夏、ベラーノ祭
毎週木曜日に20:40に投稿予定です。
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(本当は、笑顔でいられたらいいのに……。)
華やかな音楽と人々の笑い声が響くダンスホール。けれど、バーベナはその中心に向かう気にはなれなかった。
婚約破棄を宣言されたあの日以来、彼女は一度も公の場に姿を見せていない。だからこそ、王城に到着した瞬間、貴族だけでなく使用人たちの視線までが彼女に集中した。
(少し……窮屈ね。)
圧迫感を覚えながら、バーベナは王城の中央塔まで足を運び、壁際で静かにグラスを傾ける。
ダンスホールとその周囲のサロンでは、まるで何事もなかったかのように、貴族たちが笑い、踊っていた。その中には、目当てのヘッドフォード公爵夫人の姿もあったが、彼女の輪に入っていく勇気は出ない。
ちらりとホールの中央を見やると、そこにはにこにこと愛想を振り撒いているマリーナがいた。
(どれほど着飾っても、結局、一番の装いは笑顔なのね。わたくしには、到底できないことだけれど……。)
試しに微笑もうとするが、口元が引きつり、不格好に歪んでしまう。それを鏡で見たわけでもないのに、自分で分かるほどだ。
(こんな般若みたいな笑顔じゃ、新しい婚約者なんて見つかるはずがないわね。ごめんなさい、お母様。わたくしは、領地で静かに暮らすしかないのでしょう。)
ため息とともに、バーベナは会場を後にしようと足を向けた。
「バーベナ」
背後から名前を呼ばれ、彼女は思わず足を止める。振り返ると、そこに立っていたのはアッシュだった。
いるのはわかっていたので、相対するのを想像しなかったわけではないが、向こうから声をかけてくるとは思わなかった。
バーベナは内心色々と思うところはあったが、平静を装わなくても感情が表に出ない鉄面皮を感謝し、言葉を紡ぐ。
「お久しぶりです、アッシュ王子殿下。何かご用でしょうか?」
咄嗟に出たカーテシーは、身体にしみついたものだ。
バーベナがふわりと動くと、チュベローズの香りも、ふわりと広がる。
だが、その美しいカーテシーと香りを気にも止めず、アッシュは話し出す。
「最近は領地に引きこもっていたのか?」
相変わらずの傲慢な態度。
皮肉を込めた口調が、バーベナの神経を逆撫でする。
「ええ。マルヴァーニャ侯爵領に。」
「田舎でさぞ退屈したことだろう。父上が『バーベナを連れ戻せ』と会うたびに小言を言ってきてな…まあ、ちょうどいい機会だ。王都に戻ってきたのなら、君に頼みたい事がある。」
アッシュは心底うんざりしたようにため息をつき、バーベナを見下ろした。
バーベナは内心で警戒する。
「……何でしょうか?」
「マリーナが君と同じ王子妃教育を受けているのだが、ブロッサム夫人の指導が厳しすぎてね。あれではマリーナがかわいそうだ。君から父上に進言し、指導方法の見直しを頼んでくれないか?」
バーベナは、呆然とした。
(……今、なんておっしゃいました?)
あまりの理不尽さに脳がフリーズする。表情筋が死んでいるバーベナが、完全に動きを止めたことで、傍目には壊れた人形のように見えたことだろう。
「伝わらなかったか?ブロッサム夫人が、君とマリーナを執拗に比べるのだ。マリーナだって出来ていないわけではない。だが、常に君と比べられるとたまったものじゃないからな。カリキュラムの見直しと態度を改めるよう進言してくれ。」
(……なぜ?)
バーベナは、あまりの意味のわからなさにぽかんとしてしまったが、いつもの無表情のまま、冷静な声で応じた。
「アッシュ殿下。ええ、ブロッサム夫人は帝国の未来を憂い、時折厳しくなることもありますが……わたくしから陛下に進言を?なぜ、そんなことを?」
「君が今まで耐えてしまったから、こうなったんだ。君も思わなかったか? 100年前に滅びた言語を学ぶなど無意味で、音を立てずにお茶を飲むことに何の価値がある?」
本気でそう思っているのか、アッシュは真剣な顔をしていた。
(……わたくしが同じことを言った時には、「君が不出来だからだろう」なんて言ったくせに。)
あまりの身勝手さに、つっこむのも疲れてしまった。
「お断りしますわ。」
静かに、けれどはっきりとした声音で、バーベナは言い放つ。
「わたくしはもう殿下の婚約者ではありません。王室とはなんのご縁もないのです。陛下への進言はご自身でなさるのが良いでしょう。」
「なっ…。君は、私の言うことを断ったことなどないではないか!」
「王室とのご縁があったからです。わたくしは、アッシュ殿下のご意向になるべく沿うよう務めてまいりました。それが妃としての役割だからです。ブロッサム夫人もきっとそうおっしゃるでしょう。ですが、もう妃候補でもありません。帝国の貴族の一員として、これからは殿下を支えたくございます。」
「それが、答えだというのか。」
「将来の帝国を背負う妃殿下の教育の質を落とすことは、帝国の品位を落とすこと。帝国の貴族として、それは承諾いたしかねます。」
「ぐ…。」
「殿下、これ以上ないようですので、わたくし失礼いたしますわ。」
口ごもるアッシュを冷ややかに見据え、見事なカーテシーを披露して踵をかえした。
(断れた――。)
胸の奥で、小さな達成感が弾けた。
バーベナは、王室からの依頼を断ったことに、高揚しながら、なるべくアッシュから離れた場所へ行こうと歩く。
ふわりと、シエル・チュベローズの甘やかな香りが、人の流れを逆らうように漂った。
すると…
「待ってくれ!」
突然、誰かに腕を掴まれ、バーベナは驚きに目を見開いた。
アッシュの声ではない。
この手は——?
彼女の紫の瞳が、その人物を捉えた。
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