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演者・陽太の最終回(ラストシーン)  作者: ゆうあ


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2/6

『15ヘルツ低い、僕の声』

「…………あーあ」


陽太の頬から、表情がさらさらと崩れ落ちる。

彼はマニュアル通りの笑顔をゴミ箱に捨てるようにして、ポケットに手を突っ込んで、窓の外を眺めた。


「……バレたか」


その声は、さっきまでのハイトーンとは別人の、低く冷え切った「地声」だった。

陽太は一歩、氷川との距離を詰めた。

その目は、もはやクラスメイトに向ける温和な光を一切宿していない。冷たく、刺すような、拒絶の視線。


「……で?」


普段より15ヘルツ程低く、地を這うような声。

陽太は氷川の手にあるスマホを強引にひったくり、乱暴に胸ポケットへ突っ込んだ。


「バラすの? 『人気者の陽太くんは、実はスマホに台本を書いてる嘘つきでした』って。クラス全員に言いふらして、僕をこの学校から追い出すのが目的?」


彼は嘲笑を浮かべ、氷川の顔を至近距離から覗き込む。


「悪趣味だな。人の秘密を握って、優越感に浸ってるわけ? ……言いたきゃ言えばいいだろ。どうせ、あいつらバカだから、信じないか、信じても数日で忘れるよ」


陽太の指先は、まだ微かに震えていた。

だが、その表情には「もうどうなってもいい」という、自暴自棄な開き直りが張り付いている。


「さあ、早く行きなよ。放送室でも職員室でも。……それとも、何か僕に『演技』してほしいことでもあるの?」


氷川を見下ろす陽太の口元は、歪な形に吊り上がっていた。


陽太のどす黒い言葉を浴びせられても、氷川は瞬きひとつしなかった。

それどころか、彼女は至近距離にある陽太の瞳を、まるで珍しい標本でも眺めるような無機質な目で見つめ返した。


「……勘違いしないで」


氷川の声は、相変わらず抑揚がない。


「別にバラすつもりなんてないわよ。……私、あなたのその演技、嫌いじゃないし」


「……は?」


陽太の思考が停止した。

睨みつけていた目に、わずかな動揺が混じる。


「完璧すぎて気持ち悪いと思ってたけど、理由がわかれば納得がいくわ。……あんなに大勢のバカな観客を相手に、たった一人で舞台に立ち続けてる。それって、凄まじい執念よね」


彼女は一歩、陽太に詰め寄った。

陽太が反射的にたじろぐ。


「……あなた、自分のこと『嘘つき』だと思ってるんでしょ? でも、私には見えるわよ。その『台本』を必死に守ろうとしてる、ボロボロになった本当の顔が」


氷川は、陽太の胸ポケットを指先でトントンと叩いた。


「面白いわね、陽太くん。……明日からも、その『100点の笑顔』、ちゃんと見せてよね。私が飽きるまで」


そう言い残すと、彼女は陽太の返事も待たず、静かに教室を去っていった。


氷川の足音が廊下に消え、教室には再び、重苦しい沈黙が戻ってきた。

オレンジ色の夕日はすでに沈みかけ、影が長く伸びて足元を浸食していく。


陽太は、彼女が指先で叩いた胸のあたりを、無意識に手で押さえた。

そこには、さっきひったくったスマホが、まだ微かな熱を持って収まっている。


「……嫌いじゃない、か」


ぽつりと漏れた独り言。

その声は、自分でも驚くほど低く、どこか力が抜けていた。


今まで、誰もが彼の「笑顔」を愛した。

「明るい陽太くん」「優しい陽太くん」。

誰もが、彼が差し出す『完璧な偽物』に満足して、その裏側にあるドロドロとした本音なんて、見ようともしなかった。


(……初めてだ。俺の中身を知って、逃げなかった奴)


不気味だ。腹が立つ。得体が知れない。

それなのに、胸の奥を締め付けていた得体の知れない「重石」が、ほんの少しだけ軽くなったような気がした。


陽太はスマホを取り出し、パスワード「0612」を入力して、あの台本を開く。

画面の光が、無表情な彼の瞳に冷たく反射した。


「……明日も、見せてよね、か」


陽太は、鏡もない暗い教室で、ふっと口角を上げた。

それは、台本に書かれた「100点の笑顔」ではない。

自嘲と、困惑と、ほんの少しの期待が混じった、「0点のアドリブ」の苦笑いだった。


「……最悪だ」


彼はそう吐き捨てると、今度こそ迷いのない足取りで、夜が降りてきた廊下へと踏み出した。


ー翌日ー

「おはよー! 陽太、今日も早いな!」


教室の扉を開けた瞬間、陽太の脳内スイッチが『オン』に切り替わる。

口角を5ミリ引き上げ、声を3音高く。喉の奥を開いて、誰にでも好かれる「清潔な響き」を作る。


「おはよう! 山田こそ、珍しく遅刻してないじゃん(笑)」


完璧なレスポンス。100点の笑顔。

昨日、あんなにも無様に崩れ落ちたはずの「陽太くん」は、一晩眠れば元通り、新品の仮面を被ってそこに立っている。――はずだった。


「……あ」


自分の席にカバンを置こうとした瞬間、視界の端に氷川が入る。彼女は、こちらを一度も見ない。ただそこに静かに存在しているだけで、陽太の脳内マニュアルが激しくノイズを撒き散らす。


(……昨日のこと、本当に誰にも言ってないのか?)

(……何を考えてる? 何を期待して、あそこに座ってるんだ?)


「陽太? どうした、ボーッとして」


山田が不思議そうに顔を覗き込んでくる。陽太は一瞬、笑顔が硬直するのを感じた。0.5秒の遅れ。筋肉の弛緩が間に合わない。マニュアル外のミスだ。


「あはは、ごめん! 昨日ちょっと寝不足でさ。……あ、そういえば文化祭の出し物、決まったんだっけ?」


必死に話題を逸らすが、背中に突き刺さる氷川の視線(のような幻覚)が、皮膚をチリチリと焼く。誰にも見られていないはずの「本当の自分」を、誰かが知っている。その事実だけで、完璧に調律されていた教室の空気が、不協和音のように狂い始めていた。


二限目が終わり、移動教室のために廊下に出た時だった。対向車線のように流れる生徒たちの人混みの中、陽太の横を一陣の風が通り抜けた。氷川だ。彼女は足を止めず、前を向いたまま、陽太の耳元にだけ届く「吐息」のような低い声を落とした。


「……今日の笑顔、95点ね」


陽太の足が、凍りついたように止まる。


「瞬きが0.2秒、早かったわよ。……昨日のこと、引きずりすぎ」


心臓がドクンと嫌な跳ね方をした。振り返ったときには、彼女の細い背中はすでに雑踏の中に溶けていた。95点。5点の減点。自分でも無意識に押し殺したはずの「焦り」を、彼女は正確に射抜いてきた。その瞬間から、陽太の完璧な演技は、たった一人の「観客」のために狂い始めた。

陽太みたいにふだん明るい子が急に真顔になると怖かったりしますよね(笑)

次回は文化祭編突入です!

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