バーベナ、王都への強制帰還
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「それにしても、本当に香水というのは素晴らしいわね!」
マルヴァーニャから王都へ向かう馬車の中で、バーベナの母・オリビアは、上機嫌に声を張り上げた。
窓から差し込む陽光が、彼女の豊かな金髪を金糸のように照らし、馬車の中を一層華やかに見せる。
その明るい笑顔に、バーベナは無意識にまばたきをした。
オリビアがマルヴァーニャ領に現れたのは、三ヶ月も領地に引きこもる娘を案じたからだ。
オリビアの目的はただひとつ——バーベナを夏の社交シーズン『ベラーノ祭』までに王都へ連れ戻すこと。
バーベナは、できることなら領地に引きこもり続けたかった。だが、母の熱意に抗えず、こうして馬車に揺られている。
「気に入ってもらえたなら何よりだわ、お母様」
バーベナは最後の抵抗のつもりで、無表情をさらに硬直させた。
しかし、狭い馬車の中では、その態度の対比がかえって際立つ。
オリビアの溌剌とした笑顔と、バーベナの沈んだ空気——まるで光と影のようだった。
オリビアは娘の微細な表情の変化すら見逃さない。
昨晩、彼女は一晩かけて説得したのだ。バーベナが本心から王都へ戻るわけではないと、百も承知している。
「そんなに落ち込まないの。あなたの新しい嫁ぎ先を探さないと。心配なのよ。」
オリビアは、わざとらしくため息をつく。
「それに、王城の執務室を片付けるように伝令があったわ。あの王子殿下ったら、大層失礼な手紙をよこしたのだから。」
バーベナの指が、わずかに膝の上で動いた。
——王子妃教育を受けていた頃、彼女には王城に自室が与えられていた。
婚約破棄後すぐに領地へ引きこもったため、片付け作業ができていない。これを機に、アッシュ、ひいては王室との関係を完全に断ち切るのも確かに必要だろう。と、ため息を静かにもらす。
同時に、バーベナは、領地での静かな日々を思い返す。香水の調合に没頭し、ヘンリーや侍女たちと試作を重ねる日々。王都での生活は、まるで遠い昔のことのように感じた。
そんな娘の思索を断ち切るように、オリビアはぱちりと手を叩く。
「それにしても——」
彼女の目が、好奇心で輝いた。
「この香水、名前は決めたの?これから種類もいろいろ増やすのでしょう?」
母の期待に満ちた視線が、狭い馬車の中でバーベナに向けられる。バーベナは、少し後ずさった。
領地を出る前も、オリビアは「チェスターはどう思うかしら?」と楽しそうに話していた。どうやら、夫を誘惑するつもりらしい。
バーベナは少し考える。
「名前は……チュベローズウォーターなんてどうかしら。」
「あら、聞いた事ない言葉だけれど、可愛らしい名前ね!」
オリビアは目を輝かせ、手を叩いた。
青い絨毯のように、今日も野に咲く花々。
その香りが、ふと鼻をかすめる。
香水の起源とされるハンガリーウォーターにあやかった名だが、国名を冠することには、バーベナなりのためらいがあった。
「それに、青い花の名前はシエル・チュベローズと名付けたの。この香水の鍵となる香りよ」
「その花の名前をとってチュベローズウォーターなのね。とても素敵だと思うわ。」
「夢の中で出会った花なの。」
「ふふふ、香りの夢を見るなんて、不思議なものね」
「それと、お母さま、先ほども申しましたが、」
「わかっているわよ、まだ未完成なんでしょう。完成を楽しみにしているわ!」
オリビアはくすくすと笑う。
その目には、わずかに安堵の色があった。
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