第609話・社燕秋鴻(災禍の暁のあとの世界)
――別次元・札幌市? 豊平神社?
井戸から出た祐太郎とりな、紗那の三人は、まだ建物が残っていた仮称・豊平神社の社務所へと向かう。
先を歩いていた姉小路宮司に導かれて社務所へと案内されると、そのまま奥にある待合室らしき場所に通された。
広さは12畳程の板間、長テーブルが二つと丸椅子が散乱している部屋。
その傍らには段ボール箱が積み重ねられており、その手前のテーブルには大量の御札が並べられている。
「これは、いったい……」
「ああ。これは魔除けの護符だよ。こうして霊験あらたかなご神水で記された護符には、妖気を払う効果があってね。うちはこうして妖気払いの護符を作っては、これを求めてやってくる人たちに配っているんだよ」
そう告げたのち、姉小路宮司は三人に適当な場所に座るように促すと、傍らに置いてあった薬缶を手に取ると、茶碗に麦茶を注いで三人の前に差し出す。
それを疑うことなく手に取ると、りなは軽く一口。
「んぐっ………ぷっは、これ、ご神水で入れた麦茶ですね!! りなちゃんには分かります」
「ほう、そちらの獣人さんには理解出来ましたか。ええ、それはまちがいなくご神水で入れた茶です。しかし、それを何の疑いもなく飲むとは」
「だって、怪しい感じがしなかったからね。匂いも普通の麦茶だし」
「ああ、そっか。りなちゃんはそういうのに耐性があるんだったよね?」
「まじか……」
りなの言葉を聞いたのち、祐太郎と紗那も口をつけて軽く喉を潤す。
その様子を満足そうに見ていた姉小路宮司は、三人が一息ついたタイミングで話を始めた。
「それで、神の井戸を越えてやって来たみなさんは、この世界にどのような用事があったのでしょうか。この、まもなく滅びるであろう世界に」
「滅びる世界か。俺たちは、あるものを求めてこの世界にやって来たんだが」
そう伝えたとき、ふと祐太郎は言葉を噤んでしまう。
もしも創世のオーブの事を聞いたとして。
それが世界復興の力を持つと知られれば、この世界の姉小路宮司は俺たちに助力してくれるだろうか。
むしろ、この滅びし世界を救うべく、創世のオーブを使うのではないだろうか。
そんな疑問が頭の中をよぎったのだが。
「りなちゃんたちは、この世界にある創世のオーブを探しに来ましたっ!!」
「嘘だろ」
「え、りなちゃん……それ、いいの?」
まさかのりなの言葉に、祐太郎と紗那が同時に叫ぶのだが。
当のりな本人は何も気にすることなくきょとんとした顔で二人を見ている。
「え? 聞いちゃダメだったの?」
「い、いや、あのなりな坊。そもそも創世のオーブというのは」
――プッ
屈託ない笑顔のりなと狼狽している祐太郎。
その二人を見て、姉小路宮司が口元に手を当てて軽く吹き出してしまった。
「ああ、いや失礼。先に説明しておくが、君たちが神の井戸を通ってきた時点で、創世のオーブを探しに来たのだろうと予測はしてあったから心配することはない。そしてそれを神たちが回収することを邪魔するつもりもないよ。この世界はまもなく滅ぶ、それは抗えない運命だからね」
淡々と告げる姉小路宮司だが、その言葉の重さに三人とも言葉を失ってしまう。
どうして、滅ぶ世界に住んでいるのにこう、抗う事をしないのだろうか。
まだ可能性があるのなら、それを探すべきではないのか。
そう祐太郎は考えるものの、この世界の事を何も知らない自分が口出ししていい話ではない、そう自らを自制する。
そしてその様子を理解しているのか、姉小路宮司が窓の外を眺めつつ、ゆっくりと話を始めた。
「この世界にも、希望はあったのだがね。ある日、空に亀裂が走ったかと思うと、そこから大量の悪魔が飛来した。それが瞬く間に人の世界を蹂躙し、一度は人類破滅の危機が訪れたのだよ」
「一度は……ということは、その悪魔の侵攻は止めることができたのですか?」
遮那の問いに、姉小路宮司は頷く。
「ああ。神の加護を持つ者たちによって、世界は一度だけ、破滅の危機から逃れる事が出来た。だがね、そんな状況を破壊神が認める筈がなかったのだよ。いつしか月が真っ赤に染まり、魔族は再生を始めた……それでも、勇者と呼ばれる者達は懸命に戦ったのだよ。だが……」
その先の話は、祐太郎達にとって耐えがたいものであった。
………
……
…
勇者の中に一人、小さな少女がいた。
その子はまだ幼く、自らの能力を理解していなかった。
少女の能力は【解放】。
それが神の縛鎖によって囚われた邪神であろうと、たった一言、その囚われたものの真名を呼ぶだけで解放してしまうという力。
そして破壊神の残滓は、少女に告げた。
太平洋の中心、その海底神殿に眠る【破壊の海神】の真名を。
『君は、封じられたものの前で真名を呼ぶ事で、それを自らの力とする事が出来る』
たった一言。
この言葉を、彼女の脳裏に刻み込んだ。
そしてある日、悪魔長がその神殿へと逃げ延び、破壊の海神を解放すべく儀式を始めた。
当然ながら、勇者たちはそれを阻止すべく神殿へと向かったのだが、破壊神の残滓は一瞬の隙をついて、少女を【封印の間】へと転移させてしまった。
少女の能力は、目に見えない力。
ゆえに、彼女の周囲で活躍している勇者たちがうらやましかった。
そして、今、少女の目の前には、新しい自分の力となるべき僕が存在している。
そんな状況で、少女は力を求めてしまった。
たった一言、その【破壊の海神】の名を呼んでしまったのだ。
………
……
…
「その言葉が破滅のキーワード。解放された海神は少女を取り込み、【解放】の力を得た。そして災禍の赤月は完成し、『破壊の海神』の中に眠っていた残滓のひとかけらは回収された。ええ、それがすべてです。すでに災禍の赤月は終わり、今、この世界は【破壊の海神】により解放された【古き妖魔】により滅びようとしています。誰も、破壊の海神を止める事は出来ない。誰も、古き妖魔を止める事は出来ない……」
それで姉小路宮司の話は終わった。
俺なら、そして乙葉浩介なら、その古き妖魔を止められるのでは?
