~てるてる坊主を逆さにつるしたことがある?~ *4*
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長い夢を見ていたような気がする。あすなろはそんなことを考えていた。
それが事実起きたことなのか、すべて夢のことだったのかはわからない。
あのとき自分が経験したことを、まるごと否定するのは一種のためらいがあった。
「どうしたの、あすなろくん」
窓の並ぶ病院の廊下で照乃が話しかけてくる。いつになく明るい笑顔を見せて。
「僕はあの一週間か二週間、何をしていたんだろうって、考えていたんだ」
あすなろはダムに飛び込んだ。その数日後に、なぜかダムから下流の場所で発見された。遺体としてではなく、低体温症で。
死んではいなかった。ただ眠っていたという状態に等しかった。
何はともあれあすなろは無事助かったのだ。
けれど、そのあいだに見た夢のことを彼は忘れていない。
奥歯に物が挟まった感じがずっと残っている。物凄く気分が悪い。
照乃も同じだった。照乃もまた同じ夢を見ていた。そのことをあすなろは彼女から直接聞いた。
彼女の心身が落ち着き、記憶もある程度戻ったことを喜ばしく思った。彼女は快復したのだが。
そして夢のことに加えて、さらに心配に思うところがあった。
姫子が行方不明になっていることだ。
病棟であすなろの隣を歩く照乃は、ちょくちょくあすなろを観察し、細い声で呟く。
「姫子さんのこと、気になるの?」
それを聞かれるたびに困ってしまう。怖かった。あすなろが姫子のほうが好きなのでは、と勘違いされることが。
まんざら勘違いではなかった。だができれば勘違いをしている風体でありたい。正直それは悪質な誤魔化しだ。あすなろは、自分が悪者になるほうが生易しいと、そう思っていた。
このまま煙に巻いて何もしたくなかった。実に聞き苦しい弱音であろう。
姫子を助け出したかった。どこへ行ってしまったのかわからない。姫子の居場所をわかりたい。それだけでよかった。
心配する情はずっとずっとあすなろを苦しめていた。
照乃が病室に戻り、扉を閉める。鈍く重苦しい音を立てて、向こう側へ行った。
それを見届けてからあすなろは、両足から力が抜ける。リノリウムの床に膝を落とした。そこで泣き出したかった。意味などない。むしろ意味などつけたくなかった。
姫子のことが心配だから泣く。姫子のことを思っているから泣く。そういう意味づけを決してしたくなかった。
自分が堪えておぞましく思っていた情けなさが露呈する。
ここで始めて決心がついた。
「姫子! 僕は……」
扉を開けて照乃の病室に入った。
「あすなろくん?」
照乃がきょとんとした顔で、あすなろのことを不思議そうに見ていた。
「僕は姫子を連れ戻しに行きたい!」
もう誤魔化したりはしない。その決心は言葉に込められた意味ではない。自分が自ら決めたものだ。
「あすなろくん、私が行かないでって言ったら、行かないでくれる?」
「照乃……僕は」
指をちょいちょいと動かしてこっちに来いと指示する。
照乃の真顔の近くに歩み寄る。
「……僕が、やっぱり行かないって言ったらどうするつもり? それだけ聞かせて」
勇気がなくて直前で尻込みしてしまう。
けれど照乃は頬に手のひらを軽く押し当て、平手打ちをした直後のような姿勢を見せた。
「なおさら悪いわ。一度決めたのなら、そのままにまっすぐ行きなさい。男の子でしょ?」
息と胸が苦しくなって、あすなろはがくがくと震えだした。
そして、身震いを振り切って、照乃に言った。
「僕は行かなくてはならない」
あすなろが答えると照乃はにっこり笑った。
「私、許さないから」
けっきょくあすなろは悪人になるのだ。
いずれにしても悪人。
けれど、それがあすなろがすべき精一杯の選択だった。
「外出の許可を取るから、私も一緒に行かせて」
「うん」
晴れ上がった日曜日の青空だった。雨など望めようもないほど青々としている。
明るみの真昼に晒す太陽が見るに苦しい。
