
彼は、この紙をこの一年眺め続けている。
だが、踏ん切りはつかない。
紙には大きく雷のようなジグザグのマークが描かれていた。




