~First CLIMAX...Last CLIMAX...~ *3*
涙が溢れてくる。それは悲しみの涙ではない。かと言って嬉し涙とも違う。それはきっと心の器から溢れたものだ。あすなろくんが注いだ優しさがいまに至ってついに器から溢れたんだ、姫子はそんな自分自身が見える。
「優しいって、暖かいんだね」
そんなことを言っても、あすなろくんにはわからないだろうな。でも無理にわかろうとしなくていい。姫子はここまでくればもう何もわかってもらえなくてもいいし、何もくれなくていいと思っていたから。
もうこれで十分だった。
別段、あすなろくんに何をしてもらいたいか、と。姫子はたくさん夢を見てたけど、そんな子供っぽい見返りなんて、もういらなかった。
あすなろと楽しく話すこともしなくていい。もうあすなろにいい顔を見せなくてもしなくていい。
ありのままの自分を見せると言うのは弱い言葉だ。
格好悪いところを、言っても見せても、もうどっちでもいい。隠し事を繕うことなんてしなくていい。ありのままなんて聞こえの良い言葉で、演出する必要もない。
子供みたいな泣き顔を見せるばつの悪さを晒すとか、そういうことをしてもいいんだ。
姫子はそれが初めてわかった気がする。
男の子は暴力的だ。君のすべてを知りたいなんて言葉をよくもまあ言える。
だから姫子は勇気がなかった。自分を曝け出すのに必要なのは勇気だと勘違いしていた。
そんなものは必要ない。本当はもっと簡単だったのだ。
ただあすなろを信じればいい。ただそれだけでよかったのだ。
吐息と衣擦れの音を立て、もう一度互いに身体を触れ合わせる。いまの身体はもう身体じゃなかった。火照りだった。
服越しに抱きしめ合い、暖かい同士が合わさる感動を姫子は肌で感じる。
きっとあすなろくんもいま同じ気持ちを抱いているんだろう、と思った。
なんて無駄な苦労をしてきたんだろう。自分を見せるために必死になっていた。いや、自分を魅せるためと言うのが本当のこと。そんなことしなくてもあすなろには姫子のそのまんまを受け入れてくれる。そういうことがわかっていたはずなのに。だから姫子は思う、自分はいままで無駄なことをしてきたんだな、って。
そんなことを言うのは結果論かもしれない。けれどそうでもしないとここまで辿り着けなかった。そこでわかる。自分はずる賢くて打算的だということを。なんて醜い考えなんだろう。そんな自分が意地汚く思える。けれど、あすなろくんなら許してくれることを信じて。姫子は目を閉じた。
この一瞬、一瞬で終わることはわかってる。だからいままでの苦労はもう考えない。ただこの刹那だけに身を委ねたい。雨音に包まれた閉じられた屋舎の空間に、ひたすら心を委ねたい。だから、いまは何も考えさせないで。過去のことも未来のことも、すべてはいまここにあるもののために。
あすなろくんの胸に触れている。だからあたしはあすなろくんの心に触れている。そんな気がした姫子は、それが決して勘違いのたぐいではないと、そのことを切に感じていた。決して手に入れてはいけないもの、飼い慣らして自由を奪ってはいけないものだとわかっている。建前の言動でも、加えて心構えとしても、姫子はそうあるべきだと思っていた。それでも姫子はあすなろの心が欲しい。なんて貪欲で愚かなことか。
あすなろの指先と姫子の指先が震えて触れる。心臓のようにあすなろくんの指は震えていたと、そう思っている当人の姫子の指も現に震えていた。こんなときにそれを口に出して笑ってもいい。ありきたりな言葉で互いに安心させるのもいい。そして、黙っているのもまた心地いい。姫子はそのほうが合っている気がして、あすなろの指から伝わる温もりをただただ感じていた。
たまらず姫子は自分のほうからあすなろの背中に手を這わせて抱きしめる。頬と頬が当たった。髪と髪が触れた。衣服が擦れ合う音がした。いまここで心を許し、姫子はこう思った。もう一生あすなろを離さない、と。そう言った瞬間に思い出は一生分の長さになるんだ。手に入れた思いは一生呼び出すことができる。そう思っただけで鼓動が切なくなって、身体がまた震えた。感情のほとばしりに負けて、涙がまた零れた。
「あすなろくん、大好き」
ありきたりな言葉では到底飾れない。これは意味を確かめる必要のある言葉ではない。共有すべき意味なんてあすなろは知っている。
不意にあすなろに身体を押され、密着した身体が剥がされる。
「あすなろくん?」
大きいバスタオルを姫子の頭からかぶせた。
「なに?」
そのタオルにあすなろが入ってくる。
二人の距離も、空間も、ずっと狭くなった。
途切れることのない外の雨が遠くなる。
そしてまた互いに身体をくっつけあう。姫子は気づいた。これが寄り添うってことなんだ、と。
額にキスされた。その次に腕が動く気がして、姫子はあすなろの手首を掴んだ。
「姫子?」
「おいたが過ぎないところまで……」
悪いイタズラで済む手前で止める。きっとこのまま流されたら、姫子は止めることはできない。姫子の身体の力だけでなく、心が流されてしまうこともわかっていた。だからこうやって力の弱い腕で必死にあすなろくんの手を止めるんだ。姫子は正直、自分が流されて間違いを起こすことよりも、流されてどうにでもなってしまうことのほうが勇気がいる気がした。
「ありがとう、あすなろくん……」
バスタオルに覆われ、狭い空間の中で寄り添いながら、二人は目を閉じた。




