37話 心を救われた、あの日のできごと
当時、ロイドは十一歳だった。
昔からあまり体の強くなかった父のため、争いが頻繁に起こる辺境領から離れた別荘地に療養に来ていた。
場所は、シュテルダム伯爵邸のすぐ隣にある、ロイドから見て祖父が所有していた領地。
近くには小川があり、少し馬を走らせると緑豊かな森もあるそこに建てられた別荘地で、父と母とロイド、数名の使用人と護衛とでしばらく生活していた。
「だが、療養虚しく、父の病状は悪化し……他界した」
「そうだったのですね……」
ロイドはメロリーに気を遣わせないようにいつも通りの笑みを浮かべ、言葉を続けた。
「母は、体の弱い父を支えなければと、いつも毅然とした態度でいた。父が亡くなった時も、私の前では涙一つ見せないような、強い人だった。私はそんな母を支えたくて、強くなりたくて、辺境伯領に戻るまでの数日間、馬を走らせて森に行き、そこで剣の修業を始めたんだ。その森で、メロリー……君に出会ったんだよ」
「えっ」
メロリーは記憶を手繰り寄せ、そしてハッとした。
「思い出しました……! 確か、魔女の秘薬が作れるようになってからすぐの頃、屋敷の人たちにバレないように、離れからほど近い森へと薬草を採集しに行っていました。その時、一人の男の子と出会って……」
「ああ。それが私だ」
──木を敵と見立てて、剣で攻撃する。
無我夢中で稽古を繰り返していたロイドの前に現れたメロリーは、その様子を興味津々そうに見つめてきた。
今思えば、離れに押しやられていたメロリーは乳母以外の人間が珍しかったのだろう。
しかし、ロイドは当時、父が亡くなったばかりだった。
将来、辺境伯の爵位を継ぐ者として、気丈な振る舞いを見せる母を支えるためにも、早く強くならなければと余裕がなかったロイドは、ただただ見つめてくるメロリーに苛立ちのようなものが芽生えていた。
『……お前、さっきから何なんだよ。用があるなら言えよ』
『あっ、いや、その……』
素性も知らない相手に優しくする余裕もないロイドは、剣を振るう手を止め、鋭い眼差しを向けて高圧的に話しかけた。
これで立ち去るだろうと、ロイドはそんなふうに考えていたのだ。
『手を怪我してるから、大丈夫かな、って』
『は?』
恐れることなく、むしろ話しかけられてチャンスだと言わんばかりにロイドに駆け寄ったメロリーは、彼の手を指さした。
ロイドはそんなメロリーを警戒したものの、自分よりも弱そうな少女に対して心配し過ぎかと思い直し、言われた通り自分の掌を確認する。
すると、掌には血が滲んでいた。
いくつかあった血豆が破れてしまったのだろう。気付かないうちに、地面にもポタポタと血が垂れてしまっている。
『これくらい、問題ない』
『でも、痛そうだし……。あの、私調合が趣味で、薬を持っているんです! 使ってみませんか?』
メロリーはそう言って、肩がけのカバンから薄緑の液体が入った小瓶を差し出した。
『多分、見た目は治せないけど、痛みはかなり軽減できるお薬なんです! 良かったらどうぞ!』
『会ったばかりの奴が作った薬なんて飲めるか』
『確かに……。でも私、怪しい人物じゃありません……! 薬も危険じゃありません! 誓います! それに、もしまだ剣を握るなら、少しでも痛みがない方が良いんじゃないかと思って……それで……でも、嫌なら……』
『うっ……』
しゅん……とするメロリーに、ロイドは少しばかり心が痛んだ。
こんな森に少女が一人でいるのは不思議だが、確かに悪意は感じられない。それに、怪我を自覚すると痛みは増す一方だ。
早く強くならなきゃと焦っていたロイドには、メロリーの話も一理あるように思えた。
『分かった。飲む』
『本当ですか!? はい! どうぞ!』
ロイドはメロリーから小瓶を受け取ると、蓋を開けて中の液体を喉に流し込んだ。
『……あ! そういえば、その薬には副作用があって──』
メロリーは急いでそう口にするが、時既に遅し。
薬を全て飲み干したロイドは、掌の痛みが引いていくのと同時に、目頭がツンとなるような感覚を覚えた。そして次の瞬間には、留まることのない大粒の涙が溢れ出していた。
『な、何だ……これ……』
『ごめんなさい! その薬には、痛みを軽減させる代わりに、少し涙が出てしまう副作用があって……。でも、前に私が試した時は、目に涙が滲むくらいだったんですけど……』
『……っ、おかしいだろ、何で止まらないんだよ……っ』
メロリーはきっと、心底不思議そうな顔をしていたのだろう。けれど、その時のロイドは拭っても拭っても溢れてくる涙のせいで視界がぼやけてしまい、それを見ることは叶わなかった。
『大丈夫ですか……? もしかして、何か悲しいことが……?』
(悲しいこと?)
