~後悔を消した時の後悔~
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姫子は向かいの棟まで駆け足で進んだ。これ以上誰も不幸にしたくはなかった。自分もあすなろもそしてルテも。どれが欠けても全員不幸な思いをするのはわかっていた。だから姫子はひたすらに走る。ルテはどこへ行ったのか探さなくてはならない。
連絡通路を抜けて姫子は息を切らせながら膝に手をついた。三階へ登る途中の踊り場はガラス張りで外が見えた。手が焼けると思いながら、いまさっき姫子がいた場所にあすなろの姿があった。姫子があすなろをじっと見ると、彼は上を指差して、必死に何かを訴えようとしていた。
行って、行って、と口の動きでわかった。上に何かあるのかわからない。もしかしてルテが? 姫子は止まっていた足を再び酷使して動かし、外、屋上へと続く扉を開けた。
嵐の前の静けさはすでに過ぎ去っていた。風は強く吹き荒れ始め、学校のあらゆる窓枠がぎしぎしと悲鳴をあげるほどの風力だった。ルテが起こしているのだろうか、と思いながら欄干に視線を移すと、案の定ルテがいた。
「ルテ!」
もう逃がさない、その思いで彼女の背中に追いつこうとする。ルテは屋上の欄干を握りしめていた。まさか飛び降りる気なのだろうか。飛び降りて彼女が幽霊だからとか死なないだとか、そんなことを躊躇して考える暇なんてなかった。あの世の道理など姫子もあすなろもいっさい知るわけがないのだから。
走り込んで、ルテの手を掴んだのと同時。ルテは片足を欄干の外に出した。
危機一髪というところではなかった。首の皮一枚つながった状態に遭遇してしまった。
「離して、姫子」
泣き崩れてとても他人に見せられないほど潰れていた顔で、ルテは言葉にならない声で訴えかける。させてたまるものか、命を絶たせるなどさせてたまるか。
逝かせてたまるか。と姫子は無理強いで「絶対に離さない」と鋭い目つきを作って、ルテの右手を握り込める。
「私がすべて悪かったのよ、それがすべてわかったのよ、姫子とあすなろくんにはとても感謝している。あとは私がここで飛び降りればすべて元通り。あなたもあすなろくんも元の世界に帰れるのよ」
「知らわないわよ、そんなこと!」
「……」
「あんたとは一生費やすほど付き合いがいがあるわ、本当に世話が焼けて苦労をかけて、あたしが手を焼いてあげるからさっさと足をこっちに戻しなさい!」
「嫌だ」
はっきりと否定するルテに、姫子は不愉快と苛立ちを覚える。自分も意固地、このルテもいい加減意固地が過ぎる。中途半端だと思えば、極端にことを進めたり、理知かと思えば無鉄砲が過ぎる。
「自分が信じたことを本当に曲げようとしないんだから」
「……あなたもね、姫子」
「うるさいわね、あたしだって泣き虫よ、弱虫よ、勇気がまだまだ足りないのよ! そんな未熟人間があんたと付き合おうって言ってるんだから、こっちに来なさい!」
「無理矢理な友達は嫌いだよ」
「嫌いでもあたしは、一生あんたに付き合うわ! ルテ!」
雨が降り出した。このままでは濡れて欄干が滑りやすくなる。さらに危険な状況になりかねない。当然姫子もそれを危惧していた。
「もう終わりなのよ、さようなら」
「ただのお別れで、済ませないで。あたしの気持ちを踏みにじるな!」
「ごめんなさい姫子、いままでありがとう」
「どこまでも中途半端ね、言葉と自害でなんでも解決するとでも思ってるの? ルテ!」
「……」
姫子は絶対に離さないよう握りしめた手にさらに力を入れる。両足が屋上の欄干の境界から落ちた。そして姫子もずり落ちるぎりぎりまで半身が欄干からずり落ちそうな状態になった。
風前の灯火までルテは詰められた。
「やめて、やめなさ……あなたまで生命の身に危険を及ばせるつもりは」
「バカ、バカ、バカ! あんたが死ぬことでどれだけ人に迷惑かけてるかわかってないの? あたしのような大事な……大事じゃないかもわからないけど、身近な人を巻き込んでまでいまさら何を言っているのよ! このバカ!」
そもそもルテが勝手に姫子たちを巻き込み、自分の惨めな姿を見せて、何も知らないで好きな人の罪を暴露して、そしてことの真相がわかったら自分に責任を感じて死でもって償おうとして。
無責任にもほどがある。
だから姫子はルテを許せなかった。
「私だけ壊れればいい、あなたは関係ない」
「関係者に仕立てたのは、あんたでしょルテ!」
ルテは何も言い返せない。自分の身勝手さにいまごろ気づいたようにまた泣き出した。
「この泣き虫!」
そう罵って、姫子の目からも涙が一筋流れる。
雨の勢いは、なおも強くなる。遠くで光が走る、轟きがこちらまで伝播した。
雷雨というのは本当に怒りなのか悲しみなのかわからない。文学的な表現などを察する文才など姫子にはないけれど、あまりにも中途半端な状況に彼女は苛立っていた。
「この……」
こんな状況でなければルテに平手打ちを食らわてやりたい。むしろここでルテを引き上げた直後に、ルテの頬を思い切り引っぱたいてやりたかった。




