(終)てるてる坊主を逆さにつるしたことがある
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照乃が退院したら映画を見に行きたいとあすなろに言った。いま流行りの映画を調べてあすなろは、そこに行くことにする。見終わった後あすなろは、おそらく照乃と一緒に映画の感想を述べ合ったりするのだろうと思っていた。映画について語り合うのはあすなろの得意事であることは、照乃も承知しているから。
それは病室のテレビで見るドラマや映画を見て、照乃と話を合わせているときに彼女が察したのだろう。そういえば、あすなろは照乃と映画館に行ったことがない。映画を誰かと一緒に見に行ったのは、姫子と行ったあのときだけだ。なんとなくそのことに寂寞な感傷を覚えざるをえない。あすなろはそう思いながら、いま駅前にいる。照乃と近場の映画館に行くために。
正直、照乃とデートすることは、いまこの場にはいない姫子に対して申し訳が立たないと思う。
姫子も知っている。今日は照乃と映画を見に行くんだということを。姫子は感情も嫌味も付け足さず、ただ一言いってらっしゃいと言った。
でも、そんなことを考えながら照乃とデートをするなんて、それだって照乃に対して申し訳ない。どちらかに集中しろとでも言いたげになりそうな話の流れだが、あすなろはこの中途半端に悩んでいる。
本当は悪いってわかってる。けれど、あすなろは二人の気持ちをぶち壊したくなかった。
淡い三角関係。
保留したままの関係なんて、本当に最低だと思う。
そんな思いを抱えたまま、照乃と映画を見てもいいのだろうか。
本当に罪深くて、ちぐはぐな思いで、こんなことであれば映画の誘いを断ればよかったとさえ思いたくなる。
でもけっきょく照乃の思いを壊したくなくて、悟られないように明るく振る舞って、照乃と話を合わせている。
優しいというのも、考えものなのだ。きっと。曖昧にしたまま形のないものを壊さないように保つ、それこそ自分を責めるべきことなのだ。だからと言ってすぐさま壊してしまえと言えようもないのだけれど。
空はこんなにも晴れている。照乃はルテのことをすっかり忘れていることはもう会話を交わしている段階ですでにわかっていた。ルテのことをそれとなく話題にしても、彼女はきょとんとするばかりで、もう彼女と直接会ったことも、彼女に平手打ちしたことも、照乃はすでに忘れている。
それでもだが、ふとあすなろは思うのだ。ルテは本当に消えてしまったのだろうかと。この世界のどこかに本当は彼女はふてくされながらどこかで生きているのではないかと、勘ぐり深くなるのだ。
憎たらしいほどに空は青く澄み渡っている。夏も中頃で、梅雨時のように急な雨など降りそうにない青空だった。
本当に憎たらしい。
◆
姫子はコンビニで時間を潰していた。あすなろが照乃と一緒に映画を見に行っていることは知っていた。
窓ガラスに面した雑誌コーナーで、今日の星占いの欄を見る。姫子の星座は酷い目に遭うらしい。あすなろの星座も確認してみると、彼も運勢が思わしくない。
自分は当たっているかもしれない。照乃を毛嫌いしたいとは思わないが、それでもあすなろと一緒にいることに嫉妬と苛立ちは生じるのが自然の道理だから。姫子はそんな歯がゆい思いを抱えている。
いま流行りの映画といえば、レイン・ドゥ・トレインというこれまた全米で大ヒットを記録した映画で、二人はそれを見に行っているらしい。
意図的に会話を合わせてあすなろとおしゃべりをするために、時間をずらして映画を見に行くべきだろうか。それとも、そんなことをすればあすなろにその意図を見透かされて毛嫌いするだろうか。いや彼は鈍いほうだから、それこそありえないなとは思うけれど。
ふいに空調が強くなって姫子の髪が揺れる。気持ちもそれにあわせてどうしようもない切なさに揺れる。
あすなろくんに優しく髪を撫でられることもないな。姫子は落胆の表情で重いため息を吐く。
とはいえ、そのような密接な状況に恵まれたのは二回しかないのだ。
けれどそれでも、たまにもう一度彼に優しく髪を梳かれ愛撫された思いに駆られる。大切にしてくれたあのときの思いを、彼のそばで感じたかった。
あのときほど彼に守られたように安心した気持ちになれた時間はない。
そして彼も考えていることを姫子も考えていた。
ルテのことだ。
あの後、ルテがどうなったのか、もう誰にもわからない。
照乃はルテの記憶を引き継いでいない。いまルテという存在を確実に知っているのは、あすなろと姫子だけ。強いて引き継いでいる者が誰かと問われれば、この二人しかいない。
心の中で生き続けるという言葉を字義的にできるというのなら、あすなろもきっと彼女のことを胸に秘めたまま生き続けるだろう。
姫子だってそうしたい。
嫌味ったらしくて、皮肉好きで、雨が好きで……。
雨が好きになれたのは、ルテのおかげ。
あすなろは彼女と出会えたことで、雨のことをすでに好きになっていたと思う。
行き交う人々は傘も差さず、それもそうか、空はこんなにも晴れているのだから。
反動的に晴れの日が実に嫌いなものだと思えた。
そんなことをルテにうちあけなどしたら、それこそ彼女の皮肉られて笑われてしまいそうだな。
ため息を深く吐く。自分はいったい何に対して悩んでいるのかわからなくなってくる。
今日、あすなろが照乃とデートしていること。
そして、ルテのこと。
「……ぶち壊してあげようか?」
後ろから声が聞こえた。
聞き馴染んだ声、目の前のコンビニのガラスに逆さになった少女の顔が映り込んでいた。
「えっ?」
「あすなろくんと、あの子とのデートを台無しにしてあげようか? 姫子」
窓ガラス越しで、はっきりとした顔かたちがわからない。
とっさに聞こえた声だけが、彼女の顔かたちを頭に鮮明に浮かばせる。
「ルテ!?」
振り向いたが、そこには誰もいない。
気のせいだったのだろうか、彼女はもう一度目の前を見る。
「え、空が……」
空の色が灰色へと徐々に変わっていく。
ゲリラ豪雨の予感がした。
まさか、本当に?
