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婚約破棄された調香師ですが、女嫌いの狂犬騎士が私の香りだけ追いかけてきます  作者: 佐藤純
第一章

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ガラス職人カルロへの依頼

毎週木曜日に20:40に投稿予定です。

Twitter(X)リンク:https://twitter.com/jun_satoh_novel

「ごめんくださいませ。マリアのご紹介で参りました、バーベナ・ド・マルヴァーニャと申します」


乾いた音を立てて、古びた木の扉がわずかに揺れた。バーベナは軽く息を整えてから、もう一度ノックした。

ここは城下町の外れ、小高い丘にひっそりと建つガラス職人の工房。マリア・ノヴェッラから「昔気質だけれど、仕事は間違いなく一級品よ」と紹介された場所だ。


しかし、扉をたたいても返事はない。けれど、扉の向こうからは、かすかに「ゴォォ……」と、炉の燃える低い唸りが聞こえていた。

作業に没頭しているのだろう。ならば——。


意を決して扉を押し開けると、ふわりと熱風が押し返してくる。思わず目を細めつつ、バーベナは中へ足を踏み入れた。


(……熱い。昔、お母さんとガラス工房に体験に行ったことを思い出すわ。)


工房の中は、昼間だというのに薄暗い。

あちこちの棚には、大小のガラス作品が所狭しと並び、その間を縫うように色とりどりの破片が床に散りばめられている。

中央には、真紅の炎を噴き上げる炉。その前に男がひとり、岩のようにどっしりと腰を据えていた。


灰色の髭をたっぷりと蓄えた老人。丸太のような腕に、太く節だらけの指。眼光は鋭く、頑固そのもの。

 その老人は、ガラスパイプの先に膨らんだ溶融ガラスを抱えながら、ようやくバーベナの存在に気づいたように顔を上げた。


「……マリアからの紹介だな?」


低く、まるで石を転がしたような声だった。


「はい。ノヴェッラ商店の扉に使われている色ガラスを見て、とても美しかったので……あなたが作られたと伺いましたの」


老人——カルロは鼻を鳴らした。


「……あれは美しかろう。もう何年も昔の作品だ……もっとも、あの材料はもう手に入らんがな」


ガラスを息でふくらませながら、ぶっきらぼうに続ける。


「扉に使った色ガラスは、数年前、諸国を巡っていた時に取り壊される予定の教会から譲り受けたもんだ。教会の光と祈りを表すように細工されていてな。この国ではあんな透き通った色ガラスは作れん」


バーベナは一歩近づき、棚に置かれたガラス片を手に取った。透き通ってはいるものの、どこか濁りがあり、色が鈍い。


「……確かに、あの扉の輝きとは違うわね。こちらは……少し曇って見えるわ」


「ふんっ、その通りじゃ。わしも散々試したが、どれもこれも“本物”には程遠い。あの教会のものは、鮮やかで、光が通るとまるで宝石みたいに輝いていた。だが……技術が途切れてしまったんだよ」


「技術が途切れた、のですか?」


カルロは、炉の火がゆらりと揺らす橙色の光に照らされながら、小さくうなずいた。


「先の隣国の大戦でな。色ガラスの原料に使われていた材料がどうやら全部、武器に使われちまった。どこを探しても残ってないし、どうやって作ったの記録すらもうない。わしも諸国を旅して、古文書や廃教会を漁ったが……無駄だった」


バーベナは、前世の夢に出てきたガラス工房を思い出した。

 日本の美術館で見たステンドグラス。

 色と光を操る技術。

 あれはたしか——。


(酸化コバルトで青……酸化銅で緑……酸化鉄で琥珀色…。要は金属酸化物を混ぜるだったはず……!)


