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婚約破棄された鉄面皮の調香師は、猟犬騎士に溺愛される  作者: 佐藤純
第一章

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15/19

夏、ベラーノ祭

毎週木曜日に20:40に投稿予定です。

Twitter(X)リンク:https://twitter.com/jun_satoh_novel

(本当は、笑顔でいられたらいいのに……。)


華やかな音楽と人々の笑い声が響くダンスホール。けれど、バーベナはその中心に向かう気にはなれなかった。


婚約破棄を宣言されたあの日以来、彼女は一度も公の場に姿を見せていない。だからこそ、王城に到着した瞬間、貴族だけでなく使用人たちの視線までが彼女に集中した。


(少し……窮屈ね。)


圧迫感を覚えながら、バーベナは王城の中央塔まで足を運び、壁際で静かにグラスを傾ける。


ダンスホールとその周囲のサロンでは、まるで何事もなかったかのように、貴族たちが笑い、踊っていた。その中には、目当てのヘッドフォード公爵夫人の姿もあったが、彼女の輪に入っていく勇気は出ない。


ちらりとホールの中央を見やると、そこにはにこにこと愛想を振り撒いているマリーナがいた。


(どれほど着飾っても、結局、一番の装いは笑顔なのね。わたくしには、到底できないことだけれど……。)


試しに微笑もうとするが、口元が引きつり、不格好に歪んでしまう。それを鏡で見たわけでもないのに、自分で分かるほどだ。


(こんな般若みたいな笑顔じゃ、新しい婚約者なんて見つかるはずがないわね。ごめんなさい、お母様。わたくしは、領地で静かに暮らすしかないのでしょう。)


ため息とともに、バーベナは会場を後にしようと足を向けた。


「バーベナ」


背後から名前を呼ばれ、彼女は思わず足を止める。振り返ると、そこに立っていたのはアッシュだった。

いるのはわかっていたので、相対するのを想像しなかったわけではないが、向こうから声をかけてくるとは思わなかった。

バーベナは内心色々と思うところはあったが、平静を装わなくても感情が表に出ない鉄面皮を感謝し、言葉を紡ぐ。


「お久しぶりです、アッシュ王子殿下。何かご用でしょうか?」


咄嗟に出たカーテシーは、身体にしみついたものだ。

バーベナがふわりと動くと、チュベローズの香りも、ふわりと広がる。

だが、その美しいカーテシーと香りを気にも止めず、アッシュは話し出す。


「最近は領地に引きこもっていたのか?」


相変わらずの傲慢な態度。

皮肉を込めた口調が、バーベナの神経を逆撫でする。


「ええ。マルヴァーニャ侯爵領に。」


「田舎でさぞ退屈したことだろう。父上が『バーベナを連れ戻せ』と会うたびに小言を言ってきてな…まあ、ちょうどいい機会だ。王都に戻ってきたのなら、君に頼みたい事がある。」


アッシュは心底うんざりしたようにため息をつき、バーベナを見下ろした。


バーベナは内心で警戒する。


「……何でしょうか?」


「マリーナが君と同じ王子妃教育を受けているのだが、ブロッサム夫人の指導が厳しすぎてね。あれではマリーナがかわいそうだ。君から父上に進言し、指導方法の見直しを頼んでくれないか?」


バーベナは、呆然とした。


(……今、なんておっしゃいました?)


あまりの理不尽さに脳がフリーズする。表情筋が死んでいるバーベナが、完全に動きを止めたことで、傍目には壊れた人形のように見えたことだろう。


「伝わらなかったか?ブロッサム夫人が、君とマリーナを執拗に比べるのだ。マリーナだって出来ていないわけではない。だが、常に君と比べられるとたまったものじゃないからな。カリキュラムの見直しと態度を改めるよう進言してくれ。」


(……なぜ?)


バーベナは、あまりの意味のわからなさにぽかんとしてしまったが、いつもの無表情のまま、冷静な声で応じた。


「アッシュ殿下。ええ、ブロッサム夫人は帝国の未来を憂い、時折厳しくなることもありますが……わたくしから陛下に進言を?なぜ、そんなことを?」


「君が今まで耐えてしまったから、こうなったんだ。君も思わなかったか? 100年前に滅びた言語を学ぶなど無意味で、音を立てずにお茶を飲むことに何の価値がある?」


本気でそう思っているのか、アッシュは真剣な顔をしていた。


(……わたくしが同じことを言った時には、「君が不出来だからだろう」なんて言ったくせに。)


あまりの身勝手さに、つっこむのも疲れてしまった。


「お断りしますわ。」


静かに、けれどはっきりとした声音で、バーベナは言い放つ。


「わたくしはもう殿下の婚約者ではありません。王室とはなんのご縁もないのです。陛下への進言はご自身でなさるのが良いでしょう。」


「なっ…。君は、私の言うことを断ったことなどないではないか!」


「王室とのご縁があったからです。わたくしは、アッシュ殿下のご意向になるべく沿うよう務めてまいりました。それが妃としての役割だからです。ブロッサム夫人もきっとそうおっしゃるでしょう。ですが、もう妃候補でもありません。帝国の貴族の一員として、これからは殿下を支えたくございます。」


「それが、答えだというのか。」


「将来の帝国を背負う妃殿下の教育の質を落とすことは、帝国の品位を落とすこと。帝国の貴族として、それは承諾いたしかねます。」


「ぐ…。」


「殿下、これ以上ないようですので、わたくし失礼いたしますわ。」


口ごもるアッシュを冷ややかに見据え、見事なカーテシーを披露して踵をかえした。


(断れた――。)

胸の奥で、小さな達成感が弾けた。


バーベナは、王室からの依頼を断ったことに、高揚しながら、なるべくアッシュから離れた場所へ行こうと歩く。


ふわりと、シエル・チュベローズの甘やかな香りが、人の流れを逆らうように漂った。


すると…


「待ってくれ!」


突然、誰かに腕を掴まれ、バーベナは驚きに目を見開いた。

アッシュの声ではない。


この手は——?


彼女の紫の瞳が、その人物を捉えた。

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