アッシュ視点:オンブレ・ロア
毎週木曜日に20:40に投稿予定です。
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仮面舞踏会とはいえ、王族がつける仮面は一目で分かる。
真紅と金を基調とした、過剰なまでにきらびやかな意匠――それは、身分を隠すための仮面でありながら、同時に誇示でもあった。
アッシュのものも例外ではない。
マリーナと揃いで仕立てさせた仮面だ。
彼女は豪奢な装飾を好むため、大きな羽飾りまで添えられている。
(バーベナは……こういうものを、嫌っていたな)
思いがけず、過去の記憶が胸を掠める。
彼女は常に控えめで、目立つことを避け、王家に仕えるためだけに存在しているかのような令嬢だった。
装いだけでなく、貴族が羽目を外す秋の祭典そのものを、どこか遠ざけていた。
だが、今の自分の隣にいるのは、太陽のように明るいマリーナだ。
彼女が笑ってくれるなら、自分はどんなことでもする――そう思っていた。
華美な仮面をつけた参加者たちが行き交う中、アッシュは人ごみを丁寧にかき分けて進む。
やがて、視界の先にひときわ目立つ集団を見つけた。
高位貴族の令嬢たちが華やかに集う一角。
マリーナもそこにいる。
ただし、その中心にいるのは――
(……社交界の華、ヘッドフォード公爵夫人か)
仮面をつけていても、その圧倒的な存在感だけで誰なのか分かる。
周囲に集まる令嬢たちも、いずれも見知った顔ぶれだ。
だが、その中に一人――見慣れない令嬢がいた。
装飾品の質からして高位貴族に違いない。
星空のような藍色のドレス。対照的に、仮面は大理石のように白く、埋め込まれた小さな宝石が光を反射してきらめいている。
華美さはないが、明らかに上質な品だ。
そして、その令嬢と相対する位置に、マリーナが座っていた。
(だが……どういうことだ?)
アッシュは、机の上に並べられた二つの瓶に気づく。
その前には、優雅に微笑むヘッドフォード公爵夫人と、藍のドレスの令嬢――彼女たちの周囲に漂う芳香に、アッシュはそれが香水だと察する。
(なぜヘッドフォード公爵夫人とこの令嬢が?)
胸の奥に、じわりと焦燥が滲む。
本来なら今頃、マリーナは称賛の中心にいるはずだった。
母がバーベナを説得できなかったと聞いていた。だが、バツが悪くてマリーナには伝えられずにはぐらかしていた。
そのせいでマリーナからは、「アッシュ様は王妃様に進言してくださったのでは?」と、暗に責めるような視線を向けられている。
父――王は、プリマヴェーラでの騒動後も、マリーナとの婚約に難色を示している。
彼女の家柄と品格では、王太子妃として不足だ、と。
だからこそアッシュは、彼女の格を引き上げるため、社交界での実績づくりに奔走してきたのだ。
(……もし、最初からヘッドフォード公爵夫人に話が通っていたのなら、マリーナに勝ち目はない。だが、それなら――あの令嬢は誰だ?名も知らぬ相手に、母上が引き下がるなど……)
「失礼。ご令嬢方」
そこでアッシュは低く声をかけた。
男性が女性の集まりに踏み込むことはあまりない。
だが――マリーナは、未だ夏のベラーノでの失敗を引きずっていることもあり、アッシュはダンスの時間を伝える口実で近づくことにした。
「あら、麗しき帝国のイーグレット」
ローザ夫人が、仮面越しでも分かるほど華やかな微笑みを浮かべる。
オンブレで本名を呼ぶのは無粋だ。
あだ名と、かすかな礼で足りる――それが、この祭典の流儀。
帝国を象徴する大鷲の雛、《イーグレット》と呼ばれるのは王子ただ一人である。
それを合図に、ほかの令嬢たちも優雅に挨拶を返した。
藍のドレスの令嬢――バーベナは、ふわりと顔をアッシュへ向け、手にした扇で風を送る。
「ごきげんよう、雛鷲さま」
その瞬間、甘く濃厚な香りがふわりと広がった。
ベラーノでの香りとはまた違った濃厚な香りだ。
「この香りは……?」
すると、令嬢たちが嬉々として口を開く。
「夜の帷が、新しい香水を作られたのですわ」
「感想をお聞きしたいと、皆で鑑賞会をしておりましたの」
「香りも素晴らしいですけれど、容器もとても美しいのですよ」
「王妃様が後援なさっているとか」
アッシュは、口々に言う彼女たちの視線の先へ目を向ける。
テーブルに置かれた二つの小瓶が、照明を受けて眩しいほどに輝いていた。
繊細なガラス細工――帝国では見たことのないほど精巧なものだ。
(これが……香水……?)
マリーナが欲しがっていたものだ。
たが、それ以上に、令嬢たちの言葉がアッシュの胸を打つ。
母が、香水の売り出しを後援している――?
明確な裏切りだと、アッシュは感じた。
すると、フルフェイスの仮面の令嬢がこちらを向く。
「ふふ、わたくし、事業を立ち上げることにいたしましたの。冬の社交までには、城下の店で売り出す予定ですわ。ぜひ、王家の皆様にもご愛用いただきたいですわ。」
藍のドレスの令嬢が、仮面の奥で笑みを浮かべるように言う。
その瞬間、アッシュの胸が大きくざわめいた。
(まさか……バーベナか?)
無意識に漏れた呟きを、令嬢たちは聞こえなかったふりをする。
オンブレでは、名前を口にすること自体が禁忌だからだ。
「まぁ、ぜひお願いしたいわ」
アッシュの動揺をよそにマリーナがさらりと言った。
仮面の下で、どんな表情をしているのかは分からない。
マリーナは、この令嬢の正体を知っているのだろうか?
「それで、帝国のイーグレットは、どのようなご用件で?」
ローザ夫人は、自身も香水を纏っているのか、隣の令嬢とは異なる香りを漂わせながら、本題を促す。
「ええ……私のパートナーを呼びに。まもなく、ダンスの時間ですので」
アッシュは簡潔に要件を告げた。
オンブレのダンスは、王族の先導で始まる。
「あら、もうそんな時間かしら。皆様、ごきげんよう。行って参りますわ」
マリーナは優雅に微笑み、席を立つ。
そこには、王族の一員としての誇りが垣間見えた。
だが、エリックの意識は別のところに向いていた。
(……やはり、バーベナだったのか?)
遠目に見える横顔は、仮面に隠れて判然としない。
だが、微かに笑んでいたようにも感じた。
それは、かつて知っていた鉄面皮の彼女とは、違っていた。
王家に最も忠実で、礼儀正しく、控えめで――決して逆らうことのなかった令嬢。
その彼女が、あれほど堂々と振る舞うなど。
(……変わったのか?)
漂う香りのせいではないかと、自らを疑う。
だが、どう見ても、以前とは“違う”。
(ダンスに集中しなければ……)
アッシュはマリーナと腕を組み、ホールの中央へと向かった
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