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婚約破棄された調香師ですが、女嫌いの狂犬騎士が私の香りだけ追いかけてきます  作者: 佐藤純
第一章

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アッシュ視点:オンブレ・ロア

毎週木曜日に20:40に投稿予定です。

Twitter(X)リンク:https://twitter.com/jun_satoh_novel

仮面舞踏会とはいえ、王族がつける仮面は一目で分かる。

真紅と金を基調とした、過剰なまでにきらびやかな意匠――それは、身分を隠すための仮面でありながら、同時に誇示でもあった。


アッシュのものも例外ではない。

マリーナと揃いで仕立てさせた仮面だ。

彼女は豪奢な装飾を好むため、大きな羽飾りまで添えられている。


(バーベナは……こういうものを、嫌っていたな)


思いがけず、過去の記憶が胸を掠める。

彼女は常に控えめで、目立つことを避け、王家に仕えるためだけに存在しているかのような令嬢だった。

装いだけでなく、貴族が羽目を外す秋の祭典そのものを、どこか遠ざけていた。


だが、今の自分の隣にいるのは、太陽のように明るいマリーナだ。

彼女が笑ってくれるなら、自分はどんなことでもする――そう思っていた。


華美な仮面をつけた参加者たちが行き交う中、アッシュは人ごみを丁寧にかき分けて進む。

やがて、視界の先にひときわ目立つ集団を見つけた。


高位貴族の令嬢たちが華やかに集う一角。

マリーナもそこにいる。

ただし、その中心にいるのは――


(……社交界の華、ヘッドフォード公爵夫人か)


仮面をつけていても、その圧倒的な存在感だけで誰なのか分かる。

周囲に集まる令嬢たちも、いずれも見知った顔ぶれだ。

だが、その中に一人――見慣れない令嬢がいた。


装飾品の質からして高位貴族に違いない。

星空のような藍色のドレス。対照的に、仮面は大理石のように白く、埋め込まれた小さな宝石が光を反射してきらめいている。

華美さはないが、明らかに上質な品だ。


そして、その令嬢と相対する位置に、マリーナが座っていた。


(だが……どういうことだ?)


アッシュは、机の上に並べられた二つの瓶に気づく。

その前には、優雅に微笑むヘッドフォード公爵夫人と、藍のドレスの令嬢――彼女たちの周囲に漂う芳香に、アッシュはそれが香水だと察する。


(なぜヘッドフォード公爵夫人とこの令嬢が?)


胸の奥に、じわりと焦燥が滲む。

本来なら今頃、マリーナは称賛の中心にいるはずだった。


母がバーベナを説得できなかったと聞いていた。だが、バツが悪くてマリーナには伝えられずにはぐらかしていた。

そのせいでマリーナからは、「アッシュ様は王妃様に進言してくださったのでは?」と、暗に責めるような視線を向けられている。


父――王は、プリマヴェーラでの騒動後も、マリーナとの婚約に難色を示している。

彼女の家柄と品格では、王太子妃として不足だ、と。


だからこそアッシュは、彼女の格を引き上げるため、社交界での実績づくりに奔走してきたのだ。


(……もし、最初からヘッドフォード公爵夫人に話が通っていたのなら、マリーナに勝ち目はない。だが、それなら――あの令嬢は誰だ?名も知らぬ相手に、母上が引き下がるなど……)


「失礼。ご令嬢方」


そこでアッシュは低く声をかけた。


男性が女性の集まりに踏み込むことはあまりない。

だが――マリーナは、未だ夏のベラーノでの失敗を引きずっていることもあり、アッシュはダンスの時間を伝える口実で近づくことにした。


「あら、麗しき帝国のイーグレット」


ローザ夫人が、仮面越しでも分かるほど華やかな微笑みを浮かべる。


オンブレで本名を呼ぶのは無粋だ。

あだ名と、かすかな礼で足りる――それが、この祭典の流儀。

帝国を象徴する大鷲の雛、《イーグレット》と呼ばれるのは王子ただ一人である。


それを合図に、ほかの令嬢たちも優雅に挨拶を返した。


藍のドレスの令嬢――バーベナは、ふわりと顔をアッシュへ向け、手にした扇で風を送る。


「ごきげんよう、雛鷲さま」


その瞬間、甘く濃厚な香りがふわりと広がった。

ベラーノでの香りとはまた違った濃厚な香りだ。


「この香りは……?」


すると、令嬢たちが嬉々として口を開く。


「夜の帷が、新しい香水を作られたのですわ」

「感想をお聞きしたいと、皆で鑑賞会をしておりましたの」

「香りも素晴らしいですけれど、容器もとても美しいのですよ」

「王妃様が後援なさっているとか」


アッシュは、口々に言う彼女たちの視線の先へ目を向ける。

テーブルに置かれた二つの小瓶が、照明を受けて眩しいほどに輝いていた。

繊細なガラス細工――帝国では見たことのないほど精巧なものだ。


(これが……香水……?)


マリーナが欲しがっていたものだ。

たが、それ以上に、令嬢たちの言葉がアッシュの胸を打つ。


母が、香水の売り出しを後援している――?

明確な裏切りだと、アッシュは感じた。

すると、フルフェイスの仮面の令嬢がこちらを向く。


「ふふ、わたくし、事業を立ち上げることにいたしましたの。冬の社交までには、城下の店で売り出す予定ですわ。ぜひ、王家の皆様にもご愛用いただきたいですわ。」


藍のドレスの令嬢が、仮面の奥で笑みを浮かべるように言う。

その瞬間、アッシュの胸が大きくざわめいた。


(まさか……バーベナか?)


無意識に漏れた呟きを、令嬢たちは聞こえなかったふりをする。

オンブレでは、名前を口にすること自体が禁忌だからだ。


「まぁ、ぜひお願いしたいわ」


アッシュの動揺をよそにマリーナがさらりと言った。

仮面の下で、どんな表情をしているのかは分からない。

マリーナは、この令嬢の正体を知っているのだろうか?


「それで、帝国のイーグレットは、どのようなご用件で?」


ローザ夫人は、自身も香水を纏っているのか、隣の令嬢とは異なる香りを漂わせながら、本題を促す。


「ええ……私のパートナーを呼びに。まもなく、ダンスの時間ですので」


アッシュは簡潔に要件を告げた。

オンブレのダンスは、王族の先導で始まる。


「あら、もうそんな時間かしら。皆様、ごきげんよう。行って参りますわ」


マリーナは優雅に微笑み、席を立つ。

そこには、王族の一員としての誇りが垣間見えた。


だが、エリックの意識は別のところに向いていた。


(……やはり、バーベナだったのか?)


遠目に見える横顔は、仮面に隠れて判然としない。

だが、微かに笑んでいたようにも感じた。

それは、かつて知っていた鉄面皮の彼女とは、違っていた。


王家に最も忠実で、礼儀正しく、控えめで――決して逆らうことのなかった令嬢。

その彼女が、あれほど堂々と振る舞うなど。


(……変わったのか?)


漂う香りのせいではないかと、自らを疑う。

だが、どう見ても、以前とは“違う”。


(ダンスに集中しなければ……)


アッシュはマリーナと腕を組み、ホールの中央へと向かった

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