偶然の出会い
毎週木曜日に20:40に投稿予定です。
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帝国の王城庭園は、秋の深まりと共に紅葉の色彩に包まれていた。広葉樹の枝先は鮮やかな赤と黄色のグラデーションを描き、地面には庭師たちが植えたばかりの秋咲きの草花が瑞々しい彩りを添えている。季節の移ろいが視覚でも香りでも感じられ、散策するにはまさにうってつけの景色だった。
だがそのすぐ隣――石造りのアーチを抜けた先にある騎士団訓練場だけは、まるで別世界のように熱気を帯びていた。剣と剣がぶつかる乾いた音、掛け声、土を蹴り上げる激しい足音。秋風の中に汗のにおいが混じるほど、そこだけは一年中、季節の移ろいとは無縁だった。
その中心で、リンデンは指導を行っていた。
「はっ!」
鋭く振り下ろされた木剣が風を裂き、相対していた若い騎士の手から武器がはじけ飛んだ。宙を舞う木剣が地面に転がる。尻もちをついた騎士に手を差し伸べながら、リンデンはいつもの冷静な声音で助言した。
「重心が高い。腰を落とせ。受け流しにも攻めにも移りやすくなる。」
「は、はい! ありがとうございます!」
若い騎士は憧れを隠しきれない瞳でリンデンを見上げる。副団長としての厳しさの裏に、確かな実力と面倒見の良さがあることを、騎士団の誰もがよく知っていた。
リンデンはその視線を軽く受け流すと、淡々と次の指導へ移っていく。彼が動けば訓練場が締まり、誰もがその背を追う。そんな存在だった。
訓練がひと区切りついた頃、場の空気を変えるような大きな影が訓練場に差し込んだ。騎士団長ウィリアム・ド・ヘッドフォードが、軽い足取りとは裏腹の圧倒的な存在感で近づいてくる。
「リンデン、相変わらず稽古熱心だな。だが少しは休め。お前が倒れたら、俺の部下を誰がまとめる?」
ウィリアムは豪胆な笑みを浮かべつつ、リンデンの肩を軽く叩く。その大きな手の重みは親しみを含んでいるが、同時に逃れられない圧力もある。
リンデンはわずかに眉根を寄せ、短く答えるが、周囲の若い騎士たちは小声で笑いを堪えている。リンデンはウィリアムの“仕事を押し付ける”癖を知っているため、じとりとした目つきで団長を見る。
「まぁまぁ。今日はちょっと聞きたいことがあってな。ちょっといいか…?みんなは休憩していてくれ!」
ウィリアムは指示を飛ばしたあと、ぽつりと切り出した。
「春の庭園の香りを閉じ込めた水―香水というらしいが―知っているか?」
「……えぇ。」
リンデンは、あの柔らかな甘い香りをすぐに思い出した。バーベナの胸元からふわりと香った、説明のつかない懐かしさと暖かさが入り混じった香りだ。
耳をそばだてている周囲の騎士たちは“香水”という言葉に反応し、顔を見合わせて首をかしげる。彼らには馴染みのない言葉だったのだ。
「知ってるか?!妻がマルヴァーニャ侯爵令嬢から譲り受けた香水なるものをつけ始めたんだが……あれはとんでもない代物だ。」
「とんでもない……?」
リンデンの眉がわずかに動く。
(危険なものではなかったはずだが……)
リンデンはウィリアムの深刻さに身構えたが、ウィリアムは胸に手を当てて悲しそうに言った。
「美しさが増したどころじゃない。妻がさらに魅力的になってしまって、俺の心臓が爆発しそうでな……他の男の視線が怖くて仕方がない。」
これには周囲の騎士たちが一斉に吹き出した。だが、リンデンとウィリアムだけは真剣だった。
ヘッドフォード公爵夫人――ローザは、社交界でも屈指の絶世の美貌を持つ。そんな彼女をさらに美しくしたというのだから、たしかに“とんでもない”かもしれない。
「リンデン、香水の力を侮るなよ。」
「どういう意味です?」
「妻が隣にいると胸が苦しくなる。結婚したばかりの頃を思い出すくらいだ。……そういえば、お前も最近マルヴァーニャ侯爵令嬢と懇意にしているんだってな?溺れないよう気をつけろよ。」
その言葉は軽い冗談のようでいて、どこか本気だった。
リンデンは胸の奥に、正体の掴めないざわめきを感じる。
「……いったいどんな香水を作っているんだ?」
訓練を終えた後も、その疑問は頭から離れなかった。リンデンは庭園へ足を向ける。秋の風は訓練場の熱気を洗い流し、静かな時間を取り戻させてくれた。
ふと――。
風に乗って、ほんのり甘く、少し切なさを帯びた香りが流れてきた。
その方向に目を向けると、まさしく彼が探していた人影があった。
「バーベナ嬢。」
