最終章『さよなら、100点の笑顔(後編)』
キーン、と耳をつんざく不快な音が体育館に響き渡る中、陽太は舞台袖に駆け込んだ。
そこには、クラスメイトたちが呆然と立ち尽くしている。だが、陽太の目はその奥、暗がりに一人で佇む氷川だけを捉えていた。
氷川は、驚く様子も、動揺する様子もなかった。
ただ、今までで一番満足そうな、わずかな微笑を浮かべて彼を待っていた。
陽太は、彼女の目の前で足を止めた。
頬の筋肉を緩め、眉を下げ、自分を縛り付けていたすべての『正解』を投げ出した。
「……0点の顔、見せに来たわ」
掠れた、低い、自分でも驚くほどぶっきらぼうな声。
氷川はふっと鼻で笑うと、彼の手を軽く叩いた。
「最悪ね。……でも、最高の最終回だったわよ」
「……行こう。ここはもう、うるさすぎる」
陽太は氷川の手首を掴んだ。
「おい、待てよ陽太!」「どういうつもりだよ!」
背後から投げかけられる、『かつての観客たち』の困惑の声を切り捨て、二人は薄暗い校舎の奥へと駆け出した。
非常階段を二段飛ばしで駆け上がる。
心臓の鼓動がうるさい。演技のために調節された呼吸ではなく、ただ走るためだけに肺が空気を求めている。それが、たまらなく心地よかった。
屋上の重い扉を蹴破るように開けると、そこには、体育館の喧騒とは無縁の静寂と、燃えるような夕焼けが広がっていた。
陽太はフェンスまで走ると、そのままコンクリートの上に座り込んだ。
肩を上下させ、乱れた呼吸を整える。
「……あーあ。これ、明日からどうすんだよ」
「知らないわよ。あなたが勝手に舞台を降りたんだから」
氷川が、少し遅れて隣に腰を下ろす。
陽太はポケットから、重い塊――スマホを取り出した。
パスワード『0612』を叩き、あの忌々しい『偽装台本』を開く。
【笑顔の秒数】【山田への相槌】【王子としての振る舞い】
画面いっぱいに並ぶ文字。
陽太は迷わず全選択ボタンを押し、ゴミ箱のアイコンをタップした。
『メモをすべて削除しますか?』
「……当たり前だろ」
削除を確定した瞬間、画面には何も書かれていない、眩しいほどの白一色が残った。
「……あーあ。これからは、全部アドリブか。最悪だな」
陽太はそう吐き捨てると、スマホを放り出し、夕焼けに目を細めた。
その横顔は、100点の笑顔でも、王子の仮面でもない。
誰のためでもない、ただの「自分」に戻った少年の、静かな無表情だった。
体育館から、微かにアンコールの拍手が聞こえる。
だが、その舞台に、もう陽太はいない。
陽太はこれからどうするんだろうか




