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~雨の世界へ、再び~


 決して悪意があったわけではない。照乃が雨を予言するという御業をトリックと疑っていた節はあった。照乃のことを悪く思ったことはなかったが、その原因を探りに入れたあすなろ自身がなんと薄汚いことかと彼はわかっていた。

「あすなろくん、私もね、雨を降らすことができるんだよ。それでもね……」

「それでも、何?」

「もうこれで雨を降らす行為は最後にする。けっきょく一番卑怯なのは私だったんだから」

 せめて最後、姫子に会うためにルテを呼び出すために、照乃は打算的な最善を尽くすことにしたのだ。

 正直これを見ているあすなろの心のほうが痛んだ。

 五十個弱のてるてる坊主を逆さにし終えて、まるで悪戯をし終えた小汚い餓鬼のように、照乃は「できた」と言ってあすなろを見た。

 ますます心が痛くなる。けれど、これもみんな姫子とあすなろのためにやってくれていることなのだ。心が汚れていたのはけっきょくあすなろのほうなのだと確信する。

 自分への好意を無下にして、時には無視をして、わかっていたけれどこれ以上進展するのが本当は怖かった。

 打算的な女の子たちの打算を、あすなろ自身が気づかないこともある。いや、無理に無視していたのかもしれない。そのことが姫子と照乃を傷つけた。わかってやるべきだった。

 彼女たちが打算であすなろに近づいていることではない。

 彼女たちがなぜ打算であすなろに近づいてきたのかという、その思いの強さを察してやるべきだったのだ。

 でも正直、そんな自分がどうして好きなのかわからない。だからあすなろには責任がある。彼女らがあすなろを好きであるように。あすなろもその好意を裏切ってはいけないと、そう決断した。

 てるてる坊主を逆さにつるす。それがどれだけこの空を晴れ渡らせるのに導く者を侮辱しているかをあすなろは改めて知った。それはきっと照乃も同じ気持ちだったし、いまも同じ気持ちになっているのだろう。

「あすなろくん!」

 後ろから厳しい声を放たれて、振り向くと、雨乞いをする者らしき装束を身にまとい、準備を整えた露子がそこにいた。

 てるてる坊主を逆さにしているさまを見て激昂したのか。

「ごめんなさい、露子さん」

「あすなろくん」

 露子は逆さにしたてるてる坊主のほうへと向かい、そこにただひとつだけあった正立したてるてる坊主、それに手を触れた。そして、それをそっと逆さにした。

「露子さん……」

「さぁ、始めるわ!」


 露子の儀礼を見ながら、あすなろは手を合わせた。

 たとえその彼女にあるのが迷信であったとしても、わらにもすがる思いであすなろは姫子との再会を乞い願う。

 肩筋が硬直して、攣ったように痛くなる。それでもあすなろは空に祈りを届けるよう、手を密着させて離しはしない。

「姫子」

 照乃の言葉も本当は嘘の告白かもしれない。

 彼女はてるてる坊主を逆さにするだけで雨を降らすことができる。と言ったが、まだにわかには信じられなかった。けれど、きっとその辻褄が合ってそれを受け入れる日が来るかもしれない。

 露子の祝詞を聞き入りながら、照乃の力を期待しながら、あすなろは雨が降るのをずっと待ち続けていた。

 だが、時間はじりじりと過ぎていく。三十分したが、曇り空ひとつ空に浮かぶことはなかった。

 やがて踊り疲れたか、露子の膝が境内の石畳に着く。

「露子さん!」

 あすなろが駆け寄って、露子は手の甲の涙を落とした。

「露子さん?」

 首を横に振り、もう限界だと言った。

 身体の限界というより、心の限界が来たのだろう。

「ごめんなさい……」

「いや、ありがとう。露子さん」

 そう言いながら露子はその場で起き上がり、神社の本殿に戻って頭を下げ、雨乞いの儀を終了させた。

 それを見定め、逆さにしたてるてる坊主を正立の状態にさせようとあすなろは手を触れようとした。

「あすなろくん」

 露子に声をかけられ、あすなろはひゅっと手が戻る。

「そのまま、そのまんまにしておいて」

「露子さん」

「そこ、そこのかわいい女の子」

 露子が照乃を差して、こう告げる。

「その子には強い力がある。うちにはわかるわ。その御業はおそらく本物だから、そのてるてる坊主は逆さにしたままにしておきなさい」

 露子はてるてる坊主を正面にし、土の地面にひざまずく。

 申し訳なさそうに手をあわせて、小さな声でてるてる坊主に謝罪の言葉を示す。

 てるてる坊主を逆さにすることなんて本来ならやってはいけないこと。だけど露子は自分に免じて二人の行為をどうか許して欲しいと、そう言葉を漏らす。

 罪深いとまでは言わないまでも、申し訳なく思ってしまう。

「雨……」

「そうだね照乃、雨は降ってきそうにないね」

 落胆する表情を見せるあすなろに、照乃は首を振って否定する。

「雨、降ってきそうだよ」


 ……。


 それから気になる場所へと二人は移動した。

 そこは姫子が最後に目撃されたという場所だった。その目撃を最後に彼女はそこで消息を絶ったと見られる。

 不安になりながら照乃はあすなろのシャツの裾を引っ張っている。

 ダム湖近く山中の東屋、逆さになったてるてる坊主にユスリカが蚊柱を作って群がっていた。

 それを厭がってあすなろは両手を振り扇いでユスリカを払う。

 逆さになったてるてる坊主を見て、あすなろは不思議がる。

「姫子、もしかして君がこれを用意したのか?」

 つぶさな注意で、てるてる坊主を見ながら、あすなろは考え込む。

「その通りよ、あすなろくん」

 人影が伸びる。東屋の中央に逆さになった状態で彼女は現れた。

 照乃の声ではあったが、すぐそばでシャツの裾を握っている照乃の声ではない。

「ルテ……」

「ふっ、あなたもあの子のように私をそう呼ぶのね」

 まるでそれが恒例になってしまったことを嫌うよう、ルテは口角を上げてだが不気味そうにせせら笑う。

「私はね、あの姫子が嫌い。そして、あすなろくん。私はあなたのことが最も嫌い。私に最低ぞんざいな扱いをした。それを罰したい」

 それに対してあすなろは何も言い返せない。

「懺悔でもしてくれるつもり? それとも償いでもしてくれて? 表面上過去を塗り替えたところで調子に乗らないで、私は……」

 勢いよくルテの頬を引っぱたく乾いた音が、周囲にこだまする。

 一瞬のことで信じられなかった。

 照乃が、自身の分身であるルテに平手打ちを食らわせたのだ。

 その光景を信じられなかったのはあすなろだ。だが、一番信じられないといった顔をしていたのは、平手で頬をはたかれたルテ自身だった。

「何をするの! 緋村照乃、あなたは私であり、私はあなたの一部だったのよ!」

 自分の分身に手洗い扱いをすること自体、本来なら忌避することだ。けれど、照乃にいっさいのためらいなどなかった。

「私は……」

 照乃は一生懸命言葉を搾り出そうとする。

「私は、そうやって僻んでる自分自身が嫌いなの! それが私だったなんてことを考えるだけでぞっとする、吐き気がするわ!」

 瞬間、曇り空の音が鳴り始めて、降り止みそうにない雨が降り始めてきた。

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