釣りツァー
私は休日に朝早くから近くの海辺目指し、出かけることにした。
とはいっても海水浴に行くのでもボートやセーリング遊びをするわけでもない。
もう老年の領域にさしかかった自分が海に行って出来ることといえば、釣りである。
前夜から釣り道具一式、釣り竿、ミチイト、ハリス、釣り針、オモリ、ウキ、コマセカゴ、エサ等を用意。その他の身の回り品には、クーラーボックス、スカリ、ハサミやナイフと念のためライフジャケットも持参する。
今回は割合近場のため自家用車に乗せ出発。
装いは帽子とサングラス。
日焼けを防ぐために長袖シャツに長ズボン。
そして履物はスニーカーでいいだろう。
というのは防波堤釣りで、港の比較的安全、波の穏やかなポイントでほとんど動かないでいいからである。
現地に到着すると、既に釣り人が防波堤の各所に陣取って釣り糸を垂らしている。
私は彼らに迷惑を掛けないよう静かな足取りで釣り位置を探した。
そして、丁度左右から距離を置いたスペースがあり、その中間で腰を落ち着けた。
私はゆっくりとサオにミチイトを引っ掛け玉ウキ、ガンダマ、ハリス、ハリの順に取りつけていく。
餌はオキアミ使用の単純なウキ釣りである。
準備が整い回りと同様にポイントを見定めて釣り糸を垂らす。
狙いの魚はウミタナゴ、サヨリ、シロギスといったところか。
大物ではクロダイなのだが無理なような気がする。
夏が終わり秋晴れの心地よい天気で、時折吹く風が心地よく気分的には上々である。
持参してきた折り畳み椅子に腰かけのんびりと水面を見つめる。
時折両隣に目をやると、サオの上げ下げがありアタリがあるようである。
反対に自分のウキはある程度時間を経ても変化はみられない。
ポイント選びが間違っていたのでは。
かといって場所を変えるには早すぎる。
ここは我慢と自分に言い聞かせた。
そのうち、朝が早かったせいで、瞼が徐々に細くなってゆく。
塞がりそうであっても、焦点はウキに合わせている。
ところがしばらく経って、目より先にサオを持つ手の平にアタリの感触があった。
思わず目を開けたが、ウキが水中に沈んでいる。
強烈な引きでかなり大物だと確信し立ち上がった。
両手でつかんで引き寄せようとしたが、あまりの強さにむしろ徐々に海側に引きずられていく。
精一杯力を込めたが全く歯が立たず、堤の縁に迫った。
まさかこんなところで巨大魚が食いつくなんて信じられない思いではあったが、手を離さなければ海面に投げ出されることが確実となった。
私は決心し釣り上げることを諦め、サオから手を放そうと試みた。
ところがあろうことか、手のひらが開かない。
万事休す。
サオと一緒に海面に落下してしまった。
なんという醜態。
みっともないことこのうえない。
この様子を見た他の釣り人から、笑われても仕方ない。
と思いながら、防波堤に戻ろうとしたが、かなわず、サオと一緒に水中に沈んでいく。
服やズボンも水浸しで、靴も履いたままで泳ぐこともままならない。
このままでは、命の危険がある。
と思いながらあがいたものの、手は離れず深みに落下していく。
息を止めるのも限界となり、もはやこれまでと海水を口から吸いこむ羽目となった。
一瞬、溺死という文字が頭をよぎったが、通常ではありえないことが起こった。
今までどうり、水の代わりに空気を吸い込んでいるではないか。
海の中でも呼吸ができているのである。
だとしたら自分は今どういう状況に置かれているのか。
目を恐る恐る開けて、引っ張っているサオ先を眺めると、なんと普通の大きさのサカナが引っ張っていた。
サメでもなければカジキでもない。
信じられない思いではあったが、あることに気が付いた。
息ができるのなら話すことも出来るのかもしれない。
「おい、いったいどこに行くんだよ」
どうやら、声が出たようで、サカナは振り向いて答えた。
『ダンナ、これから面白いところに行くんでさ』
なんとサカナがニヤっと笑いながらしゃべっているではないか。
もはや不可思議とは思わずさらに質問する。
「アンタは誰なんだ。なんでこんなことをする?」
『俺はクロダイさ。ダンナの望みを叶えてあげるよ』
私がどんな望みをもっているというのか、質そうとすると、目の前に鮮やかな光を放ついくつもの建物が見えてきた。
それぞれの建物には色鮮やかなネオンが点滅した看板が据え付けられている。
その光景を見た私は唖然としてしまった。
『さあ、到着しましたよ。歓楽の街、竜宮に』
クロダイと名乗ったサカナは、街入口の門前に茫然自失の私を残して去っていく。
その瞬間サオから両手を離すことが可能となった。
