戦場への準備
毎週木曜日20:40に投稿予定です。
Twitter(X)リンク:https://twitter.com/jun_satoh_novel
長旅に準じ、王都に戻ってしばらくしてから、バーベナを待っていたのは社交シーズンの幕開けだった。
『ベラーノ祭』——貴族だけでなく、城下の民衆も巻き込む夏祭り。元々は庶民が、暑気払いを行う祭事だったが、貴族たちが社交の場として利用し始め、今では王都最大の行事となっていた。王城も祭りに合わせ、カラフルな装飾で彩られている。
マルヴァーニャ家のタウンハウスも、慌ただしく準備を進めていた。
「暑いわね……」
誰かがぽつりと漏らす。
夏の日差しはじりじりと強く、屋敷の侍女たちは額に汗を浮かべながら働いていた。
「動かないでください、お嬢様!」
バーベナの筆頭侍女・リリーは、鏡の前のバーベナを鋭く見据えながら、ドレスの準備に余念がない。
「お嬢様の美しさを最大限引き出し、あの忌々しい二つ名を返上させてみせますわ…!」
「……いくらドレスを着飾っても、鉄面皮は変わらないのではなくて…?」
「お嬢様、ご本人か私の沽券をつぶさないでください。それに…ご自身では気が付かれていないようですが、お嬢様は美人でございます!もっと!自信を!持って…!」
「リリー、コルセットを少し緩めて……!」
「はっ……!失礼しました」
リリーはしぶしぶ紐を緩めるが、不満げな表情は消えない。
領地から戻ったバーベナとリリーを待ち受けていたのは好奇心旺盛な貴族たちの噂話だった。
バーベナ自身はマルヴァーニャのタウンハウスから一歩も出なかったが、城下の新聞、貴族のお茶会、様々な場所で噂の種になっているようだ。
(お母様は明るく振る舞っていたけれど、お母様にもお父様にも肩身の狭い思いをさせていたのね)
だが、バーベナは意に介さない。
——今の彼女の関心事はただひとつ。香水のこと。
「お母様やお父様に肩身の狭い思いをさせてはダメね。」
無表情ながらも、バーベナの紫の瞳が静かに燃える。
「そうですよ、奥様や旦那様に心配をかけないように、高貴な令嬢らしい生活にお戻しください。香水はとても素晴らしいものですし、お嬢様が没頭するものがあることは、とても嬉しく思うのですが、お嬢様には幸せになって貰わなくては困ります。規則正しい生活をして、社交であらぬ噂を払拭し、ご婚約に関しては、きちんと奥様の言うことを聞くのですよ。」
リリーは小さい子供に諭すように、つらつらと小言を呈す。
「リリー、私はもう子供じゃないのよ。社交界には出るけれど、婚約だなんて、もうこりごりだわ。お相手にも悪いし。」
「お嬢様。結婚が全てではありませんが、お嬢様を幸せにしてくださる殿方はきっと見つかります。このリリーが保証します。アッシュ様はお嬢様にはただただ、もったいなかっただけでございます。いいですね?」
リリーは、コルセットをちょうどいい具合に締めながら、バーベナに詰め寄る。
「……ごめんなさい。」
その圧を感じて、バーベナは上目遣いになりながら謝ると、リリーとバーベナは、目を合わせて「ふふふ」と笑う。
「それにしても」と、リリーはうっとりとした表情で、小さなガラス瓶を手に取った。見た目はなんの変哲もないジャム瓶だが、中に入っているのは、チュベローズウォーターだ。バーベナが生み出した最初の香水だった。
その香水を見つめながら、リリーは感慨深げに呟く。
「本当に効果がすごかったですものね…きっと、ベラーノ祭で注目されること間違いないですよ。」
試作品として完成したチュベローズウォーターは、マルヴァーニャ領の屋敷の侍女たちにつけてもらった。
「お嬢様!自警団の方に告白されました!」
「お嬢様!夫が誕生日にプレゼントを!」
侍女たちは香水をつけた結果を次々と報告し、『恋の妙薬』としての評判が確立しだしたのだ。
―この世界でも。香りは人を魅了し、心を動かす。
バーベナはそう確信していた。
(あの香水を再現するために…お父様とお母様に肩身を狭い思いをさせないために…私には情報と資金がいる。そのための社交よ)
「さあ、完成です、お嬢様!」
決意を胸に秘めながら、リリーの言葉を聞く。
バーベナは鏡の前に立たされた。映る自分の姿を見つめる。透き通るような紫の瞳に合わせた、小さな宝石を散りばめたネックレスが、白い肌に映えている。
氷のような表情に合わせたような光沢のある薄い水色のドレスは、バーベナによく似合っていた。
「さあ、行ってらっしゃいませ!」
「ありがとう、リリー。行ってくるわ」
最後にバーベナは、ジャム瓶を開ける。
コットンに少し香水を含ませ首元や手首にそっと馴染まる。
シエル・チュベローズの甘やかな香りがふわっと広がった。
(この香り、今日のドレスには合わなかったかしら。私でなくても…この香りに合う人を今日見つけましょう。あの方がいればいいのだけれど…)
バーベナは、ベラーノ祭が開かれる王城へと向かった。
ぜひ感想や評価、ブックマークをお願いします!