しかしただ、姫子が無事でいて欲しかった。それだけが彼が気がかりするところである。
「照乃。君はかつての僕を憎んだのかな?」
「知らない、忘れちゃった」
照乃は確かに健康を取り戻したが、昔の記憶をすっかり無くしていた。
それはすなわち、かつての記憶を持って別人格と化した彼女がまだ生きているということだろう。
「姫子さんって面白いね、あの子のことをルテって呼んでたみたい」
「ルテ、か」
それがどうというわけでもない。照乃とルテという名前で回文が作れそう。ただそんな名前関係の奇妙さだけが残る程度。
この後、照乃もあすなろも、あの人格化した彼女のことをルテと呼ぶようになった。
姫子の不在に深く関与しているのはおそらくルテである。それは間違いないことだ、そう照乃とあすなろは意見を一致させた。ならばルテともう一度どうやって出会えばいいのか。それが問題となる。
「ねえ、あすなろくんはてるてる坊主を逆さにつるしたことはある?」
「それは……」
「あすなろくん、私はね雨が好きなの。そしててるてる坊主を逆さにつるしたら、ルテが来る気がするの」
「なんで?」
「そんな予感がするの」
ダム湖や、山々を回っているうちに、二人の足は神社の境内に入っていた。
鳥居を中心からくぐり、その神社の全容を眺める。
すると、怒り顔をした女の子がこちらに近づいてきた。
「そんな風に通らない!」
「え?」
巫女さんだった。そして彼女には見覚えがある。
いつかクラスの女子と言い争いをして、雨乞いができると言って意地を通していた彼女。露子だった。
「鳥居の真ん中は神様がお通りになる場所よ、あなたたちは左端から入るの!」
「ご、ごめんなさい」
照乃が恐縮して頭を下げる。
「神社に何か用? あすなろくん」
露子にそう言われてあすなろは単刀直入に話を切り出した。
「姫子ちゃんが?」
彼女が行方不明になっていることはクラスメイトの露子でも百も承知であったが。その理由をいま始めて知って、露子は面食らう。
神事を司る人間とはいえ、そんなおとぎ話のようなことを信じる境地に至るにはほど遠い顔だった。
「雨乞い、してくれるかな?」
かつて彼女が言っていたことをあすなろは思い出していた。
露子は雨乞いの巫女だということを。
ふぅと息を吐いて、露子はそっぽを半分向く。
感心がないというわけではなさそう。だけど、にわかに信じがたい顔だった。
「やっぱ、信じてくれないかな、露子さん」
「それで姫子ちゃんが助かるならうちは喜んで雨乞いするわ、でも……」
「でも?」
「うちは入り口を作ることだけ、その入り口から姫子ちゃんを助けるのはあすなろくん、あなたよ。それでもいいのね?」
どうやら信じてくれたようだった。
「ありがとう、露子さん」
「あすなろくん。十割期待しないで。うちも雨を確実に降らす保証はできないから……」
落胆しかけた表情で露子はそのネガティブな感情を言葉で吐露する。
「それでもいい、僕は出来ることならばすべてなげうってでも……」
「なげうつな、うちは下手な鉄砲と違う」
露子のプライドを損ねてしまったようで、あすなろはしおしおと反省した顔を見せる。
雨乞いを始める前に、あすなろは晴れ渡る境内を一望する。
そのとき照乃が隅に設えられたてるてる坊主を逆さにし始めた。
「照乃!」
勝手なことをして、またいかにも怒りを買いそうなことを。
「いいの、あすなろくんも知ってたよね? 私も雨が降って欲しいって願っていたことを」
自らジンクスを踏むことをよしとする。
「照乃、僕は」
「嘘を吐かないで、私の打算は丸見えだったんでしょ? いいよ、無理にその場を繕わなくても」
自らジンクスを踏みにいくのは当然照乃も嫌いなはずだ。あすなろもそれはわかっていた。
「私、あすなろくんを自分側に惹きつけようとしていたとき、あの言葉を言われたとき、胸が爆発しそうかと思った」
あすなろはかつてあの言葉を照乃に放ったのだ。
――てるてる坊主を逆さにつるしたことがある?




