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FLORAVATA - 花より顕現せし者たちの記録 -  作者: shaton
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【まだまだ間に合う! FLORAVATA】第4〜6話まとめ|ここから第7話へ!

 名前も、記録も持たずに、神殿の石の広間で目を覚ました少女。手にしていたのは、傍(かたわ)らに咲いていた一輪の白い花だけだった。その花の光に応えて、決まった言葉なしには開かないはずの始原花門(しげんかもん)がひとりでに咲き、少女は神殿を預かる管理長のクラウゼ、記録守のマリエナ、若い管理者のリトと、花の街へ出てきたのだった。目覚める前の夢の中では、十二の小さな影が巡り、「もう一度咲きたい?」と問う声がしていた。その声の欠片(かけら)は、今も、ふとしたときに少女の耳の奥でこだまする。――もう一度、と。

◇

 街の広場で少女を呼び止めたのは、鐘守(かねもり)の塔の娘だった。白い翼をたたみ、胸元に、鈴のようにうつむいて咲く雪鐘(スノードロップ)の花を連ねた天使。その身から広がる白い光は、触れたものの影を消してしまう。街の者たちは、敬いと、ほんのわずかな怯(おび)えとを込めて、彼女に道をあけた。小さな妖精は店の軒(のき)下へ身を隠し、輪郭の揺らぐ精霊は、そっと路地の奥へ退いていく。

 少女の数歩手前で立ち止まった娘は、遠巻きに立つ者たちの様子に気づくと、唇をきゅっと結び、胸元の花にそっと指先を添えた。それだけで白い光はすうっと引き、根の道の上に影が戻ってくる。光を収めたとき、その目に浮かんだのは、安堵(あんど)ではなかった。もっと寂しそうな、何かを諦めたような色だった。少女は、その横顔を見ていた。

「(この子は、自分の光が好きじゃないのかもしれない)」

「わたしは、ルクシエル。エリトア・ルクシエル。雪鐘の花から生まれたの」

 そう名乗ると、彼女の鎖骨(さこつ)のあたりで、うつむく鈴の花の形をした花紋(かもん)が淡く光った。続けてクラウゼにその名を呼ばれると、同じ花紋が、今度はほんの少しだけ温かな色で灯った。この世界の者は誰もが、身体のどこかに花紋を持ち、それは名を呼ばれると光る。自分で名乗るときは自分の中の光だけ。誰かに呼ばれるときは、その誰かの気持ちが少しだけ混ざる。だから、大切な相手に呼ばれると、いちばんきれいに光るのだと、ルクシエルは教えてくれた。

 名を問われて、少女は「……ないの」としか答えられなかった。身を固くした少女の前に、ルクシエルは哀れむでもなくしゃがみ込み、下から顔を見上げて、こう言ったのだ。

「わたしの名前はね、生まれた夜に、神殿の石に刻まれたの。光(ルクス)を守り(シエル)なさいって。……でも、ときどき思うのよ。もし自分で選べたら、わたしは、どんな名前にしたのかなって。だから、名前がないって、わたしにはちょっとだけ、うらやましい」

 名前のない自分が名前を持つ誰かを羨(うらや)んでいるのに、名前を持つ誰かが名前のない自分を羨んでいる。そんなことがあるのだろうかと、少女は戸惑った。

 広場の視線を避けて移った、通りの外れの小さな庭で、ルクシエルはぽつりとこぼした。

「わたしが光ると、みんな道をあける。小さい子は隠れちゃう。照らしたいんじゃないのに。わたしはただ、あなたを見つけて、嬉(うれ)しくて、声をかけただけなのに」

 ルクシエルが雪鐘を一度だけ弾(はじ)くと、光の粒が少女の花に降り、ふたつの白が溶け合った。誰も触れていないのに、鐘がもう一度鳴った。ルクシエルの顔から、表情が抜け落ちた。彼女は、一度しか鳴らしていないのだ。そのとき少女の手首の内側に、輪郭の定まらない淡い光が滲(にじ)んだ。花紋のようでいて、形が決まっていない。ルクシエルでさえ、見たことのない光だった。

