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~Sun Shower・キツネ~

 三階あたりまで伸びる木々が風に揺れる。涼しさに身を任せる。この時期も夏であることに変わりはないようだ。

 屋上の欄干を掴んで下を見下ろす。

「幽霊になるのも、結構いいものね」

 誰にも気づかれない。あの二人には自分が見えるのだが。それでも誰にも気づかれないこの自由さを満喫する気分は最高である。

 親にも先生にも束縛されない。サボってるなんてばれることはない。たとえば屋上に寝転がってもいいんだ、とか。

 本当に屋上で寝っ転がるなんて、はしたないことを姫子はしないけれど。

 授業が終わるチャイムが鳴る。窓辺でダベっている女子を見つける。

 あれは、さっきルテにつっかかった挙げ句にお暴力を振るった奴らだ。

 姫子は彼女たちの会話を盗み聞きすべく、そこへ行く。


「だから、わたしはあいつが嫌なのよ」

 廊下で大きな声で彼女たちは罵詈雑言を並べていた。その話題の中心になっているのはやはり……。

「まったく照乃の奴……」

 雨が降ると予言することを、ことさらに非難する。

「あいつ、あすなろのこと好きみたいね」

「ええっ、うっそ! 手回しが早くて嫌になる」

 ちょっと嫉妬心が燃えそうになったけれど、ルテは確かに彼が好きだということはわかっている。

「今日もあいつに傘を貸したのよ、雨が降るって言ってさ」

「嫌だわー」

 まだ空は晴れている。小雨すらも降る様子すらも微塵に感じられない。

「わたし、今日カレシとデートするつもりだったんだけど」

 今日は雨が降ると予言したことが相当気に食わない様子だ。

 それでもここまで邪険に扱うことはないだろうに、とは思う。

 ルテのせいで雨が降っているわけじゃないのだから。

「映画でも見に行ったら?」

「やーよ、わたしのカレシ、いつも横で寝るから」

 ため息を吐くが、それは決してルテのせいではない。

 それがたとえ雨が降ったとしても。

 姫子にも、確かに雨が降るのは嫌だって時期はあった。けれど、その考えはすでに変わっていた。雨の景色を灰色と思わなくなった。むしろいまはガラス窓についた水滴の白という印象である。

 でもルテは雨についてどう思ってるんだろう。

 そうこうしないうちに、空の向こうから雲がやってきた。

 雲の流れは早いが、それは青空を少し水色にする程度である。

 けれど、それが彼女たちの不満を爆発させるのに十分すぎた。導火線が短すぎる奴らだ。

「ったく、やっぱり雨が来た」

「あいつめぇ」

 そこまで邪険にすることはないだろうに。ルテだって雨を呼び寄せているわけではないんだから。

「あいつキツネみたいよね」

「そうそう、わたしも言ってやったのよ。あんたはキツネだって」

 キツネ、どういうことだろうか。

「ことのほか晴れたいい天気の日を、雨で台無しにする奴。無理矢理キツネの嫁入りにしちゃう奴」

「もうそれキツネそのものじゃんね」

 そう言いながら、ここにいないルテを酷く責め立てる。

 とても心が重くなる。ルテはこのとき、とても苦しかったんだろう。こういう無理解な女子に陰で責められて、正面からでも責められて……。

 帰りにまた何か起こらなければいいけれど。それを切に願うばかりだ。

 目を瞑って、風の音を聞く。

 雨音が降りた世界は、音がするのにとても静かな心地がする。それがどうしてかはわからない。ルテも同じことを考えているのだろうか。

 世界が濡れるということは、綺麗になるということ。

 たぶんそれは涙を流した後の気持ちに似ているんだろう。

 姫子はそんなことを考えた。


 雨はやや強くなってくる。でも風が強くないから、そこまで気にすることはない。

 帰り際にあいつらが何もしてこなければいいんだけど。

 そんな放課後に生徒たちがぞろぞろと出ていく。

 傘を持っていない生徒が多いように見えた。みんな濡れながら外を走った。

 そんな玄関の光景を屋上から眺める。

 様子見をしていると、またあの女子がそこに登場した。照乃の耳を引っ張って、ご機嫌斜めに当たり散らしている。

 姫子はまた慌てて走り出し、玄関に着く。

「キツネ、キツネ」

 また同じようにその言葉を言うのか。

「冗談じゃないわよ、あんたのせいでわたしの一日が台無しよ!」

「わ、私のせいじゃないし」

「うるさい!」

 言って突き飛ばし、玄関の扉にルテの肩がぶつかる。

 堪忍袋の緒が切れやすい奴らに、姫子はうんざりしかける。

 元より照乃も、このいわれなき不幸に苦しめられたのだろう。

 言いたい放題、悪口を浴びせ、彼女たちは雨の中を抜けるように全力で走っていった。

「照乃」

 姫子はルテを言葉で元気づけようとしたかった。わがままを言うなら、心が癒える解決をしたかった。

 部外者に過ぎないのに。そんなことを願うのは傲慢かもしれない。

 でも、きっと出来ることはあると思う。だから姫子はルテのほうへ歩み寄った。

「また、あなたね?」

 雨に濡れた冷たそうな顔をしていた。

 頬をくっつければ、きっとルテの頬は冷たいんだろうけれど。

「私、キツネって言われた……」

「うん、でも気にすることないよ」

 ルテはルテでいい。そのことを言葉でもって伝えたかった。

 元より課題は行動でルテに示すこと。それをどうすればできるのか。

 そんなことなど姫子は考えていない。ただ目の前で佇むルテを姫子は放っておけなかった。ルテは姫子の友達だから。

 時には怒りさえしたけれど、いまはそんな身近な存在に思えた。

 あいつらがどう言おうが、そしていま姫子との間に確たる絆などない。

 けれど、一人の大切な友達として、ルテのことを思ってやりたかった。

「照乃さんの好きな雨が奇跡みたいに降っているよ」

「いつそんなことを私が決めたの?」

 不満げな顔でルテは姫子を見る。事実、それは確かにルテの不満だった。

「雨なんて、大嫌いよ」

 それを聞くと姫子は、ああしまった、と思った。

 そうか、彼女はまだ雨の存在を心で受け入れてなかったんだ。

 あすなろに傘を渡したのも、彼女はきっと彼に雨で濡れて欲しくなかった。ただそれだけなのだと、姫子は思うに至る。

「キツネって言われた」

 耳にタコができるほど聞いているだろう。タコであればまだ大丈夫だ。

 けれど、ルテにとってそれは心の傷になっている。そのことを姫子は痛いほど察した。

 だからここからどう話を展開して、ルテを元気づけようか、そのことばかりに終始しようとする。

 そのうちルテの足が少し動いて、もう帰る気になっていることを悟る。

 何か言わなくちゃいけないのに、何も言葉が出てこない。

 そのときだった。

「キツネでいいんじゃない?」

 え? という言葉が漏れた。姫子の口からも、そしてルテからも。

 そこに現れたのは、あすなろだった。ルテの折りたたみ傘を持っている。

「キツネでいいんじゃない? 照乃さん」

「あすなろくん……」

 ルテは震えた胸であすなろのことをじっと見た。

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