そう祐太郎は考えた。
まず創世のオーブを手に自分達の世界へと戻る。
その上で急ぎ、残りのオーブを集めて封印大陸を再生した後、今一度、この地に戻って来る事が出来れば……。
そう考えたのだが、祐太郎の考えを読んでいるかのように姉小路宮司は右手を前に差し出して軽く左右に振った。
「それが可能ならば、この世界を救う手立てとなるかも知れません。ですが、それは誰が行うのですか? 神の井戸を通った者は、二度とこの地に足を踏み入れる事は出来ない。これは神が定めた摂理です。そして今、この情報を持って戻ったとして、次に来る者は残された時間の中で、確実に、世界を救えるのでしょうか?」
「そんなこと」
やってみないと……と叫びそうになった祐太郎だが、そんな軽率なことは言ってはいけないと瞬時に理解し言葉を呑んだ。
「ええ、あなたは実に聡い。だからこそ、この世界の事など忘れてしまいなさい。それに、この世界だって希望がまったくないわけではないのです。いかなる神も干渉できない場所があります。偶然ですが、そこに繋がる道を私達は見つける事が出来ました。そしてその世界は、私達を受け入れてくれたのです……」
「それでは、あなたはどうしてここに残っているのですか? その地に行けば助かるのでしょう?」
そう紗那が問いかけると、姉小路宮司は頭を左右に振った。
「私は、この神社の宮司であり、神の井戸の継承者です。ゆえに、この地は最後まで守らなくてはなりません。もしもこの地が破壊の海神に、そして古き妖魔に知られたとしたら、どうなるか分かりますか?」
破壊の海神により、井戸に刻まれた枷が解放される。
そして古き妖魔が自在に出入りできるようになる。
ゆえに、姉小路宮司はこの地に留まっていた。
それを知っている精霊や神獣がこの地に降り立ち、神社の敷地を別空間へと避難させた。
ただし、この神社の境内から一歩でも外に出ると、二度とこの地へは戻ってこられない。
姉小路宮司は、この空間で、この神社を守っていたのである。
「この護符は、まだこの世界に残っている人たちを守るためのものです。こうして私が書き上げた護符は、精霊たちがこれを欲している人々の元へと届けてくれます。私は未来永劫、この地を守りつつすべての人々を守らなくてはなりません。それが、この豊平神社の宮司の使命なのですから」
にっこりとほほ笑む宮司。
いつしか祐太郎が、紗那が、りなが、涙を流している。
この地で年を取る事もなく、すべての人々が逃げ延びるまで、この宮司はここで護符を作り続ける。
そしてすべてが終わった後も、誰も来ないこの場所を永遠に守らなくてはならない。
そんな過酷な運命を受け入れている存在、そんな人物がいるという事実に涙を流していた。
「さて、長々と話をしてしまいましたな。では、あなたたちの為すべきことをしなくてはなりません」
そう告げたのち、姉小路宮司は懐から光る球を取り出す。
「それは……まさか?」
「ええ。あなたたちの世界に存在していた、創世のオーブの欠片です。これをあなた達に手渡す事で、全てが終わります」
そう告げたのち、姉小路宮司はオーブを祐太郎に手渡した。
――カチッ
すると何かが聞こえる。
それは、この地を縛る鎖の消滅する音。
神の井戸の運命、それが壊れる音。
そして、姉小路宮司の運命の歯車が、一つだけ進む音。
命の灯が消える、そのラインへと進んだ歯車の音。
「嘘だろ……あなたは、自身の魂の中にこれを納めていたっていうのかよ」
「ええ。そうして私は、この世界で長々と生きていました。最後の護符は先日書き終え、今頃は最後の人たちの手に届いているでしょう……これで、この世界は真の意味で解放されます」
周囲の風景がにじみ始める。
ゆっくりと歪み、水の中に溶けていくように。
「さあ、そろそろ時間です。これが最後の渡航です……あなたたちは、あるべき世界へ。この世界は、あるべき運命へ……願わくは、この世界の事は忘れてください……」
「……せめて、私の記憶の中で」
その紗那の言葉の直後、三人はふと、自分達が外に立っている事に気が付いた。
見慣れた光景、見慣れた場所。
豊平神社の境内、その中にある小さな小屋の横。
かつて、そこから行けたはずの空間、神の井戸のある場所。
だが、そこにはもう、何も残っていなかった。
いつもお読み頂き、ありがとうございます。
・この物語はフィクションです。登場する人物・団体・名称等は架空であり、実在のものとは関係ありません。
・誤字脱字は都度修正しますので。 その他気になった部分も逐次直していきますが、ストーリー自体は変わりませんので。