焦燥感でもなし期待してたわけでもなし、けれど姫子は急ぐ必要があった。
二人のところへ行かなくては。
◆
レイン・ドゥ・トレインを見終わって、照乃とあすなろは映画館から外へと出る。
雨の汽車と、雨の降られた汽車、というダブルミーニングが効いた予想通りの映画だった。気分のいい納得感であすなろはこれから喫茶店で照乃と映画の感想を言い合う準備はすでに出来ていた。
本当なら姫子ともその話題について振りたかった。
けれど、照乃と行くのは自分も姫子も気が引けるだろうことはさすがに察せられた。
見に行かないとなれば、照乃の快気祝いに背くような感じもする。照乃の誘いを断るのは、避けるべきだったことはわかっている。
映画の内容についてその面白さと魅力を姫子に伝えるべきだろうか。いや、それではネタバレになって彼女に申し訳ないだろうか。
そんなことを考えながら、駅前に施設されてあるペデストリアンデッキを歩いていた。
照乃と一緒に喫茶店で談笑するために、この道を歩く。
彼女のお気に入りのお店があるらしく、ここから二十分の片道で行けるくらいの距離だ。
今度は別の映画で姫子を誘おう。それがせめてもの埋め合わせになるだろう。
あすなろと照乃と、姫子の三角関係を解消する時機がまだ来ていない。そのうち自然な成り行きで自然な形に落ち着くのだろうか。そうしたら一抹の寂しさを受け入れる羽目になるだろうが。あすなろは時間の神様が何かしらの解決をしてくれることを心の中で望んでいる。
ふと空を見上げる。
「あれ?」
さっきまで晴れていたのに、もう厚ぼったそうな雲が空全体を覆っていた。
「あすなろくん!」
あすなろと照乃が歩いているところを、姫子が駆け寄ってきた。
「姫子!」
ビニール傘を持って、二人のところにやってくる。
「僕たちのために傘を持ってきてくれたの?」
「うん、いや……それどころじゃないの!」
姫子が息を切らせていた。次の言葉につなげようと必死に息を継ごうとする。
「ルテが、あたしさっきルテに出会ったの!」
「えっ!」
驚きの眼であすなろは姫子の瞳を見る。彼女は今日来るはずの人ではない。姫子が率先して一緒に行くことを遠回しに拒んでいたから。遠回しであれあすなろだってそのことは察していたから。そんな空気を破ってどうして姫子はここにいるのか彼には全然理解できない。理解が追いつかない。
そして、ビニール傘を手渡される。コンビニによく売られている簡素な作りをしたものだった。
「姫子、傘一本しかないんだけど」
「あたしにコンビニで傘二本買えとでも言うの? 二人でひとつ使いなさい」
「いやそうじゃなくて、姫子だって傘を持ってな……」
それに第一、照乃と相合い傘などしたら、心苦しいのは姫子も同じはずなのに。けれど姫子は半ば後ろを向き、ここから走り去る準備をしていた。
「じゃあ、私はこれでね! またね、あすなろくん」
そう言ってビニール傘を無理矢理に握らされ、姫子は半ば跳びながら、あすなろから離れるように走り出した。
「姫子、待ってくれよ! 僕は」
これはルテが作ってくれたひとつの皮肉だ。
姫子が満足する終わり方を、ルテは用意してくれたのだと思った。
そして、予想した通り。土砂降りの雨が降ってきた。
傘を持っていない姫子は一瞬で濡れネズミになった。
「姫子!」
呼び止められて姫子は、振り向いてあすなろのほうを振り向く。
「二人の関係なんて、なくなっちゃえー」
そう冗談めかして、皮肉っぽく笑いながら、姫子は去っていった。
てるてる坊主を逆さにつるしたことがある?
そんなことを聞かれても戸惑いしかない人は、きっと雨が嫌いな人だろう。
姫子は雨に打たれるのが好きだった。自分の切なさを雨のせいだと誤魔化せるから。こんなにバカみたいに笑いながら、雨を浴びた濡れネズミになるのが好きだった。
あすなろは傘に当たる雨の音が好きだった。傘に当たる雨が大切な誰かのようにいつもそばにあったから。いつか誰かから折りたたみ傘を渡されたように、彼もそういう誰かを大切に思っている。だからこの雨の音が好きだ。
ペデストリアンデッキの手すりが雨音を立てて銀色に光る。陽炎のようでもなく霧に映る影のように道行く人の姿が様変わりする。町の風景全体が灰色ではなく、白に染まっていく。町の風景全体が霧の陰になっていく。姫子の姿はかろうじてその容姿を認めることができた。あすなろが笑顔を見せる。もう一度振り返って姫子はバーカと言いながら笑顔を振りまいてみせた。全身が濡れてバカみたいに少女っぽくなった彼女の顔が無垢に見えた。
てるてる坊主を逆さにつるしたことがある?
雨が降るこの情景でなら二人は答えることができる。
あたしは、
僕は、
てるてる坊主を逆さにつるしたことがある。
雨降りしきる中で、二人はこくんと頷いて雨の情景の中に身を投じた。
(了)




