(回顧録)何者にもなれなかった俺が、学生時代だけは仕事をしていた
俺が大学生だった頃は、ちょうどベンチャー企業が持ち上げられていた時代だった。
今ではベンチャーやスタートアップという言葉も珍しくないが、当時は、
学生のうちに会社を立ち上げた若者がテレビや雑誌に登場し、「新しい時代を作る天才」として
扱われていた。
ホリエモンが注目され、インターネット企業が次々と生まれた。大学を卒業して大企業に入り、
定年まで勤める以外にも、人生の成功ルートがあるように見えた。
学生が会社を作る。
若い経営者が何億円もの金を動かす。
インターネットを使えば、昨日まで何者でもなかった人間が、一気に有名になれる。
ドラゴンクエストをやりながら、自分もいつか主人公になると思っていた少年にとって、
その空気はかなり魅力的だった。
俺も、いつか独立できたらいいと思っていた。
会社に雇われるだけではなく、自分で何かを始めたい。自分のアイデアや能力で、
世の中に新しいものを作りたい。
ただ、何をしたらいいのかは分からなかった。
事業のアイデアがあるわけでもない。プログラムが書けるわけでもない。仲間を集める力も、
金を集める力もない。
独立したいという憧れだけはあるのに、実際には何もできない学生だった。
それでも、ベンチャーの世界に少しだけ近づく機会があった。
大学時代、俺はベンチャー企業のインキュベーション施設のようなところで、
一年ほどインターンをした。
当時は産学連携という言葉が流行っていた。
大学だけで研究を終わらせるのではなく、行政や企業と協力して、新しい産業や会社を
生み出そうという動きである。
市や県、経済産業省の関連組織、経済産業局、大学などが連携し、若い会社や研究者を支援する。
俺が通っていた立命館大学も、そうした取り組みに関わっていた。
施設には、当時の新しい技術やインターネットを使って事業をしようとする会社が入っていた。
現在はゲームアプリの会社として知られているドリコムも、当時はブログや検索など、
インターネットの新しいサービスに取り組む会社として権利を持っている教授のラボがあった。
京都には、大学発の会社や、地元の大手メーカーに関係する技術系の会社もあった。
俺自身が起業したわけではない。
革新的なサービスを考えたわけでもない。
インターンとしてやっていたことは、施設の運営を手伝ったり、セミナーへの
参加を企業に呼びかけたりするような仕事だった。
大学職員として使える名刺を作ってもらい、それを持って会社を訪問した。
「今度、このようなセミナーを開きますので、参加していただけませんか」
電話でアポイントを取り、企業の担当者に会いに行く。
学生の俺が、大学の名前が入った名刺を持ち、社会人と話をする。
今から考えれば、それほど大きな仕事ではない。
営業と言っても、商品を売ったわけではない。厳しい目標を持たされていたわけでもない。
ただ電話をかけて、約束を取り、会社まで足を運んだだけである。
しかし、俺にとっては大きな経験だった。
俺はもともと営業が怖かった。
知らない人に電話をかけるのも嫌だった。断られるのも怖かった。人と話すことから、
できるだけ逃げたいと思っていた。
それでも、大学の名刺が一枚あるだけで、会社に電話をかける理由ができた。
自分個人として相手にされる自信はなくても、立命館大学という看板を背負えば、
話を聞いてもらえることがあった。
名刺を差し出し、会社の会議室に入り、担当者と話をする。
東京のビッグサイトで開かれる展示会にも行った。
広い会場に無数の企業が並び、新しい製品やサービスを紹介している。スーツを着た大人たちが
名刺を交換し、商談をしていた。
学生の俺も、その中に混じって歩いた。
自分も社会の一部に入ったような気がした。
ベンチャー企業を作ることはできなかった。
新しい産業を生み出す側にもなれなかった。
しかし、知らない会社に連絡し、外に出て、人と会うことはできた。
おそらく、あのインターン経験がなければ、俺はその後、大手企業に就職できなかったと思う。
就職活動で話せる経験ができたというだけではない。
怖くても電話をかければ、誰かが話を聞いてくれることがある。
何の力もない学生でも、役割と名刺を渡されれば、少しだけ前へ進める。
その感覚を覚えられたことが大きかった。
不思議なことに、社会人になってからの俺よりも、あの頃の俺の方が仕事をしていたような気がする。
会社員として長く働いてきた。
資料も作った。資格も取った。会議にも出た。
それでも、「自分が動いて、外の人とつながり、何かを前に進めている」という感覚は、
インターン時代の方が強かった。
学生だった俺は未熟だった。
知識も能力もなく、ベンチャー企業への憧れだけを持っていた。
だが、名刺を持って東京へ行き、会社に電話をかけ、知らない大人に会っていた。
今の俺より、よほど前を向いていたのかもしれない。
結局、俺は起業家にはならなかった。
独立することもなく、大手企業に入り、その中で窓際のサラリーマンになった。
あの頃に思い描いていた未来とは、ずいぶん違う。
ただ、あの一年が無駄だったとは思わない。
何者かになりたかった学生が、初めて社会に触れ、自分の足で外に出た時間だった。
今、小説を書き、YouTubeで話し、この作戦会議室を作ろうとしているのも、
あの頃の憧れの続きなのかもしれない。
会社を作る力はなかった。
世の中を変えるサービスも生み出せなかった。
それでも、自分の名前で何かを発信し、誰かに届けたいという気持ちは、二十年近くたった
今も残っている。
俺がこれまでで一番仕事をしていたと感じるのは、立派な会社員になってからではない。
名刺一枚を握りしめ、何者でもない学生として、知らない会社に電話をかけていた頃なのである。




