『おめでとう、王子様』
―放課後―
「――というわけで、今年の出し物は『シンデレラ』の現代版アレンジに決まったわけだけど」
学級委員がチョークで黒板を叩く。その無機質な音が、陽太には開演のブザーのように聞こえた。
クラス全員の視線が教壇へと集まる。黒板の中央には、赤チョークで殴り書きされた「配役」の二文字。
「……で、まずは主役の王子様役。これ、推薦とかあるかな?」
その瞬間、教室の空気が目に見えるようなうねりとなって、一つの方向へと流れ出した。
示し合わせたわけでもないのに、クラスメイトたちの首が一斉に回り、その視線の矢が陽太という標的に突き刺さる。
「え、これ聞くまでもなくない? 陽太だろ」
「だよねー! 陽太以外に誰がいるのって感じ。適任すぎ」
ざわざわと広がる、無邪気な期待の声。
陽太の脳内マニュアルはコンマ数秒でページをめくり、最適解を弾き出した。
【推奨アクション:一度は困ったように謙遜し、周囲の熱意に折れる形で引き受ける。=『謙虚で爽やかなリーダー』の完成】
陽太はいつものように、完璧な角度で爽やかな苦笑いを浮かべた。
「え、僕? いやいや、僕なんかより他にもっと適役がいるって。……山田とか、意外とハマるんじゃない?」
冗談を交え、周囲を立てる。マニュアル通りの回避行動。
だが、クラスの空気はそれを許さない。
「……あはは、陽太、またそうやって謙遜して! 陽太がやれば絶対成功するし、みんなも納得するんだからさ」
誰かが放ったその一言に、陽太は背筋が凍るのを感じた。
「みんなも納得する」
それは、「お前なら俺たちの期待通りに、理想の王子様を演じてくれるだろ」という、拒絶を許さない同調圧力だった。
彼らにとって、陽太がどう思っているかなんて関係ない。彼らはただ、自分たちの文化祭を完璧に彩ってくれる『便利な偶像』が欲しいだけなのだ。
陽太は、喉元まで出かかった「やりたくない」という本音を、泥水と一緒に飲み込んだ。
マニュアル通り。台本通り。
ここで断れば、この温和な空気は一瞬で冷え、自分は『ノリの悪い、期待を裏切る奴』という烙印を押される。それは、この場所で死ぬことと同義だった。
「……そっか。みんながそこまで言ってくれるなら、頑張ってみようかな。力不足かもしれないけど」
100点の笑顔。100点の謙遜。
教室中に「さっすが陽太!」という歓喜の拍手が沸き起こる。この瞬間、陽太という個人は消え、クラスの所有物である『王子様』が誕生した。
その喧騒のど真ん中で。
陽太は、窓際に座る氷川と、一瞬だけ目が合った。
彼女は頬杖をついたまま、口角をわずかに上げ、声を出さずに唇を動かした。
(――お・め・で・と・う。王・子・様)
その無機質な微笑みは、陽太には「地獄の底へようこそ」という宣告にしか見えなかった。
拍手の音が、鼓膜を突き破るような耳鳴りとなって響く。
(……クソ。また、『役』が増えた)
スマホの隠しメモに、新しい項目を追加しなくてはならない。
【王子様役:常に堂々と。ヒロインには優しく。観客の期待を裏切らないこと】
陽太の手は、机の下で、爪が食い込み白くなるほどに握りしめられていた。
配役が決まったその日から、陽太の日常は『二重の演劇』へと変貌した。
朝から放課後まで「クラスのムードメーカー」を演じ、その合間に「理想の王子様」として舞台稽古に駆り出される。
「陽太、ここ。もっと優しくヒロインの手を取ってよ。王子様なんだからさ」
「あはは、ごめん! こうかな? ちょっと照れるね」
演出担当の女子が飛ばす勝手なオーダーに、陽太は120点の照れ笑いを返す。
――うるせえよ、素人が。
心の中では、低い地声で毒を吐き捨てていた。
衣装の採寸、大道具の運搬、セリフの暗記。
「陽太ならやってくれる」「陽太に任せれば安心」。
その言葉が投げかけられるたびに、陽太のスマホのメモ帳には、自分を縛り付ける『指示』が際限なく増えていった。
放課後の薄暗い廊下。
一人で巨大な背景パネルを運んでいると、背後から冷ややかな声が届く。
「……90点。さっきの照れ笑い、口角が左だけ数ミリ低かったわよ。疲れが隠せてないわ」
氷川だ。彼女は手伝う素振りも見せず、壁に寄りかかって陽太の「作業」を眺めている。
「……うるさいな。これ、結構重いんだよ」
陽太は周囲に誰もいないことを確認し、一瞬で真顔に戻る。
低い声。苛立ちを隠さない、剥き出しの瞳。
「そう。でも、あなたはそれを『重くないですよ』って顔で運ぶのが仕事でしょ? 王子様なんだから」
「………………」
陽太は何も言い返せず、パネルを床に叩きつけるように置いた。
乾いた音が、静かな廊下に響く。
「……氷川。お前、俺がいつか壊れるのを待ってるんだろ。面白い見せ物が見れるって、期待してるんだろ」
詰め寄る陽太に対し、氷川はわずかに目を細めた。
「待ってるわよ。あなたがその『台本』を破り捨てて、本当の声で叫ぶ瞬間を」
彼女の言葉は、呪いのように陽太の耳に残った。
壊れたい。叫びたい。
でも、明日もまた、陽太は100点の笑顔で「おはよう」と言わなければならない。
文化祭本番まで、あと三日。
陽太の精神という名の舞台は、すでに至る所に亀裂が入り始めていた。
学校と言えば文化祭ですよね!!
短期連載の中で出すとなると日常パートを削るしかないんですよね。
次回は早いことに最終章突入です!!
よければ最後までお付き合い下さい。




