最終章『さよなら、100点の笑顔(前編)』
ー文化祭当日ー
体育館の熱気は、舞台袖にまで押し寄せていた。外は秋の気配がしているというのに、ここは湿った期待と興奮で充満している。
「次、陽太たちのクラスだぞ! 準備いいか?」
実行委員の声に、陽太は「バッチリだよ」と100点の笑顔を返した。胸元には目立たないピンマイクが仕込まれている。衣装のベロア生地が肌に張り付いて、猛烈に気持ち悪い。
――あと、十五分。脳内の「王子様マニュアル」を最終チェックする。
【第一声:明るく、力強く。ヒロインを見つめる時は左斜め45度。観客には惜しみない微笑みを】
「……あーあ。マジで陽太に押し付けといて正解だったな」
舞台袖の暗がりで、クラスの数人がひそひそと笑い合っているのが聞こえた。
「主役なんて面倒なだけだしな。あいつ、褒めときゃ何でもやるだろ? 準備中もずっと俺らの代わりに動いてくれたし(笑)」
「あ、そういえば氷川のやつ、背景描くとき陽太にだけは文句言ってなかったな。あいつらセットで動かしときゃ、俺ら何もしなくて済むから楽だわ」
「本当それな。終わったら陽太だけ適当に打ち上げ呼んで、持ち上げとけば次もやってくれるだろ。氷川みたいな暗いのは放っておけばいいし」
陽太の指が、衣装の裾をミシリと鳴らした。胸の奥で、何かが静かに、でも確実に砕け散る音がした。
「陽太、出番だ! 行け!」
背中を押され、眩いスポットライトの中へ踏み出す。逃げ場のない白い光が、全身を執拗に照らし出す。全校生徒の視線が、一斉に陽太を貫く。割れんばかりの拍手。黄色い歓声。
陽太は、ヒロインの手を取った。台本通りのセリフ。台本通りの笑顔。だが、視界の端に、舞台袖で冷めた目をして立っている氷川が見えた。
――待ってるわよ。あなたがその『台本』を破り捨てて、本当の声で叫ぶ瞬間を。
耳の奥で、彼女の呪いがリフレインした。陽太は、ヒロインの手を離した。セリフの途中で、動きを完全に止める。会場がザワつき始めた。
容赦なく降り注ぐスポットライトの中で、陽太の顔から、一切の表情がさらさらと崩れ落ちた。数秒前まで「王子」だったはずの少年の瞳から光が消え、暗く淀んだ深淵が顔を出す。
「……あーあ。もう、やってらんないわ」
ハイトーンの「王子様」ではない、15ヘルツ低い、地を這うような地声。それが胸元のマイクを通して全校生徒の鼓膜を震わせた。
「おい、陽太? どうしたんだよ、セリフ!」
舞台袖からクラスメイトが焦った声を上げるが、陽太は一瞥もくれない。
「お前らが見てた『陽太くん』なんて、どこにもいねーよ。……全部、俺がスマホのメモに書いた通りに動いてただけの、ただの人形。……あー、せいせいした。お前らの顔、ここから見るとマジで滑稽だわ」
陽太は言い捨てると、そのままステージの中央で、自分の胸元に付いたピンマイクを無造作に引きちぎった。ブツッ、という耳障りなノイズがスピーカーを突き抜け、直後に不快なハウリングが会場を包む。
彼は呆然とする観客席に背を向け、舞台袖に立ち尽くす氷川の元へ、迷いのない足取りで向かった。
陽太は、彼女の目の前で足を止めた。
頬の筋肉を緩め、眉を下げ、自分を縛り付けていたすべての『正解』を投げ出した。
「……0点の顔、見せに来たわ」
もうラストスパートです!!
みんなに自分をさらけだした陽太、これからどうなるんだ?!
次回、最終章『さよなら、100点の笑顔(後編)』