もと来た方向を見上げると暗闇が続いている。
仕方がないので歓楽街、竜宮に足を踏み入れる。
その途端、前方から呼び込みの声が複数聞こえてきた。
『兄さんうちの店は楽しめるよ。ぜひ寄ってよ』
『今度いい娘が入ったよ。とりあえず見にきたら』
『うちは絶対損はしないから。いい気分が味わえるから』
驚いたことに彼らは皆サカナであった。
そして、その周辺で物見しているのもサカナである。
私はそれぞれ記憶にある外観から、サバ、タナゴ、ヒラメ、フグであることはわかったが、よくわからない者も多かった。
奥に進むにつれ次々と派手な造りの店が現れる。
その時になって初めて気が付いた。
なぜ魚たちは自分と同じように歩けるのだろう。
彼らには足がないのである。
いや、自分には足があっても使用していなくて、海中を漂っているだけかもしれない。
答えは見つからずもう考えることはやめにした。
その時、私の腕を強引に引っ張るサカナいや、タコがいた。
『来て来て、旦那にぴったりの子がいるよ。ほんと間違いないから来て!』
吸引力が強くもはや、言うがままについていく以外ない。
店に入ると中は薄暗くて、耳慣れない音楽が耳に飛び込んできた。
広い部屋には珊瑚が散りばめられたソファがあちこちにあり、サカナの客とホステスが賑やかに会話している。
私が知っている限りでは、キャバクラやパブにあたる風俗店であろう。
店員のサカナが誘導し、私を空いている席に座らせた。
指名はあるのかと聞かれたがもちろんあるはずがない。
いや、旦那にもっとも相応しい娘がいるよと言い残してその場を離れていく。
私は相手をしてくれるホステスがサカナであれば、誰であっても気に入る訳がないと思いながら待っていると、現れたのは二対の人魚であった。
『お待たせしました。お会い出来て嬉しいわ』
『ようこそ。今日は楽しみましょうよ』
と、口々に喋りながら私を囲んで座った。上半身は人間で髪が長くて顔かたちはディズニーのアニメに出てくるような美女であった。
思わず緊張してしまい、飲食オーダーを問われたが思い浮かばず、彼女たちに任せることにした。
ところが、話を聞いてみると、彼女らはこの店ではあまり人気がないそうである。
やはり同じ種類のサカナどうしが好まれるそうで、めったに指名されることはなく、ある場合でも変わった趣味のサカナとか、時たま人間が紛れ込んだ時に呼ばれるそうである。
どうやら私のような例は今までにもあったようで、彼女らが出会った人間では、髷を結ったお侍も過去にいたそうである。
では彼女らはいったい幾つなのだろう。
深く詮索しても困惑するだけだと思い、尋ねることはやめにした。
飲み物は深海で熟成させたウィスキー、つまみはコンブとたい焼きであった。
彼女らに勧められ味わったが、私が通うスナックと比較しても遜色はなかった。
ホール正面にステージがあり、フラダンスショーが始まった。
10匹というと失礼になりそうなので、10体のサカナが横並びになって、音楽に合わせ体をくねらせている。
皆、息がピッタリ合った動きで、実に見事な実演ステージである。
もしかしたら、有名なハワイのフラダンスもこれを参考にしたのではないかと思いながら目が釘付けとなった。
ショーが終わり、人魚と飲み食いしながら話が弾んだが、気が付くと閉店の時間を迎えた。
そして、店員から渡された請求明細をみると、十万貝と書かれていた。
どうやら流通貨幣の種類が人間社会と違うようである。
高いのか安いのか分からず、私が持っている紙幣、カード類では支払えそうになかった。
とりあえず今は手持ちがないと伝えると、店員からしばらく待ってるように言われた。
人魚たちも『またね!』と言いながら去ったあと私は一人残され心細くなった。
しばらくして、奥の部屋から現れたのは支配人だというカッパであった。
いや、今まで目にしてきた面々も想像外だっただけに今さら驚くことはなかった。
『旦那さん。払ってもらえないと、困るんですがねえ』
「いや、さっきも言ったんだが今は持ち合わせがないんだ。家に帰らないと・・」
『じゃあ、ここから連絡をとってくださいよ。どなたかおられるんじゃあ』
私は携帯を防波堤の釣り場に置いてきてしまったことに気が付いた。
あったとしても、この海底から通じるのか疑問に思った。
「今携帯は持ってないし、家に連絡がついても家内が何と言うか・・」
『私が持っているよ。旦那が説得する自信がないのなら、代わりにかけてあげるから、電話番号それに旦那のお名前を教えてほしいんだが』
私はあきらめて、姓名を名乗り番号を教えた。