メロリーにそう問われた瞬間、ロイドはずっと秘めていた憂いが込み上げてくるのを感じた。そして、何故ここまで涙が溢れてくるのか、理解することができた。
(──そうか。俺は、本当はこんなふうに泣きたかったんだ)
病弱だった父の死は、覚悟していた。それでも、穏やかで優しい父のことが大好きだったロイドは父の死が悲しく、次期辺境伯として、まだまだ色々なことを教えてほしかったという思いもあった。
けれど、父が死んでも、十数年共に連れ添った母は、涙を見せなかった。
本当は悲しいはずなのに、泣きじゃくりたいはずなのに、辺境伯の妻として、次期辺境伯の母として、毅然とあろうとしていた。
そんな母のことは立派だと思う。これは本心だった。
けれどロイドは同時に、それなら自分も毅然としていなければならない、自分の方が強くなって母を支えなければと、父が亡くなったことに対する悲しみを、心の奥深くに閉じ込めたのだ。
だというのに、メロリーからもらった薬の副作用によって、涙腺の詮が開けば、奥底にしまっておいたはずの感情が、涙が溢れ出していた。
『うっ……』
嗚咽を漏らし、体を震わせながら泣きじゃくるロイドの背中を、メロリーが撫でた。
その優しい手つきは、生前の父によく似ている。
『……泣くのは何も悪いことじゃありません。私で良ければ、涙が止まるまで側にいますから』
『……っ』
その時、歪む視界で見えたメロリーの顔はとてもぼやけていたけれど、この世の何者よりも穏やかで、優しい表情をしているように見えた。
「──あの時のことがきっかけで、私はメロリーのことを好きになったんだ」
「……っ」
「私はメロリーが作る薬にはもちろんだが、涙を肯定してくれるような優しい言葉に、そしてメロリーの存在に、救われたんだ」
ロイドは懐かしむように、そして愛おしそうに過去の出来事を話した。
完全に思い出したからか、また熱い告白に照れたのか、メロリーは頬を桃色に染めて狼狽えている。
「未だに信じられません……。あの時の男の子がロイド様だったなんて……」
「メロリーが覚えていなくても仕方がない。私は泣き顔を見られたことが恥ずかしくて、あの後名乗りもせずに立ち去ったから」
ロイドはまたメロリーに会いたいと思ったが、当時はまだメロリーの存在は秘匿されていたため分からなかった。
更に、辺境伯領に戻ってからは目まぐるしい日々が待っていた。辺境伯の爵位を継ぎ、領地のことを担うようになり、屋敷のことを統括してくれていた母も病で亡くなってしまった。
悲しみに暮れる時間もなく、剣技の頭角が現れ始めたロイドは前線の戦場に出ることが多くなり、自由に使える時間がどんどんと少なくなっていった。
「本当はメロリーと再会した夜会で君への想いを伝えようかとも思ったが、先に大きな戦争があることは分かっていたから、言えなかった。生きて帰れる保証もなかったしな」
「ロイド様……」
「だが、無事に生きて帰って来られた。だからメロリーに縁談の話を持ちかけて、一秒でも長く居たいから婚約者の段階で屋敷に来てもらった」
「も、もう分かりました。でも、どうして十年前に会っていることを話してくれなかったんですか……?」
メロリーの問いかけに、ロイドは恥ずかしさを隠すように前髪をくしゃりと乱す。そして、メロリーから目を逸らした。
「一つは、昔のこととはいえ、私が泣きじゃくった姿をメロリーに思い出してほしくなかったからだ。好きな女性には、格好いいところだけを見てほしかった。……それと、もう一つは──」
ロイドは逸らしていた視線を戻し、空のような青い瞳にメロリーを映した。
「当時メロリーは、君の両親が望むような薬を作れなかったことに悲しんでいた頃だろう。私の話をしたら、その時の悲しい記憶もまた鮮明に蘇るんじゃないかと思って、言わないでいたんだ」
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明日、1/4に完結です!なんと、3話一挙に公開します!
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