 やがて庭の石垣の向こうに群れができ、切れ切れの声が届いてくる。吉兆(きっちょう)だ。馬鹿を言え、記録にない者だぞ。あの白い花は高く売れる。研究院に知らせたほうがいい――。期待と、恐れと、損得と、好奇心。どの声も少女のことを話しているのに、少女に向けられた声は、ひとつもなかった。

 そのとき、守護院の衛士(えじ)がふたり、光で群れを割って現れた。大守護者の命により、素性(すじょう)の知れぬ者を、明朝、試しの庭にて検分(けんぶん)する、と。抗議しかけたルクシエルは、衛士に名を呼ばれて退けられた。その花紋はほとんど光らなかった。冷たい灰色が、ほんの一瞬かすめただけだった。答えに迷うクラウゼより先に、少女は口を開いていた。

「わたしのことだから。わたしが、行きます」

 目覚めてから初めて、少女が自分で決めたことだった。ルクシエルはその手をぎゅっと握り、「じゃあ、わたしも行く」と笑った。その胸元で、雪鐘が小さく揺れて、澄んだ音を立てた。今度は、一度だけだった。

◇

 その夜、少女はほとんど眠れなかった。枕元に置いた白い花だけが、暗がりの中で微(かす)かに青白く明滅(めいめつ)していた。まるで、少女の代わりに眠らずに見張っていてくれるかのように。

 翌朝、少女たちは街の東の高台にある守護院を訪ねた。回廊には、割れた兜(かぶと)や裂けた盾が掛けられていた。誰かを守って壊れた証として、捨てずに残されているのだという。

 その奥、丈の低い花々が一面に咲く試しの庭で少女を待っていたのは、大守護者セレフィア・エルディ。大きな白い翼をたたみ、身体の半分を覆(おお)うほどの盾を携えた男だった。

「単刀直入に言う。私は、君を信用していない」

 目覚めてまだ二日と経っていない、とかばおうとしたクラウゼに、セレフィアは言った。時を与えて、そのあいだに何かが起きたら、神殿が責を負うのか、と。クラウゼは黙り込んだ。

 試しは、衛士の槍(やり)をしのぐこと。花は置いていけと命じられ、少女は思わず「いや」と言った。すると隣から、ルクシエルが両手を差し出した。

「わたしが持ってる。あなたのすぐそばで、ずっと持ってる。離れないわ」

 少女は長いあいだためらい、それから、震える指で花を移した。手のひらが、急に空っぽになった。その軽さが、ひどく心細かった。

 庭の中央にひとり立たされた少女の前で、セレフィアが腕を上げた。

「――照らせ。影なき場所では、何も隠せぬ。見せてみろ。君が、何者なのかを」

 盾から影を消す冷たい光が溢(あふ)れ、庭の花々が白く褪(あ)せていく。若い衛士の突きをかわすたびに、足が花を踏みしだき、茎の折れる音が足の裏から伝わってきた。「(ごめん)」と胸の中で謝ったときには、もう次の突きが来ていた。槍の柄に脇腹(わきばら)をかすめられて倒れた少女の鼻先に、一輪だけ、折れずに立つ小さな花があった。衛士の足がその上へ降りようとしたとき、少女は槍を避けるのではなく、花の上に覆いかぶさった。

 その瞬間、手首の内側から滲んだ光が、少女の全身を包んだ。槍は見えない何かに弾かれて裂け、少女を中心に、褪せていた花々へ色が戻っていく。影を消す光と、色を取り戻す光。そのふたつがぶつかる境目で、少女は自分の影の中に、空を割るようなひと筋の線を見た。

「今の力は、守るためのものか。それとも、壊すためのものか」

 わからない。でも、花がふまれるのは、いやだった。少女の答えに、セレフィアは目をわずかに見開き、踏み荒らされた庭と回廊の傷だらけの装具とを見渡して、呟(つぶや)いた。私は今、どちらのために、あの若い衛士に、この子へ槍を向けさせたのだろうな、と。⦅

 生垣(いけがき)の向こうからは、ひそひそと声が漏れていた。花を守ったんだぞ。あんな子を試すなんて。恐れる者と、かばう者。同じ光景を見ていたはずなのに、誰もが違うものを見ていた。⦆

