~帰還~
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屋上に緑色の高いフェンスが張られていた。まるで自殺企図者を閉ざしておくためのように思いもする。
干し竿に固定されたシーツが風の動きで泳ぐ。まるで風の通り道を描くように。
ここの屋上はなんだか肌寒くて嫌だ、ここ病院の屋上で姫子がそんなことを口に漏らした。
そうだね、と暗澹した口調であすなろが言葉を返す。
この空にも風が見える。青い色をした風が雲を勢いよく吹き流していた。そんな夏空を見てるで、だがまるで雨など降りそうになかった。
あすなろと姫子が見上げるも、その顔はどことなく寂しい。フェンス越しに立つあすなろが屋上のベンチに座る姫子を、姫子があすなろを、互いに見合って自分がどんな顔をしているのか悟る。自他暗い顔をしているのは瞭然だった。
こんな屋上の高みで、二人は絶望に打ちひしがれていた。
現実のこの町に再び戻ってきたものの、事態はそう軽く見られるものではなかった。
病院に着くなり、照乃が昏睡状態だということを知る。院内で突然に意識を失って倒れたという。照乃の容体の急変は当然二人の胸を酷く痛めた。
そしてもうひとつ気がかりなのがルテのことだ。
ルテはどうなったのか。
二人はあの後、ルテに会うことはなかった。
あの虚構の世界でルテが消滅した後、気づけばまたこの町に二人は戻っていた。
ルテはルテとしてこの世界に戻ってこられたのか。
それとも、切り離された思い出としてのルテが元の鞘に戻って照乃の記憶と同化したのか。
それ以外の可能性も考えられる。
けれど、ルテが消滅して、もう二度と会うことはできないと考えると、心が辛い。
それを不安視していることは、あすなろと姫子、二人もわかっていることなのだ。
もしルテが近くにいるのなら、けたたましく笑ってくれればいいとさえ思う。あなたたち何を寂しくこんな肌寒いところに佇んでいるのかと。
憎たらしい笑い声を懐かしげに聞きたいほど、二人は願っていた。馬鹿らしいと思えるけれど、それが本音だった。
はぁとため息を吐いて、あすなろが手のひらを空に向けた。
青い風に蹴散らされた雲を望みながら、空の奥の奥まで目を凝らした。そこに何があるわけでもないし、実質見えないのだから酷く馬鹿げているのだけれど、あすなろは向こうにいる誰かの存在を必死に乞い願った。
そのとき、手のひらで冷たいものを触ったように感じた。
おそるおそる手を引っ込めて間近で見やるあすなろ。雨の雫が、ぽたっと手のひらについていた。蹴散らされていた雲が徐々に押し固まって天上に流れ込んでくる様が観察できる。
「あすなろくん、もしかして?」
「ああっ!」
予感した瞬間二人は走り出す。
何が起きたかで、走り出したわけではないけれど、もしかしたらと。
無用に廊下を走ることを禁じられているが、気持ちが急いて事実を確かめたかったのだ。
病棟を移って、階段を下り、廊下を通り抜けて照乃の病室に辿り着く。
扉を開くと、医師と看護師が照乃の周りに集合していた。
「照乃さん、照乃さん、わかりますか?」
意識の確認をする先生たちに失礼を承知で、割って入る。
「ルテ!」
あすなろが叫んで、照乃に聞く。
「……? ルテ?」
誰のことなのか聞きたげ照乃は反応を返す。
「大丈夫? 照乃!」
姫子がベッドの中で細い目をした照乃に聞くと、ゆっくりうんうんと頭を揺らす。
目が覚めたばかりで無理もなかったが、照乃は次第に周囲の状況をゆっくりと飲み込んでいく。何度か会話を交わしていくと、だんだんと鮮明にわかっていった。
長い夢の深みから抜け出したばかりの照乃は、眠った分だけ髪が伸びていた。それだけの時間を越えてようやく帰ってきたことに周囲は歓喜する。
「ねえ、ひとつ聞いていい?」
「なんだ? 照乃」
「どうして部屋中にてるてる坊主が飾ってあるの?」
照乃に帰ってきて欲しくて、ルテがここに再び戻ってきて欲しくて、二人がせっせと作ったのだ。カーテンレールにも、ベッドの手すりにも、ひっかけるところすべてにてるてる坊主を逆さにつるして、彼女の帰りを待っていたのだ。
「変わりはないか? ルテ……いや、照乃」
窓の外は雨が降っている。
照乃はようやく帰ってくることができたけれど。
ルテがここに戻ってきてくれたのかは本当のところわからない。
人格的存在として、照乃の記憶として、戻ってきたのか。
ルテは果たして、戻ってきてくれたのだろうか。
窓の外は雨が塗っている。照乃の帰還を祝福するように雨が窓を立てていて拍手していた。