カッパ店長は携帯の番号をプッシュすると、驚いたことに、すぐに繋がったようだ。
もしかしたら、特殊な携帯電話なのかもしれない。
彼が、私が置かれている状況を電話口に向かって説明しているが、まったく上の空であった。
自分自身は真面目な人間だと思っており、こういった風俗にくることなど過去に一度もなかった。
恐らく妻も同様に思っているはずで、かなりショックを受けていることだろう。
だからどのように受け答えすればいいのか判断がつかないのではないか。
自分にとっては災難でしかないと思いながら横で待っていると、店長が、突然話がついたよと言った。
私は考え事をしていたため、話の内容はほとんど聞いていなかった。だから、そう言われて正直びっくりしてしまった。
『奥さんはサザエさんというらしいね。どうやらあきれ果てているようだな。ただ、ご両親もいて7人家族みたいだね。生活が大変そうだから半額にまけといたげるよ。なにしろうちは良心的な経営をしているんでね。さあ、奥さんが電話代わってほしいって』
店長はそう言いながら携帯を私に手渡した。
妻に言い訳をしようとしたが、一方的にまくしたてられた。
『あなた、なんてところにいるのよ。今日はのんびり釣りに行ってると思ったら、そんなところで遊んでいるなんて呆れてものが言えないわ。もう遅いんで色々聞くのは明日にするけど、早く帰ってきて。子供たち3人はもう寝てしまってるし、両親と私も寝ようって言ってたとこだったわ。本当に困るわ』
私はひたすら謝らざるを得なかった。散々絞られたあげくようやく話が終わり、携帯をカッパ店長に返すことが出来た。
『さあ、早く帰ってあげなよ。家族が心配してるから。まあ、竜宮も終了の時間でもあるしね』
私は店を飛び出し、歓楽街の正門に大急ぎで向かう。
来た路を戻る間にふと疑問が頭に浮かんだ。
私の妻の名はサザエではないはず。
また、子供は二人いるがいずれも家を出て所帯をもっているし、両親もいなくて、今は妻との二人暮らしのはずであった。
だったら、あの電話の相手はいったい誰だったのだろうと。
不可解なことが重なり、頭が混乱状態にあった。
ようやく門の外に出たが、周囲は暗闇であった。
ここは海の底、タクシー等ないことはわかっている。
この場所へはクロダイに連れて来られたが、回りにはサカナの姿すら見当たらない。
いったいどのようにして帰ればいいのか。すっかり途方に暮れてしまった。
その時、前方に微かではあるが、光っているものを目にした。
他に名案もないので、とりあえず確認することにした。
近づいてみると、漂っている釣り糸の先に針がぶらざがっていた。
放置されたものが海中を漂っているのかもしれない。
私は興味本位で手繰ってみると、急に動き出し衣服に引っかかってしまった。
その後針が動き出し、私の体ごと上昇していく。
「ひいー!」
抵抗することも出来ずどんどん浮き上がっていく。
そして、あっという間に私の体は水面を越え、空中に飛び出してしまった。
「アタリ、アタリ、大当り。大物が釣れたよ」
「アララ。本当だねハマちゃん」
気が付くと、ハマちゃんと呼ばれた釣り人の顔が真ん前にあった。
どうやら釣られてしまったらしい。
「スーさん。仕掛けがよかったのよ。仕掛けが。バッチリだったな」
「ああ、先越されてしまったな。だが勝負はまだこれからだよ」
「負け惜しみ。負け惜しみ」
と言いながらハマちゃんは私の体をさする。
どうやらサカナに変身したようだ。
大物というからスズキか、それともメバル。
そう考えてぶらさがっているとまた別の声が聞こえてきた。
「旦那さん、旦那さん」
今度は誰かが私の肩をたたいている。
はっと目を開けると、椅子に座った私は、サオを持って海面に糸を垂らしていた。
「旦那さん、引いてるよ」
よく見ると、ウキが水中に沈んでいるのがわかった。
どうやらサカナが餌に食いついたようだ。
少しづつ手元に引き上げていく。
そして釣り上げてみると、20センチほどのタナゴであることがわかった。
「ほう、なかなかの大きさだね」
教えてもらわなければ食い逃げされていたかもしれない。
私は礼を言ってタナゴをスカリに入れた。
その後も釣りを続け計3匹釣り上げることが出来た。
タナゴのほかにシロギスがこの日の収穫であった。
そして釣り道具一式を車に積み帰路へ。
ハンドルを握りながら、あまり動かない海釣りは、うとうとしがちで健康的でないように思えた。
次回は体を動かしヤマメやイワナを狙う川釣りのほがいいのではないか。
一方で川にはカッパが生息していたのではないかと、奇妙な想像をしながら車を走らせて行く。