 セレフィアは低く告げた。名のない者は記録できず、守護院の守りの外にいるのだ、と。

「私は、守れぬものを抱えるのが、何よりも嫌いだ」

 大守護者の厳しい声の奥に、少女は、守れないことへの恐れを聞いた。名前がないのは、寂しいだけのことではない。誰かが自分を守ろうとしてくれるとき、名前はその手がかりにもなるのだ。

「(名前が、ほしい)」

◇

 そこへ、笑い声とともに、花弁の渦が降りてきた。現れたのは、薄紅の髪に小ぶりなバラを咲かせた大妖精、シャルネ。この試しの庭の花をひと株残らず種から育てたという、百花の庭の主だった。

「大守護者さん。試しのために庭を貸すとは言ったけれど、花を泣かせていいとは言っていないわよ」

 にこりと笑う声に、ほんのわずかな棘(とげ)があった。

 少女が試しのあいだにかばったあの一輪だけは、植えた覚えがないのだと、シャルネは首を傾(かし)げた。それから踏み荒らされた土に両手を置くと、折れた茎が身を起こし、褪せた花に深い色が戻っていった。誘われて少女がその隣に手を並べると、ふたりの光が土の中で混ざり合い、薄紅の縁に淡い青が滲む、この庭のどこにもなかった色の花がひとつ、ほころんだ。あの一輪のすぐ傍らだった。

「新しい色が咲いちゃった。ねえ、見て。あなたと、わたしの色よ」

 この子、少し借りていくわね。名前って、試しの庭で問い詰めて出てくるものじゃないと思うの――シャルネにそう言われて、セレフィアは「……夕刻までだ」とだけ答えた。少女は白い花を返してもらい、街の西の外れの、百花の庭へ連れていかれた。

 そこは、色が溢れる庭だった。数えきれない花々が風に揺れ、小さな妖精たちが飛び交っている。花弁で蝶(ちょう)の幻を見せてくれる紫の妖精がいて、試しの傷を癒してくれる精霊がいた。妖精たちの踊りの輪に引き込まれ、ルクシエルに手を引かれてくるりと回ったとき、少女の喉の奥から、何かがこぼれた。

「(わたし、笑ってる)」

 目覚めてから初めて、声を上げて笑った瞬間だった。笑うことが、こんなふうに、身体の内側から光が弾けるようなものだとは知らなかった。ルクシエルがつられて笑い出し、輪の外のシャルネも両手を打って笑っている。小さな妖精に髪を編まれながら、リトまでもが困ったように笑っていた。

 けれど、紫の妖精が花弁で少女の好きな形を作ってくれたとき、花弁はひとりでに集まり直し、夢の中で十二の影のひとつとして巡っていた、うねる波の形になった。妖精自身も、「今の、わたしが作った形じゃないわ」と首をひねった。

 日が傾くころ、庭の奥の花陰に、踊りの輪には一度も加わらなかった騎士の姿が見えた。夜明け前の空のような青紫の、縁の波打つ花を胸に挿したその者は、少女と目が合うと、すっと花の奥へ去っていった。

◇

 夕暮れの小川のほとりで、シャルネは言った。この庭に来る子に、どこの誰かは聞かない。聞くのは、どの花が好きか、だけ。

「あなたは、どの花が好き?」

 答えは、考えるまでもなかった。けれど、それを口にしようとした瞬間、胸の奥で、別の問いが持ち上がった。

「名前って、自分で選んでもいいの?」

 少女の問いに、シャルネはしばらく黙っていた。シャルネの名前は、生まれたときから決まっていた。けれど、それを好きになれたのは、ずいぶんあとになってから。呼んでくれる誰かがいたからだと、彼女は静かに打ち明けた。

「あなたが自分で選んだ名前なら、きっと最初から好きになれるわ。そして、わたしがいちばん先に、その名前で呼んであげる」

 夕刻を告げる鐘が、遠くで鳴った。守護院へ戻る刻限だった。少女は、西日に金色を帯びた白い花を見つめた。

「(わたしの名前は、わたしが選ぶ)」

 白い花が、それに応えるように、微かに揺れた。


(これまでのお話 了)


次回 第七話「名を選ぶ花」


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