名を呼ばれた彼女が振り返る。秋の景色を背に、相変わらずきちんと整えられた無表情――けれど最近、リンデンにはその表情の奥を少し読めるようになっていた。ほんの一瞬、目元がわずかに華やいだ気がする。
「リンデン様。訓練のお帰りですか?」
「あぁ、庭園は訓練場のすぐ近くなので。バーベナ嬢は?」
「わたくしは、少し王城の珍しい草花を確認しに…完成まで近づけたのですが…妥協はしたくなく…ゴニョゴニョ」
バーベナが、
「なるほど。では、ぜひ協力しましょう。」
リンデンは、間髪入れずに、バーベナについていった。
――
落ち葉が小道に柔らかな音を立て、ふたりは並んで歩いた。秋独特のしっとりとした空気と、落葉の乾いた香りが、どこか穏やかで心地よい。
リンデンは歩みを合わせながら話題を切り出す。
「そういえば、あなたの新しい香水。団長がやけに警戒していました。」
「まぁ……団長様が?」
驚きと、どこか嬉しそうな響きが声に混じった。リンデンはウィリアムの反応をかいつまんで伝える。
バーベナはくすりと微笑んだ。普段控えめな表情が少しだけ緩むだけで、彼女はまるで別人のように柔らかくなる。リンデンはその変化を感じ取り、理由もなく胸が熱くなるのを意識の端で気づく。
「ヘッドフォード公爵夫人に、先日香水をお持ちしたのです。きっと公爵様にも、それがお伝わりになったのでしょうね。」
「どうして夫人に?」
「ローザ夫人ほど香水の効果を引き立ててくださる方はいませんもの。次の秋の祭典で、新作香水をお披露目する予定です。広告塔として、最高の方でしょう?」
「秋の祭典……」
リンデンはその名に記憶を探る。長く社交界から距離を置いていたため、詳細はぼんやりしているが、団長の言葉が頭に残り続けている。
バーベナも、もちろん香水をつけて秋の祭典に参加するのだろう。リンデンの胸中には、もやもやした気持ちが渦巻く。
リンデンは、意を決して、バーベナに向き合う。
「もし問題なければ……秋の祭典では君のパートナーを務めたい。そうだな、先日のお礼として…どうだろうか?」
「……!」
バーベナは心底驚いたように目を見開く。
「もちろん、君が嫌でなければだが。」
「光栄ですわ。実は…わたくしも、ダンスの相手をリンデン様にお願いしようと思っておりました。香水の香りを振り撒くにはダンスが一番効果的ですので。」
表情は淡々としているのに、声の端がほんのり弾んでいる。アレクサンダーはその違いに気づき、胸が満たされるのを感じた。
「ただ……一つだけ確認しておきたいことがございます。」
「なんだ?」
「リンデン様は例のアレはお持ちですか?」
「……例のアレ?」
リンデンはぽかんと口を開く。バーベナは「あぁ、やはり」と小さく頷いた。
「秋の祭典は特別なのです。リンデン様は長年社交界にご参加されなかったのでご存知ないかと。」
バーベナはリンデンに気を遣って、控えめにそう言う。
「よろしければ、わたくしにソレを調達させてくださいませ。」
「……あぁ。頼もう。」
リンデンはまだなんのことか理解をしていなかったが、バーベナに任せることにした。
「もちろんですわ。お任せください。あ。」
「なにか?」
「いえ、あそこに咲いている花が…」
「どれだ?」
「あれでございます。あの黄色い…きゃ!」
突然バーベナの靴先が小石に引っかかり、細い体がふらりと傾いた。
「危ない!」
考えるより先に身体が動いていた。リンデンは彼女の腕を掴み、腰に手を回すようにして支える。抱き寄せた形になり、驚くほど軽い体が胸に収まる。
「……!」
バーベナの瞳が驚愕に揺れ、頬がみるみるうちに赤く染まる。普段は微動だにしない表情筋が、緊張でわずかに震えていた。
「あの、リンデン様。ありがとうございます。」
「あぁ、すまない。無事か?」
リンデンはゆっくりと胸の中からバーベナを話し、体制を整える。
「はい。あの、わたくし、失礼いたしますわ。」
バーベナは小さく会釈すると、逃げるように歩き出す。
去っていく後ろ姿の肩が、いつもより早く上下しているのが見えた。恥ずかしさをごまかしているのだと気づいてしまい、リンデンは、少し申し訳ない気持ちになる。
彼女を支えていた腕には、まだ柔らかな体温が残り、風に散る落ち葉の匂いよりも濃く、彼女の香りが胸に残っている。
――ウィリアムの忠告が、遅れて重みを増していく。
「……本当に、溺れないように気をつけなければな。」
誰に聞かせるでもなく呟いた言葉は、秋風に静かに溶けていった。
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