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「……な、なんだ。そんなことか……」
犬井は安心したように小さく呟いた。
「ん? 何か言ったか?」
もちろん、俺はその言葉を聞き逃さなかったが、敢てそう訊き返す。
「あ……う、ううん。何も言ってないよ。わかった。一緒に帰ろう」
ぎこちなく微笑みながら、犬井はそう言った。
犬井にしてみれば無用な心配からようやく解放され安心しているようだった。
おそらく「あ、やっぱり逢沢君もそこまで変な人じゃなかったんだ」と安心しているのだろう。
だが、待ってほしい。
パンツを要求してきた人間を「変な人じゃない」と断定するのはいささか尚早すぎやしないだろうか?
どう考えたって変な人間に決まっている。ここで警戒を解いてはいけないのである。
もっとも、そこで警戒を解いてしまうからこそ、目の前の小さな犬井という少女は長澤のように間の抜けたヤツにさえイジメられてしまうのだろうが。
「わかった。じゃあ、また後でな」
「うん……ふふっ」
と、なぜか犬井は小さく笑った。俺は思わず目を丸くする。
「なんだ? 何かおかしいのか?」
「あ……ごめんね。その……転校してから誰かと帰るの……始めてだから……」
何を勘違いしているのか、犬井は嬉しそうだった。
コイツは大丈夫なのか。俺は昨日コイツのパンツを要求し、そして、今もまだ所持している人間なんだぞ?
お人よしというか、ちょっとズれているというか……
と、そんな折に先生が教室に入って来た。
「じゃあ、そういうことでな」
「うん。じゃあね。逢沢君」
ニッコリと犬井は微笑んだ。その顔を見ると、なんだか違和感があった。
なんというか……俺にはもったいない。そんな感じがしたのだ。
俺がほしいのは犬井の絶望の表情だ。だから、笑顔なんていらない。
でも、その時俺は、その犬井の笑顔が、もったいないと思ったのだ。
「おーい。席に座れよ」
先生の声が聞こえてきたので、俺はもやもやとした思いを抱えながらも席に就く。
まぁ、いい。とりあえず滞りなく話は進んだのだ。俺としてはなんとも嬉しい限りである。
後はこのまま放課後まで何事もなく進んでくれればいい。
いや、今の俺ならば何も不都合はないだろう。
俺は満足感に浸りながらそのまま授業を適当に聞き流した。




