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婚約破棄された鉄面皮の調香師は、猟犬騎士に溺愛される  作者: 佐藤純
第一章

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18/19

ベラーノ祭の後

毎週木曜日に20:40に投稿予定です。

Twitter(X)リンク:https://twitter.com/jun_satoh_novel

「昨日のベラーノはいかがでしたか?」


朝の陽射しがやわらかく差し込む部屋で、リリーは丁寧にブラシを動かしながら尋ねた。リリーはバーベナのクセのないさらりとした金髪をハーフアップにしている。


「昨日のベラーノ……。そうね……本当はヘッドフォード公爵夫人に会いに行きたかったのだけれど…」


バーベナは、リリーの問いに小さく返しつつ、ぼんやりとした表情を浮かべた。思い出されるのは、ひときわ印象的だった、あのダンス。


社交界に姿を見せたのは初めてという、噂の公子とのダンス。


バーベナは、数多くのダンスを経験してきたはずなのに、昨夜のそれはまるで夢のようだと感じた。あまりに自然で、心地よく、それでいて心臓が跳ねるような感覚。


(なぜなのかしら。公子とは、家族以外で初めて……まともで自然な会話ができた気がしたのよね。いつもは怖がられるのに)


ふと笑みが浮かびそうになったが、バーベナの表情は固く、動かないままだ。リリーは熱心に髪に集中しており、彼女の内面の揺れに気づく様子はない。


「……そうね。アッシュ殿下は理不尽だったし、まさかルードヴィンク公子と踊ることになるとは思わなかったし……」


ぼそりと呟いた言葉に、リリーの手が止まった。


「えっ?! ルードヴィンク家のリンデン様と踊られたんですか!?」


声を張り上げ、ブラシを持ったままのリリーが目を見開く。バーベナは少し困ったようにリリーを見上げ、昨夜の出来事を簡単に説明した。


アッシュの突拍子もない発言、蒼いマントを翻しながら現れた“幻の公子”との出会い。


「アッシュ殿下は……! もうっ、そっちは聞きたくもありません! それより、リンデン様が!お嬢様とダンスを……!」


リリーは頬を紅潮させながら、身を乗り出した。滅多に見られぬ取り乱しぶりである。


「リリーは彼のことを知っていたの?」


「はい、直接お見かけしたことはありませんが、他家のメイドからたびたび噂を聞いております。“猟犬”と呼ばれており、彼の通ったあとには魔獣の屍が積み重なる、とか……」


「……怖い方なのかしら?」


「いえ、人物像ははっきりしていません。使用人とはほとんど口をきかないそうですし。でも、キングズリー家によく出入りしているらしく、バロン様とよく剣の稽古をしているとか。親しいメイドの話では、冷静沈着で何事にも動じないお方だそうです」


リリーはそこで一旦言葉を切り、真剣な目でバーベナを見つめる。瞳が妙にキラキラしていて、少し怖い。


「そして、何より……とても端正な顔立ちで麗しい方だと」


「まあ……それは確かに、そうだったわ」


「しかし、リンデン様の姿をじっくりと見たことがあるのは、ルードヴィンク家の者か、騎士団に所属している者だけ。だからこそ、噂が噂を呼んで収拾がつかないんです。ある令息は“鬼の形相”といい、ある令嬢は“画家を二十人雇っても肖像が描けなかった”と嘆いたとか……」


「なんて話……」


バーベナは呆れたような声をだしながら、昨夜の光景を思い出す。


ダンスの途中、彼は確かに冷静だった。周囲が騒がしくても動じることなく、堂々とホールの中央へと進み、手を差し出してきた。

そして、香りについて口にしたときのことを思い出し、ぽつりと呟く。


「でも……猟犬って、少しわかるかも」


「えっ、何かあったんですか? 何の屍が……?」


リリーがごくりと唾を飲み込む。


「ちがうの。香水のことを聞かれたの。彼……私が数日前に王城に滞在していた時の香りを覚えていて、それを頼りに私を見つけたのよ。そんなに鼻がきくものなの?」


「……さすが猟犬……!」


その一言で、リリーは完全に納得したらしい。


そんな調子でリリーが騒いでいる間に、支度は整っていた。リリーに支度をしてもらったのになは訳がある。


「お嬢様、本日はどうなさいますか?」


「街に出ましょう。香料を探したいの。」


「香料ですか?」


「すれ違う何人かはシエル・チュベローズの香りに顔をしかめてらっしゃったし、特に致命的な点は香りが持続しないことね。改良が必要なのよ。」


「街に出て香料になりそうなものを探すのですね! 城下のことでしたらお任せください。」


リリーが胸を張ると、バーベナは頷き、軽やかな足取りで二人は馬車に乗り込んだ。


王都の街路は朝から活気にあふれ、石畳を行き交う人々のざわめきが夏の風に溶け込んでいた。色とりどりの花が並ぶ露店、甘い匂いを漂わせる菓子店の前には早くも行列ができている。


「お嬢様、いい香料が見つかったら、カフェでお茶をしませんか? 首都の流行菓子は領地のとは一味違います。」


「いいわね。でも、まずは探し物を済ませなければ……。さて、どこから見ていこうかしら……」


視線を巡らせたバーベナの目が、ふと一点に止まる。


街のメインストリートから一本外れた細道。そこに、金の王冠を模した看板がゆらゆらと風に揺れていた。

そして、なにより、キラキラと虹色の輝きを地面に落としている扉の装飾――


「あの店は…?」


「ノヴェッラ商店ですわ。元はインク屋でしたが、先代から娘に代替わりし、今では何でも揃うと評判のお店です。わたくしは先日、蝋燭を。ニックは松脂を。なぜか装飾品まであって……騎士の方々も防具の手入れ用品を買いに来るそうです」


「…入ってみても?」


バーベナは一歩、店の扉へと近づいた。

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