胸の奥が熱くなる。

この世界には、どんな元素かはわからないが、金属そのものは存在する。ならば——。


「カルロさん。金属が必要よ。」


カルロは、ガラスパイプを台に置き、怪訝そうに眉をひそめた。


「金属……?なぜ金属が必要なんだ」


「武器で使われてたのならば、きっと金属の酸化化合物だわ。色ガラスの着色は金属の粉末が原料なの。教会の資料が残っていないなら、いちから試すしかありません。でも、材料がそろえば、不可能ではないはずよ」


老人は明らかに動きを止めた。


「……金属の粉末を混ぜる?そんな馬鹿な話があるか。そんな方法で鮮やかな色が出るなら、誰かがもう試している。」


「試していないのではなく、知らないだけ、かもしれませんわ」


バーベナは迷わず、懐から小さな袋を取り出し、テーブルに置いた。じゃらり、と重い音が響く。


カルロの目が、不覚にも一瞬だけ丸くなる。


「これは……?金か…?俺はいくら積まれても、納得のできた仕事しか受けねぇ主義だ!わかっているのか?お嬢様。」


カルロは思わずパイプを置き、立ち上がってバーベナの目の前にそびえ立つ。長身のカルロからバーベナを見下ろす形になるが、バーベナはじっとカルロを見つめる。


「いいえ。あなたへの対価ではありません。金属工房に行って、あらゆる金属の粉末を分けてもらえる分だけ買ってきてください。すべて。できれば合金の粉末も。費用はこれで。」


老人は渋い顔をしつつ、袋を指で押し、重さを確かめた。


(……あと一押しね)


「それと、作っていただきたいものが二つありますの」


「……二つ?」


「わたくしがなぜ色ガラスを欲しているか、という点で、説明が不足しています。一つ目は、香水瓶。手に収まるような、小さくて優雅な液体を入れる瓶。女性のドレッサーに置いて、美しく映えるデザインをお願いしたいの。香りがとばないように、蓋と容器の密閉性が重要です。きっと、あなたにしかできないわ。」


「……香水…?」


「二つは、秋の祭典の仮面。通常の仮面に、細かなガラスの破片を埋め込み、光が当たると煌めくような……そんな美しいものをお願いしたいの」


バーベナは息を整え、まっすぐ老人の目を見た。


「いかがかしら?あなたにしか作れないわ。」


バーベナは、それぞれの依頼物の詳細を改めて説明する。


そのどれもが、繊細な作業で、未知の領域であることを知ったカルロは、はゆっくり、背もたれのない木の椅子に腰を沈め、腕を組んだ。


しばし沈黙が降りる。

炉の炎が揺れ、赤い光が二人の影を揺らめかせる。


「……わしは好きなものしか作らん。道楽で注文を受けるほど、暇でも温厚でもない」


バーベナが言葉を探した瞬間——。

カルロの目が、炎のように静かに燃えた。


「こいつらは、俺にとって挑戦だ…。やらせてくれ。」


カルロはぶっきらぼうにそういうと、ごう、と炉が大きく息を吐く。

バーベナの胸も高鳴った。


「まさかこの歳になって胸が踊るとはな。ただし——」


カルロは太い指をバーベナに向けた。


「色ガラスは、本当に全部の金属を試す。その他の試作も時間も金もかかる。失敗も山ほど出る」


「構いませんわ。香水瓶は春までに、仮面は普通のガラスで次の秋の祭典までに。」


「わかった。わしの納得するまで何度でも作り直す。途中で飽きても知らん」


「飽きるなんてありません。必要なものばかりですもの。」


カルロは初めて、ほんのわずかに、口の端を上げた。


「よかろう。請け負った!」


「ありがとう」


工房を出ると、日差しが眩しかった。

バーベナは胸を押さえ、強く息を吐いた。


(……ついに、一歩進んだわ。香水瓶も仮面も。きっと成功させてみせる!)


前世の記憶が、夢ではなく、この世界で形になる。

それがどれほど胸を躍らせるものか、バーベナ自身が一番よく分かっていた。

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