外伝:季節の特別編 「仮花の夜に…」
花の街でいちばん花の少なくなる夜を、者たちは仮花の夜と呼ぶ。
秋の終わりには、地の底を流れる花脈が細くなる。咲き残った花がひとつ、またひとつと首を垂れる。その夜だけは、咲けずに散った花の想いが、迷い花となって街をさまようのだという。
フロラヴァータたちは、ほかの誰かの花を借りて身にまとい、自分ではない花に化ける。迷い花に見つかり連れていかれないように。
子どもたちは借りた花を髪に挿して家々を回り、「花をひとつ、くださいな」と戸を叩く。家の者は花蜜の飴を渡すが、もし渡さなければ、戸口に蔓が固く結ばれてしまう。夜明けに借りた花を持ち主へ返せば、祭りはおしまいだ。
――と、そこまでは、アメディアも昼のうちにシャルネから聞いていた。
聞いていなかったのは、リトがこんなに張り切るということだった。
◇
「どう? 強そうに見える?」
神殿の前庭で、リトが胸を張った。肩から背中にかけて、深紅のヒガンバナが炎のように反り返っている。百花の庭の仮花の店で、「いちばん強そうなのを」と頼んで、シャルネに選んでもらったものだという。
今夜、リトは神殿の灯り番を任されていた。門の前に並べた実灯り――くり抜いた木の実に灯火を入れたもの――を、夜明けまで絶やさずに見守る役目だ。
「去年までは、ずっと見習いだったんだ。今年は、ぼくひとりで任された。だから、ちょっとくらいは、ね」
ちょっとくらいは、何なのか。リトは最後まで言わなかったけれど、ヒガンバナの陰から、ちらちらとアメディアの顔をうかがっている。
「うん。強そう」
アメディアがうなずくと、リトの丸い頬が、ヒガンバナよりも赤くなった。
そのときだった。
日が落ちきって、前庭に夜の風が吹き込んだ。リトの三つ編みに咲いていた黄色いカタバミが、いっせいに、くるりと花弁を閉じた。葉までもが、眠るように折りたたまれていく。
深紅の炎のあいだから、しょんぼりと丸まった小さなつぼみが、いくつも顔を出した。
「あっ、待って。今は寝ないで……」
リトが慌てて三つ編みを手で押さえる。押さえた拍子に、その指先が、熟れかけた細い実に触れた。
ぱちん。
小さな音とともに、実がはじけた。種がいくつも飛び出して、ちょうど前庭へ駆け込んできた子どもたちの額に、ぱらぱらと当たった。
「……迷い花だ」
誰かが言った。
「迷い花が、種を撒いてる!」
子どもたちが、悲鳴と歓声のあいだのような声を上げた。逃げるのかと思えば、そうではなかった。花蜜の飴の袋を振り回しながら、全員がリトめがけて走ってきたのだ。
「捕まえろ!」
「わああ、違う、ぼくは灯り番――」
ぱちん。ぱちん。
逃げるたびに、三つ編みから種がはじける。そのたびに子どもたちは大喜びで追いかける。リトは実灯りの列のあいだを右へ左へと逃げ回り、ヒガンバナの仮花を半分落としながら、前庭をぐるぐると三周した。
◇
「……おなか痛い」
鐘守の塔から下りてきたルクシエルは、門の柱にもたれて、ずっと笑っていた。白い翼まで、笑うたびに小さく震えている。彼女の仮花は、シャルネから借りた桃色のバラだった。
「あれで迷い花だなんて。本物の迷い花のほうが、いい迷惑だって言うわよ」
「ルクシエル、笑わないであげて」
そう言いながら、アメディアも唇の端がゆるむのを止められなかった。
ようやく子どもたちから解放されたリトは、門の石段に座り込んで、肩で息をしていた。ヒガンバナは片側だけになり、三つ編みのカタバミは、相変わらず固く閉じたままだ。
「……かっこ悪い」
リトは膝を抱えて、小さくつぶやいた。
「今年こそ、ちゃんとできると思ったのに。灯り番も、仮花も」
アメディアは、リトの隣に腰を下ろした。
実灯りの火が、夜風に揺れている。どの灯りも、ひとつも消えていなかった。逃げ回りながらも、リトは一度も灯りの列を蹴倒さなかったのだ。
「灯り、全部ついてるよ」
「……え」
「逃げてるあいだも、ずっと避けてた。見てたもん」
リトは目を丸くして、灯りの列を見渡した。それから、照れたように頭をかいた。
しばらく、ふたりは黙って灯りを眺めていた。通りの向こうを、借りた花をつけた子どもたちが、笑いながら駆けていく。白いユリを挿した小さな精霊。大輪のヒマワリに埋もれそうな妖精。誰もが、今夜だけ、自分ではない花を咲かせていた。
「……何に化けるの?」
リトが、ふと尋ねた。
アメディアは、答えに詰まった。ルクシエルといっしょに、シャルネの店で、たくさんの花を見せてもらった。けれど、どれを手に取っても、しっくりこなかった。自分の花さえ、本当に自分の花なのかわからないのに、誰かの花を借りるというのが、うまく思い描けなかったのだ。
「……まだ、決めてない」
リトは、少しのあいだ黙っていた。それから、意を決したように、自分の三つ編みに手を伸ばした。
摘み取った指先に、閉じたままの小さなカタバミが一輪、のっていた。
「仮花なら、ぼくのでよければ。……今は、寝ちゃってるけど」
耳の先まで真っ赤にして、リトはそれを差し出した。
アメディアは、両手でそっと受け取った。
手のひらの上で、手首の内側の淡い光が、つぼみを包むように揺れた。すると、閉じていたはずの黄色い花弁が、まるで朝が来たと勘違いしたように、ゆっくりと、ひとひらずつほどけていった。
「……咲いた」
リトが、息をのんだ。
「夜なのに。カタバミが、夜に咲くなんて」
「……アメディア」
リトが思わず名を呼んだ。その瞬間、アメディアの手首に、カタバミと同じ淡い黄が、ふっと灯った。
アメディアは、ひらいた花を、髪の横に挿した。
「似合う?」
「……う、うん」
リトの声が裏返った。
ぱちん。
緊張した三つ編みから、最後の種がひとつ、はじけた。
◇
夜明け、者たちは借りた花を持ち主に返していく。
アメディアも、髪のカタバミをリトに返そうとした。けれどリトは、首を横に振った。
「それは、いいよ。……アメディアの手で咲いたんだから」
前庭の実灯りは、最後のひとつまで、ちゃんと灯っていた。
門の陰から、昨夜の子どもたちが顔を出す。
「迷い花のお兄ちゃん、来年も出てね!」
「だから、ぼくは灯り番だってば!」
リトの叫び声に合わせて、朝の光の中で、三つ編みのカタバミが、いっせいに花をひらいた。
(外伝 了)




